第30話 拾われた声、導かれる願い

 都市の外れ、時代に取り残されたような古道具屋の軒先で、埃を被った棚の隙間から、セイルはそれを見つけた。


 黒銀に輝く金属の輪。ありふれた装飾品に見えたが、近づいた瞬間、かすかな反応が指先に触れた。


 ──魔力干渉型。


 直感だった。


 魔術師ではない。ただの市井の青年に過ぎない自分が、こんな古めかしい指輪の正体を言い当てる理由はなかった。だが、確かにそれは"何か"を抱いていた。



 「値札もついてないな……捨てられてたのか?」


 つぶやきながら手に取ると、金属の冷たさと共に、ほんの一瞬だけ何かが流れ込んでくるような感覚があった。記憶の欠片のような、熱と哀しみと、怒りの波。


 セイルは目を細めた。


 (……妙だな)


 だが、それ以上の異常はなかった。ひび割れもなければ、魔力の暴走もない。多少古びてはいるが、使えない代物ではない。



 「……これ、いくらですか」


 奥から顔を出した店主は、よくあるように年季の入った老魔導士風ではなく、小太りで穏やかな中年男だった。


 「ああ、それかい。もう何年も前に流れてきた盗ひ……ごほん。誰も触らなかった代物だ。タダでいいよ」


 その言葉に、セイルは眉をひそめた。魔力反応があったものを、無造作に手放すとは。


 「いいんですか、これ、呪いとかは?」


 「呪い? ああ、気にするな。そういうのは王都の貴族どもが騒ぎたてる迷信さ」


 笑って肩をすくめた店主に、セイルは小さく頭を下げてその場を後にした。



 ──その夜。


 宿の一室、木製のテーブルの上に指輪を置き、彼はろうそくの火を灯してじっと眺めていた。


 「……き、君は……誰なんだ?」


 問いかけに答える声はない。


 だが——次の瞬間、世界が揺れた。


 ふっと意識が遠のき、耳の奥に直接届くような、透き通った声が響いた。



《……聞こえる? ああ、やっと繋がった。助かった、マジで》


 セイルは心臓を跳ねさせ、椅子ごとひっくり返った。


 「うわっ!?」


 背中を打ち、情けない悲鳴を上げながら床に尻もちをつく。


 「い、今の声……誰だ!? 幽霊!? 呪い!?」


 だが、部屋には誰もいない。ただ静かに、ろうそくの火だけが揺れていた。



《ちょっとちょっと、驚かないでよ。私、悪い霊じゃないから》


「誰だ……きみは」


《うーん、名乗るほどの者でも……って言っても通じないか。じゃあ、そうね……“エリス”でどう?》


 名前。それだけで何かが引っかかる。覚えのないはずの響きに、戸惑いが湧き上がる。


《その指輪、私が住んでるの。というか、私そのもの? まあとにかく、捨てられずに済んで助かったってわけ》


 セイルはしばらく床から立ち上がれなかった。震える膝を抑えつけるようにしながら、ようやく椅子に手をかけて腰を下ろす。



《さて、挨拶も済んだことだし、そっちの世界のこと、いろいろ教えてもらってもいい? こっちはこっちで、お役立ち情報持ってるわよ?》


 そう言ってエリスは、まるで旧知の友人のような軽さで笑った。


 セイルはその声に、ほんのわずかに口元を緩める。


 この世界のどこにも馴染まないような言葉遣いと抑揚。それでも、嘘のようには思えなかった。



「……うん。君のこと、まだよくわからないけど……」


 セイルは不安げに、それでも真剣なまなざしで指輪を見つめた。


「……この国は、ちょっと、おかしいって思ってたんだ。もし君が……その、手を貸してくれるなら……一緒に変えてみたい」


 沈黙。

 だが次の瞬間、指輪から小さな震動と共に笑い声が漏れる。


《あっはっは、いいね! そうこなくっちゃ。革命の火種ってやつ? 好きよ、そういうの》



《了解、セイル。あなたを、世界を変える“演者”にしてあげる》


 その言葉に、セイルの瞳がわずかに揺れた。


 何かが始まる。その予感だけが、胸の奥に静かに灯った。



 そして翌日から、セイルとエリスの奇妙な対話が始まった。


 街角の施療院でボランティアを手伝い、病人に薬草を届ける帰り道。道端に座り込む老人に声をかけ、パンを分け与えながら、セイルは自然な笑顔を見せていた。


《……やさしいのね、あなた》


 皮肉ではなかった。けれど、どこかしら抑えた声音で、エリスはそう言った。


「困ってる人がいたら、助けたいってだけだよ。だって、そういうとこからしか、世界は変わらないだろ?」


《でもそれじゃ、間に合わないこともある。理想だけじゃ、どうにもならない場面って、あるのよ》


 セイルは少しだけ目を伏せて笑った。


「うん……それもわかってる。でも、できる限りやってみたいんだ。暴力で人を従わせても、何も変わらないよ」


 そのまなざしはまっすぐだった。あまりにも真っ直ぐで、痛々しいほどに。



《あなたの理想は綺麗すぎる。でもそれじゃ誰も動かない。敵を救おうとして、味方を危険に晒す覚悟はあるの?》


「……助けられるなら、敵だって味方になれると思う。そう信じたい」


《……甘いわね、本当に》


 エリスはため息をついた。声には出さずに。


 彼のような人間が、なぜこんな世界に生まれたのか。

 なぜ、彼のような人間が、今ここで自分と繋がってしまったのか。



 その夜。


 セイルが眠ったあと、エリスは指輪の内側から静かにその精神波長に干渉を始めていた。


(……少しだけ、感情の強度を下げる。怒りと恐れ、それに対する耐性を強化……)


 彼を壊すつもりはない。ただ、もう少しだけ、現実を見せてやる必要があると思った。

 このままでは、彼はきっと殺される。


《大丈夫。私はあなたを守る。……だから、少しだけ変わって》


 ごく微細な干渉。それは本人も気づかぬほどに、静かに浸透していった。



 数日後。


 セイルの笑顔はまだそこにあった。だがその奥に、どこか硬さが生まれていた。

 誰かを説得する声のトーンに、わずかな威圧が混じるようになり、迷いのない視線は、どこか無機質に整えられていた。


 善意に満ちた“説得”は、時として、逃げ場のない“強制”に変わる。


 それは、エリス自身もまだ気づいていない、静かな変質だった。

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