第4話 踊りませんか、お嬢様?



 図書室での邂逅から一晩。レティシアは部屋のカーテン越しに差し込む朝の光を見つめながら、ベッドの上で小さくため息をついた。


(あの魔術師……レオン・フィルニール。完全に怪しまれていたわ)


 鋭い眼光、揺らがぬ声、そしてなにより——あの一言。



「あなたの“声”、どこか不思議だ」


 思い出すだけで背筋がひやりとする。気づかれたかもしれない。エリスの存在に、あるいは呪いのことに。


《いやー、ヤバかったねアレは。察しのいい系男子こわっ!》


 指輪から響く声は、呑気というより愉快そうですらあった。



(あんた、まさか楽しんでるの?)


《うん、めっちゃ。だってさ、相手が“知的ライバル”って感じじゃない? こっちが仕掛ける前に、探られてる緊張感って最高よ》


(こっちは遊びじゃないの)


《知ってるって。でもさ、こういうときこそ“正面突破”が一番よ》


 レティシアは眉をひそめた。


(正面突破……って、つまり?)


《もっと目立てばいい。注目されればされるほど、真実から目を逸らせるの。VTuber的には場を支配するって言うんだけど》


 その理屈がよく分からないと眉を寄せつつ、レティシアは昨今の社交界での自分の変化を思い出していた。



「最近、レティシア様、なんだか面白くなったわよね」

「昔は怖かったけど、最近ちょっと好きかも……」

「推せるかもって思っちゃった、なんて」


 若い令嬢たちのそんな囁きが、舞踏会やお茶会の端々で漏れ聞こえるようになっていた。


 しかし同時に、


「急にキャラ変した?」「なんか裏がありそうで怖い」


 といった疑念の声も根強く残っている。今の自分は、興味と疑いの両方を向けられる不安定な存在だ。


 寝台の上で膝を抱えるレティシアの手は、小刻みに揺れていた。



(……注目されるって、こんなにも怖いことだったのね)


 恐れもある。けれど、どこかで期待もある。


《でもさ、それこそ“炎上予備軍”だよ。VTuber界なら、それってむしろチャンスなの》


(炎上予備軍って……私、炎魔法なんて使わないけど?)


《そう、だから火がつく前にこっちで“演出”して、注目を支配しちゃえばいいのよ》


 レティシアは重く息をついた。だが、内心ではエリスの言葉に一理あると感じてもいた。


 正体を隠して生きるには、目立たず静かに振る舞うのが定石だ。しかし、もうすでに目をつけられてしまった以上——



(だったら……先手を打つしかない)


 “恐れるのではなく、攻める”。それが配信者の信条だと、エリスは以前語っていた。


 枕元の指輪にそっと触れながら、レティシアはつぶやいた。


(分かったわ、エリス。目立つって、具体的に何をすればいいの?)


 鏡台の前に立つと、レティシアの目がすっと据わった。

 不敵な笑みを浮かべるその姿は、かつて恐れられていた“悪役令嬢”とはまるで違っていた。


《——任せなさい。次は“配信者”らしいこと、やってみようじゃない》


 鏡の中の自分に向かって小さく頷く。



 * * *


 朝食後のサロン。レティシアは湯気の立つ紅茶を口に運びながら、ティーカップ越しに鏡へ視線を向けた。


 いつもより柔らかな自分の表情に、どこか違和感を覚える。穏やかではあるが、芯が定まらない。昨日のレオンとの遭遇が、今も胸の奥で燻っていた。



(“配信者らしいこと”って……いったい何をすれば?)


 外の天気は申し分ない晴天。だが彼女の心は晴れきらず、霧がかかったようだった。


《ふふ、迷える令嬢さん。答えは簡単。“キッチンダンス”、やってみなさいよ》


 エリスの快活な声が、指輪から弾けるように響く。いつも通りの調子。だがレティシアには、その明るさがやけに頼もしく思えた。


(キッチンダンス……って、なに?)


《侍女のクレアに聞いたんだけど、庶民の間で流行ってるらしいのよ。パンをこねながら腰を振ったり、鍋をかき混ぜながらステップを踏んだり。リズムに乗せて動くってだけで、料理が何倍も楽しくなるらしいわ》


 あまりに突飛な案に、レティシアは呆れ半分、笑い半分の吐息を漏らした。


「それを貴族である私が真似ろと?」


《真似するんじゃなくて、逆輸入するの。貴族がやることで“価値が生まれる”ってこと、あんたもわかるでしょ?》


 それは皮肉にも、今までレティシア自身が“してきた側”の理屈だった。


 格式、伝統、上品さ——それらを盾に、庶民の習慣を見下ろしてきた側。

 だが今、逆に“庶民の文化を尊重し、舞台に乗せる”ことが、自分の居場所を守ることになるとは。


 けれど、それ以上に、心の奥でふつふつと湧き上がる感情があった。


 控えめながら芯の強い侍女・クレア。几帳面で、目立つことは好まないが、誰よりも丁寧にレティシアの世話をしてくれる存在だ。

 そのクレアが、もし舞台の真ん中で笑ってくれたら——それは、なにより価値のある景色になるかもしれない。



(やってみても、いいかもしれない)


 レティシアは紅茶を置き、そっと立ち上がった。


 その日の午後、彼女は中庭にクレアを呼び出した。


 陽射しの下、整えられた芝生の上に、制服姿のクレアがやや緊張した面持ちで現れる。


「クレア。聞いたことある? “キッチンダンス”って」


 思わぬ言葉に、クレアは目を丸くした。


「えっと……パン屋の奥様が、こっそりやってるって……うわさで……」


「そう。それを、私たちでもやってみようと思うの」


 クレアの目がさらに見開かれる。


「私たち……が?」


「そう。あなたたちが主役。私は演出側。衣装も少し工夫して、リズムに乗せて。楽しく、でも美しく。想いを込めて動くのよ」



 一瞬の沈黙が流れた。


 だが次の瞬間、クレアの口元に小さな笑みが灯る。


「レティシア様が……一緒に踊るんですか?」


「もちろん。一緒に。届けるべきものがあるから」


 その言葉に、近くにいた他の侍女たちも目を丸くし、そして小さく笑い合った。



「それ、ちょっと楽しそうかも……!」


「わたしも、踊れるかな……」


《あんたたち、思った以上にノリいいじゃない。うんうん、これぞ“踊ってみた”の真髄!》


 笑いと期待が入り混じる空気が、ゆっくりと中庭を包み込んでいく。


 レティシアは指輪に触れながら、心の中でそっとつぶやく。



(声がなくても、私には届けたい想いがある。だったら、体ごと伝えればいい)


 音楽も、スポットライトもない中庭。

 けれどその時、確かにそこには“舞台の気配”が漂い始めていた。


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