第2話 毒舌令嬢、VTuber流を学ぶ
朝日が昇り始める頃、アルヴェル邸の屋敷内は静かな活気に包まれていた。
前夜の出来事がまるで夢のようだったと錯覚しそうになるが、レティシアの指にはめられたままの指輪が、それが現実だったことを確かに物語っている。
(……やるって決めたんだから)
レティシアは鏡の前に立ち、深呼吸を一つ。今日からはエリスの“声”を借りて話す練習が始まる。
「まずは、基本のあいさつからよ。いい? おはよう、侍女たちにそう声をかけるの。ちょっと高めの声で、威圧感は抑えめに」
(そんなに簡単に……)
しかし、レティシアの心の戸惑いも構わず、エリスは“代弁”を始める。口の動きに合わせて、彼女の声が響く。
「お、おはよう……って、ちょっと! 表情が硬すぎるわよ! 顔に“感情”が載ってないって感じ!」
(今のはあなたの声でしょう!?)
「でも心がこもってないとね。ニュアンスが変になるのよ、演技って奥が深いの」
最初は、エリスの調整も上手くいかず、レティシアの口調はどこかたどたどしく、ぎこちなかった。
だが数回のやり取りの中で、エリスはレティシアの語調と癖を見抜いていく。
「ちょっと強気、でも突き放しすぎない。威厳は保ちつつ、刺々しさを抑えるのがポイントね。……はい、もう一回!」
次第に、侍女たちの目がレティシアに向き直る。違和感を覚えながらも、どこか昨日とは違う柔らかさを感じ取ったのか、返事もどこか丁寧になる。
(うまく……なってる?)
「でしょ? さあ、今日からは“アンチ対応”と“炎上回避”を本格的に学んでいくわよ!」
(……なんだか、不穏な単語ばかりなんだけど)
「大丈夫よ。言葉一つで人の印象は変えられる。あなたの第一印象、今日から塗り替えていくわ」
レティシアは、鏡の中でほんの少し微笑んだ自分を見つめる。
(……大丈夫かしら、本当に。こんな調子で乗り切れるなんて、とても思えない)
そんな不安をよそに、エリスはやる気に満ちた声で言い放つ。
「じゃあ次のステージに進みましょうか。“お茶会”に乗り込むわよ!」
(……でも、誘ってくれるような友達なんてもう……)
「格の高い貴族たちは、今のあなたなんて相手にすらしないでしょうね。だから狙うのは——気の弱そうな男爵令嬢あたりよ」
(ちょ、ちょっと……!?)
「ゴリ押しで構わないわ。下級貴族の集まりなら、うまく話を合わせればなんとかなる。まずは“空気を和ませる役”に徹して、徐々に信頼を勝ち取るの」
(……そんな人たちの前に、今の私が出て行くなんて……)
レティシアの心がすくみかけたその瞬間、
「大丈夫。私がいるじゃない。あなたは“演じる”だけ。台詞と心の準備はこっちで全部ナビするわ」
エリスの頼もしすぎる自信に、レティシアは思わず念話で小さく嘆く。
(あなた、少しは人の気持ちってものを……)
「あるわよ? でもそれ以上に、あなたの今後を本気で考えてるの。これはあなたの再起戦なのよ」
結局、エリスの押しの強さに負ける形で、レティシアはお茶会への出席を決意する。
お茶会当日。
応接間の鏡の前で、レティシアは自分の姿を見つめる。ドレスの色は落ち着いたモーヴグレー、髪型も派手さを抑えてまとめた。
(本当に、こんな格好で良いのかしら……)
「バッチリよ。“反省しました”感が全身から滲んでる」
(それ、褒め言葉?)
「もちろん。今日のコンセプトは“見た目で反省、言葉で逆転”! さあ、じゃあ歩き方の最終確認いくわよ」
そうして直前まで細かく段取りを叩き込まれたレティシアだったが、不安が消えることはなかった。
それでも扉の前に立ったとき、彼女はほんの少し背筋を伸ばすことができた。
令嬢たちの目が、扉の開く音に一斉に振り向く。
白いテーブルクロスに金の縁取りのカップ、香り高い紅茶の香り——だが空気は、見た目とは裏腹に刺々しい緊張感に満ちていた。
(見事に歓迎されてないわね。ま、予想通りだけど)
「落ち着いて、レティシア。最初は“反省したふう”を装うの。ほら、あまり睨まない」
(睨んでない。真顔よ、これが)
一人の令嬢――リーダー格とおぼしき、切れ長の目をした伯爵家の令嬢が、静かにカップを置き、唇の端をわずかに吊り上げて挑発的に口を開く。
「まあ、レティシア様。意外にお元気そうですわね」
(あら、皮肉のつもり?)
レティシアはぴくりと眉を動かし、あからさまに不機嫌そうな顔をした。
(……ああもう、その顔! ほら、顔!)
エリスの焦り混じりの突っ込みが念話で飛んでくる。
レティシアは無言のまま、スッと椅子に腰を下ろし、あえてカップに手を伸ばすこともなく、ゆったりと脚を組んだ。
(無言の圧で返してやるわ。どうせ何を言っても反感買うなら、黙ってるほうがマシ)
だがその態度がかえって、令嬢たちには余裕のように映ったのか、一瞬の静寂が場を包んだ。
さらに別の令嬢が、おずおずと話を振る。
「噂では……呪われた、って」
(来たわね、その話題)
レティシアはあえて表情を動かさず、口元だけをわずかにほころばせる。
「ええ、呪われてるわ。実に厄介な呪いで、治療にはちょっとした“おしゃべり好きの精霊”が必要なの」
エリスの声が、レティシアの口を通して響く。
一瞬の沈黙の後、くすりと誰かが笑い、それが連鎖のように広がっていく。場の空気が、ふっと和らいだ。
(あれ……今、笑った?)
「ナイスよレティシア! その調子。皮肉は一歩引いて笑いに昇華する、それが“炎上回避術”!」
(……なにそれ、厄介なスキル)
けれど、その“厄介さ”が、今の自分には必要なのかもしれない。
テーブルの上で揺れる紅茶の表面を見つめながら、レティシアはほんのわずかに微笑んだ。
お茶会の帰り際、令嬢たちは形式的ながらも丁寧な挨拶を交わしていく。その中の一人が、ふと立ち止まり、戸口にいるレティシアへと視線を向けた。
「今日の貴女、少しだけ素敵だったわ」
ぽつりと、それだけを告げて去っていく。
(……どういう意味? 皮肉じゃなくて?)
だが、その背中からは冷笑も悪意も感じられなかった。
戸惑いとともに、胸の奥にほんのりとした温かさが灯る。まるで、かつて忘れていた何かが戻ってきたような——そんな感覚だった。
* * *
夜。レティシアの寝室には静けさが満ちていた。
カーテンの隙間から差し込む月明かりの中、ベッドに腰掛けたレティシアは、手元の指輪をそっと撫でる。
(ねえ、エリス……)
(……あら、ようやく名前で呼んでくれた)
エリスの声は、どこか柔らかくなっていた。
(今日は……助かったわ。あんなふうに笑われたの、久しぶりだった)
「それはよかった。でも、油断しちゃダメよ? 世の中の笑いの裏には、炎上の火種もあるんだから」
レティシアがくすっと肩を揺らすと、エリスの声にも微かに弾みが混じる。
「ねえ、レティシア。私、かつて“桐島エリス”って名前で活動してたって言ったでしょ? 最初は、誰にも見向きもされなかったの。コメントはゼロ、再生数もひどくて……誰にも期待されてないって、本当に苦しかった」
(……そんなことが……)
「でもね、ある日ひとりだけ、見てくれた人がいたの。『面白かった』って、たった一言。それだけで、心がふっと軽くなった。嬉しくて、泣きそうになったわ」
「それから少しずつ、笑ってくれる人が増えて、言葉をかけてくれる人も増えていって……私はようやく、“誰かに必要とされてる”って思えるようになったの」
(必要とされる……)
「それが、私にとってどれだけの救いだったか。だから、あなたが今、誰にも届かないって思ってるなら——大丈夫。私が、あなたの“声”になる」
レティシアは指輪をそっと握りしめ、静かに目を閉じた。
(……ありがとう、エリス)
その言葉が胸に灯り、レティシアは静かに目を閉じる。夜はまだ深く、けれどどこか、世界が少しだけ優しくなった気がした。
……が。
「よーし! じゃあ次の作戦、いってみようか!」
(……は?)
「次は“敵視してくるライバル令嬢”を落とすわよ。あの子、めちゃくちゃクセあるけど、攻略できたら一気に評価爆上がり間違いなし!」
(……いや、それはさすがにハードル高すぎるわ)
「でも、ライバルポジションってね、いったん距離を縮められれば“最高の相棒”枠になるのよ。ライバルから親友へ、王道展開ってやつ!」
(……エリス、それってまるで芝居か何かみたいね)
「違うわよ! これは“社会的ポジション改善シナリオ”! ちゃんとした戦略です!」
(はぁ……せめて一晩くらい、余韻に浸らせてほしいんだけど)
「甘ったれるのもいいけど、チャンスの波は自分で掴みにいかなきゃ! さあ、明日は“微笑み強化練習”から始めるわよ!」
(……微笑みを鍛える訓練なんて、貴族の礼儀作法にもなかったと思うけど)
エリスの軽快な声が、指輪越しに響く。
レティシアはため息をつきながらも、どこか笑いをこらえるように口元を緩めた。
こうして、“毒舌令嬢”と“元トップVTuber”の奇妙な共同作戦は、次なるステージへと続いていく——
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