第0+0.5話
斎木理子は、いつも風の音を聴いていた。
その日の放課後も、教室に残ってひとり、席に座っていた。窓からの風が、カーテンの端をゆるく揺らしていて、天井の蛍光灯はまだ点いていなかった。自然光のまま、静かに沈んでいく教室。夕方の空気は肌にまとわりつくような湿気を持っていたが、それが嫌ではなかった。
窓のそばは、少し冷える。でもそのひやりとした空気に包まれていたほうが、余計なことを考えずにすんだ。
──なぜ、あのとき志摩くんの手を止めたんだろう。
自分でも、よくわからなかった。風が止むと、何かも一緒に止まってしまう気がした。
風の音は、ざわざわとした他人の声を少しだけ遠くしてくれた。
閉じられた窓は、世界とのつながりを断つようで、息が詰まりそうになった。
あの「そのままで、いいよ」は、言葉というより、反射だった。
志摩くんはそれ以上、何も言わなかった。その無言のまなざしが、ずっと頭に残っていた。何かを理解したような顔。けれど、それを口にしないという選択。
──もしかしたら、あの人もどこかで風を頼りにしてるのかもしれない。
そう思ったとき、胸の奥に小さな痛みが走った。
ひとりでいた時間が長すぎたせいかもしれない。何かを言い出す前に、先に言葉が崩れてしまう。たとえば「寒くないの?」と聞かれたら、どうしていいか分からなくなる。優しさはありがたいけれど、それを受けとるには、なにか重たい手順が必要で、それをまだ覚えられていない気がしていた。
──だから、言葉じゃなくて、ただ風を通したかっただけ。
音も、視線も、感情も、まっすぐなものがいつも苦手だった。
それを斜めから受けとめるようにしか、生きてこなかった。
教室にひとり、斎木はその日、何もせずに椅子に座っていた。
ただ、風の抜ける音を聴いていた。
その中に、まだ誰にも知られていない「自分のままの感じ」が、ひっそりと残っている気がしていた。
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