14. ちゃんとむくわれろ

 会場に入る前から人混みに酔っていたというのに、所せましと並ぶブースと、それらをうように歩く大勢のひとびとを見ていると、よりいっそう心身にこたえてきた。


 しかしこの光景から、「ひと」の本質のようなものが垣間かいま見えた気がした。


「ひと」は本質的に平等なのだ。ニートだろうと、ニートでなかろうと、「ひと」は平等なのだ。「ひと」のなかにいるのだという実感が、その当たり前の事実を、認識の影から奪回してくれた。


 革命と生命。抗生物質と生命。あらゆる痛苦からの解脱と生命。なにかしらの悲嘆からの逃走と生命。肯定と否定と生命。動態と静態と生命。攻防と生命。水平と垂直と生命。おれたちは、そんな対立軸をならして、ただ「生命」と表現されるべきものを追求するしかないのだ。


 、均一、均等、均整、おれたちは、なのだ。


     *     *     *


 さて、おれは、目の前にいる司馬島卯湖しばしまうこという「ひと」の印象を、黙って数え上げていく。


 うまく微笑むことができないひと。そういう印象。おれと同じだ。


 応対は丁寧で、細やかな気配りができているのに、ポジティヴなイメージを抱きがたいのは、このことが原因なのだろう。そう、それだけが原因なんだよ。腹立たしいことに。うまく笑えていないってだけで、こんなに損するもんかね。


 思春期の終焉とともに失墜しなかった、すごく単純で素朴な言葉を使えば、。うまく笑顔が作れていなくても、このかわいさは損なわれていない。


 一度も髪色を変えたことがないんだろうなとか、長い髪を洗うのって大変だろうなとか、眼鏡のフレームが高そうだなとか、どこにいったらそんなオシャレな服が売っているんだろうなとか、美しい花の香りというのは、必ずしも比喩ひゆじゃないんだなとか、POPの文字がいじらしいほどにキュート、これ、彼女が書いたものだったらいいなとか、詩集を読むのが趣味でリボンが結んであるしおりを使っていそうだなとか、ウソをつくためには命をす覚悟をしなければならないくらいに臆病なんだろうなとか、おれと同じくらいの背丈かもしれない、ということは百七十センチ前後なのかなとか、お姫様抱っこをしてもダッシュできそうなくらい軽そうだなとか、なとか、だなとか、だなとか、だなとか、使だなとか、ほかにもいくつもあるけれど、司馬島卯湖から感じられるのは、そういう印象。


「お手紙ってお渡ししても大丈夫ですか?」

「お手紙……ですか?」

「ええ、ファンレターです」


 新藤しんどうは、ちゃんとした便箋びんせんをカバンから取り出した。好きな物書きにファンレターを渡しているひとをはじめてみた。


 うまく笑えていないけれど喜んでいるようだし、はた目から見てて素直にいいもんだと思ったが、一方のおれは、設定された金額を支払っただけだ。


 だというのに、ちゃんとお礼を言ってくれたし、無配のペーパーとか、栞とかと一緒に、本を手提てさげに入れてくれた。


 あんたは、ちゃんとむくわれろ。おれは、強く思った。

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