第29話 犯人



 ずきずきと頭が痛む。


 顔を歪めつつ唸り声をあげた私は、静かに瞼を持ち上げた。目の前がぼんやりとして視点が合わなかったが、少し経ってからようやく周りの景色がわかるようになる。


 まず視界に入ったのは古い壁と、ぼろぼろの小さな机だった。机の上には埃が被っており、人が住んでいなさそうな気配を感じる。部屋はあまり広くはなく、机のすぐ横に外へ通じると思われる扉が一つだけあった。左手には小さな窓らしきものがあったが、布で覆われており外の様子は全く見えない。


 体を起こすと、またしても頭痛に襲われる。そこで、自分の手が後ろで縛られていることに気が付いた。驚いて体を見下ろすと、黄ばんだシーツが敷かれた古いベッドの上だった。見たことがない場所だ。


「え、な、なに……?」


 紐をほどこうと体をばたつかせるが、しっかり固定されているようでびくともしない。


 バクバクとうるさく鳴る心臓を落ち着かせて冷静になるよう自分に言い聞かせる。何が起こったの? 何があったっけ。


「あ、そうだ、火事があって……!」


 火を消そうと外に出た途端、頭を殴られたような感覚があって気を失っていた。気がついたらこの部屋、というわけだ。ということは、誰かが……。


「目が覚めた?」


 声がしてはっと後ろを振り向く。今まで気付かなかったが、ベッドの隣には小さな椅子があり、そこに人が座って私を後ろから眺めていたらしい。彼はだらりとだらしなく背もたれにもたれかかり、脱力した状態でこちらを見ていた。


「……ハリス?」


 唖然としてその名を呼ぶ。すっかり憔悴した様子のハリスが、どこか焦点の合わない目で私を見て微笑んだ。一気に恐怖が押し寄せ、自分の唇が震えるのが分かった。


「ごめん、痛い思いさせて……そうしないと、アンナは二人になってくれないだろうから……」


 ハリスが着ていたシャツは、先日会った時と同じもののようだった。皺だらけで汚れも付着しており、お世辞にも清潔感があるとは言えない。顔色は悪く、髪もぼさぼさになっていた。


「ど、どうしたの、ハリス……あなたがやったの?」


「アンナ。君ともう一度だけ話したい」


「も、もしかしてあの火事もあなたがやったの!? あの後火はどうなったの!??」


 最後に見た光景は、家の周りの木々たちが勢いよく燃えている様子だった。あのあと、火はどうなったのだろう? 精霊たちは、街の人たちは? ノアは帰ってきたのだろうか。家は大丈夫だと思うけれど、あの炎で被害がないわけがない。


 ハリスは力なく笑った。


「こんな時に人の心配かあ。アンナはさすがだな」


「ふざけないで答えて!」


「……あの家は普通の家じゃないね」


 ハリスの声色が変わる。どこか恐ろしい色をした目で、ぼんやりと壁を眺めている。


「あんなにボロなのに、壊そうとしても壊れないし火もつかない。侵入しようとしても、ドアも窓もびくともしない……あの男が魔法ってやつで何かやってるんだろ」


「……それって……家に入ろうと試した、ってこと……?」


「こっそり入ってアンナと話せられたらそれでよかったのに、上手く行かないから出てきてもらうことにしたんだ。あの男も一緒に出てくるかなあ、と思ってどうしようか困ってたんだけど、アンナ一人だから驚いた。神様は俺の味方かな」


 さーっと血の気が引く。つまりハリスは、私とコンタクトを取りたいがために火をつけて外に出てくるようにしたのだ。それもたまたま、ノアがいない時に。最悪の偶然だと思った。ノアは玄関を使わず魔法で外出するので、外から見ていてもいないことはわかりにくいはずなのに。


 彼はふふっと笑う。


「それに、あの森で火事が起こると街の人たちも大騒ぎになって混乱してたからね。アンナを誰にも見つからずここに連れてこられた」


「ここは、どこなの……?」


「街のはずれにあった廃屋だよ。誰も使ってないし人通りも少ないから、気づかれない」


「こんなことまでして、何が目的なの!?」


 私が尋ねると、ハリスがゆっくりこちらを見た。感情の色が見えない瞳に、恐ろしさが増す。彼はいつも優しくて笑っていて、花屋の仕事を頑張っていて、こんな人じゃなかったはず。


「一緒に帰ろう、アンナ。もう一度俺とやり直そう」


「……何を言っているの?」


「大丈夫。俺、今度は間違わないから。アンナだけを一生大切にするって誓うよ」


 にっこり笑って言うハリスだが、その笑顔は今まで見てきた笑顔とはどこか違った。作り物のような、人形のような笑い方なのだ。


 私は首を横に振る。


「言ったでしょ……私はもうあなたに気持ちはない。新しい道を歩き始めてる」


「はははは! 新しい道かあ! よく言えるね、君がいなくなってから、俺がどんな毎日を送っていた思う?」


 高笑いをした後、ハリスはどこか天井をぼんやり見つめながら淡々と言う。


「婚約がなしになって、アンナが街を出て行ったことはみんな気づいていたよ。仕事も辞めたって凄い噂が流れて……俺とミランダのことも知れ渡ってしまった。あの夜、ミランダと俺が君の家から追い出された様子を見ていた人がいたらしくてね。そこからは大変だ。友人たちには強く責められた挙句、みんな離れていって誰も味方はいなくなった。白い目で見られて、肩身が狭い思いをしたよ」


「そんなの私も同じだよ。あれだけ盛大に婚約を祝ってもらいながら破棄になったってひそひそ言われながら見られて、耐えられなかったから街を出たの!」


「アンナはいいよ、家族もいないし一人で自由に動けて! 俺はどうだと思う? 両親の店を継ぐ予定だったから街を出ることもできやしない。しかも……あの件以降、ガクッと客が減って売り上げは半分以下になったんだぞ。周りはみんなうちで買うのを避け始めたし、元々君が働いていたレストランは、うちの取引先だった。それがアンナがいなくなった後、違う店に変えられて……」


「……え」


 それは知らなかったので驚いた。ハリスの両親は凄くいい人で、幼い頃から私の面倒も見てくれた第二の親だった。最後に別れの手紙を出してきたが、まさかそんなことになっていたとは。


 ハリスは悔しそうに握りこぶしを作り顔を歪める。


「毎日毎日赤字続き。でも父さんも母さんもアンナを責めなかった。むしろ、なんてことをしたんだって俺は殴られて毎日泣かれて……地獄みたいだった。両親にも幻滅され、友達はいなくなり、生活は苦しくなって……俺はそうやって苦しい思いをしていたのに、お前はなんだ? 他に男を作って、自分は料理人として成功してる? なんでなんだよ!」


 唾を飛ばしながら叫ぶハリスの目が、真っ赤に充血している。その形相はまるで別人のようだった。プロポーズの時、優しい顔で花束を渡してくれた彼は、もうどこにもいない。


 私は明るく優しい彼のことが好きだったのに。


「……ハリス……」


「でも……アンナが気持ちを改めて一緒に帰ってくれれば、この状況も変わると思うんだ。話し合って愛を確かめ合った、って。これからは二人で力を合わせて生きていくんだってみんなに説明すれば、きっと応援してくれる。友人たちも戻って来るし、店だって活気を取り戻せるに違いない。だから、ね? アンナ、帰ろう。俺は絶対にもう間違わない。そもそも、ミランダはどうしても思い出が欲しいっていうから一晩だけ慰めただけで、本当に好きなのはアンナだったんだよ」


 ハリスがそっと私の頬に触れようと手を伸ばしたが、私はそれを避けるように顔を背けた。ハリスがそれを見て無表情になる。


「あなたは……結局、自分が一番好きなのね……今自分が苦しいから、辛いから、その状況を何とかしたくて私を連れ戻しにきたんだ。私を愛していたからじゃない。そんな人と、どうして一生を歩いていこうと思える?」


 震える声で私が言うと、ハリスがカッと顔を真っ赤にさせた。


「どうしてたった一度の過ちも許されないんだよ! 一回だけ、一回だけだぞ? 人間誰だって間違うことはある。なのにやり直す機会も与えられないなんて変だろう! あれっぽっちのことで、俺の人生はめちゃくちゃになってしまった。どう考えてもおかしい!」


「……それがあなたの本心なんだ……」


「アンナ、君はよく考えた方がいい。幼い頃からずっと一緒にいて、俺たちはどこにいるのも一緒だった。俺ほどアンナを分かってる人間なんていないんだよ。二人で街に戻って、穏やかに暮らすのが一番幸せなんだ。君はあのレストランに戻ればいい。そもそも、本来なら結婚したらうちの花屋で働くのが普通なのに、俺はアンナが外に働きに出るのを許してる。それがどれだけ寛大なことかわかる?」


 べらべらと壊れたように話し続けるハリスの姿を見て、私の目に涙が浮かぶ。


「俺たちが過ごした時間は、こんなすぐに壊れたりしない。あれだけ長く一緒にいて培った二人の関係を、今一度見直そう。そうだ、子供をたくさん作ろう! そうすれば父さんたちも街の人たちも、過去のことなんて忘れて俺たちを応援してくれるよ。そうに違いない。アンナ、一緒に帰るって言ってくれ」


 私の頬に涙が伝い、ぽたぽたと汚れたシーツに落ちて水玉模様を作った。縛られているため涙を拭うことすら出来ず、ただひたすらに零し続ける。


「アンナ?」


「……あんなに長く一緒にいたのに……私はあなたがそんな人だって、ちっとも気づかなかった。楽しい思い出もいっぱいあったはずなのに、今は悲しい事しか思い浮かばない。これまでの時間が否定されたような気がして悲しいのは、私もなの」


「アンナ、これからまた一緒に楽しい時間を作ろう!」


「ふざけないで!!」


 喉が痛くなりそうなほど叫び、涙が飛び散った。



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