第18話 料理、完成。
私が足を止めると、ノアが不思議そうに見てきた。私は静かにゆっくり振り返り、じっと青いドレスを見つめる。
さっきまでの不安な気持ちが吹き飛び、何かが目覚めたようだった。私の様子の変化に気づいたのか、向こうはややたじろいでいる。
「な、なに?」
「ノアを馬鹿にするのは止めてください」
「……え?」
「彼は私にとって恩人でもあります。私だけじゃなく、街の人たちも彼に救われています。真面目で優しくて、決して人を馬鹿にしたりなんてしない、素晴らしい人です。あなたにはもったいない!」
カッとなって、ついそう大きな声が出てしまった。相手はぽかんとした顔で私を見ている。
自分が嘘つき呼ばわりされたことより、ノアの悪口を言われた方がずっと嫌だった。確かに彼は明るい人じゃないし部屋はすぐ散らかすし、褒められたら挙動不審になる変わった人だ。
でも、刃物が使えないと言った私を馬鹿にすることもなく理解してくれた。命も助けてくれた。こんな人たちに馬鹿にされていい人じゃない。
私は隣のノアを見上げ、呆気に取られている彼に言う。
「料理、作ります」
「……えっ」
「厨房を貸してもらって、簡単な物を作ります。せめて、家政婦ではないということさえ証明したいです。いいですか、ノア」
「ですが、あなたは」
刃物が使えないのでは。
彼が目でそう言ってくる。私はそれを読み取り、微笑んだ。
「気合で何とかします」
そう小さな声で言うと、ノアはぐっと口を固く閉じた。青いドレスの女性は私が話を受けるとは思っていなかったようで、戸惑ったように視線を泳がす。
「まあ……本当に腕を振るうつもりなの」
「やれとおっしゃったのはそちらです。すぐに案内してください。厨房のほんの隅を使わせて頂けたら結構です。時間も取らせませんから」
私が本気だということが向こうにも伝わったらしい。彼女はキッと目を吊り上げて、私を見下ろすように睨みつけた。
言われた通り一旦ドレスを脱いで借りた制服に着替え、ノアと二人で厨房へ向かった。思っていたよりずっと広い場所で、私が働いていたレストランより人が多かった。
案の定、突然厨房を使わせてくれと言ってきた私やノアを、他の料理人たちは怪訝そうに見ていた。まあ、当然の反応だろう。大事なパーティーの最中、とんでもなく忙しいときに、見知らぬ人間が入り込むのだ。私だっていやな気持になると思う。恐らく、偉い家柄の人に命令されて言うことを聞くしかなかったのだ。
だが、数人は事情を知っているらしく、私とノアに優しく話しかけてくれた。簡単な調理器具と、使ってもいい食材や調味料を紹介してくれた。時間もないだろうに、ありがたい限り。
そして、一人は私の元でじっと観察するらしい。当然だ、料理してる最中に何かを混入させることも可能だから。いくらノアがいると言っても、見知らぬ人間を放置はしておけないのだろう。
「お忙しい中すみません。なるべく早く終わらせますので」
私はそう言って、まず何を作ろうか考える。
ちらりと見えたパーティー用の料理……やっぱり豪華で美味しそうだった。彩も美しく、高級食材も多く使われていたなあ。
ちらりとまな板の隣にある食材を見る。これらを使って何を作るか、それにかかってる。
しばらく考えた後、私は大きく深呼吸をして心を落ち着かせた。
大丈夫、きっと大丈夫。
だって、ハリスとの別れからもう一か月以上経っている。その間、優しい街の人たちや精霊に囲まれ、楽しく毎日を送ってきていた。忙しくも笑顔の絶えない時間で、次第にハリスを思い出すことは少なくなり、あれほど痛んだ胸の傷も、最近は痛みを感じなくなっていた。
それもこれも、ノアが私に居場所をくれたから。失った料理人としての仕事も与えてくれ、自信を取り戻してくれた。今度は私が、ノアに恩返しをしたい。
ずっと刃物は使っていなかったけれど、きっともう克服できているはず。
私は少しして心を決めると、しまってあった包丁を取り出して手に取った。久しぶりの感覚。ごくりと唾を飲み込み、銀色に光る包丁をちらりと見た。
丁寧に研がれているであろうそれは、くもり一つなく光っていた。少し動かしてみると、そこにちらりとノアの顔が映った。
……あ……
ぶわっと黒い嫌な物が流れ込んでくるような感覚。一気に動悸が起こり、あの時の悲しい気持ちと、汚らわしく思った気持ちが甦る。毎日母のドレッサーの鏡を磨いた父の姿や、そこで髪を結う自分の姿が流れた。そして、そこに映る好きだった人たちの姿。
だめ……手を離してはだめ。
一度離してはもう握れない気がした。少しの間だけ、踏ん張るんだ自分。自分が自分をコントロールできなくてどうする。
「あの……大丈夫ですか? 顔色が」
心配そうに料理人の人が言った。
私の額には汗が浮かび、全身はぐっしょり汗をかいていた。包丁を持つ手は震え、ピクリとも動けずにいる。
こめかみに汗が伝わった嫌な感覚を覚え、ゆっくりと唾を飲み込む。
「……は、い、大丈夫、で」
「アンナ」
そのとき、そっと背後から手が伸びてきて、包丁を握る私の手をノアが握った。冷たくひんやりした体温が、なんだかノアらしいとぼんやり思った。
「落ち着いて。私が力を貸します」
彼の声が、どこか心地よく耳に入ってきて、私は少しだけ包丁を握る力を弱める。
「深呼吸して」
彼の言う通り、私はそっと息を吐いたり吸ったりした。頭の中に蘇った記憶達も、空気と一緒に外へ出て行ってくれるよう願う。呼吸を落ち着かせると、ぴったり寄り添うように立つノアの体温を背中に感じた。
ノアはその後、何かを囁いた。私には聞き取ることが出来ないほどの小さな声だった。
するとその次の瞬間、私が持っている包丁がみるみる色を変える。水に絵の具を垂らしたように、徐々に銀色に黒色が広がっていき、なんだか生きているように見えた。あっ、と自分の口から小さな声が漏れる。
包丁はあっという間に黒色に変化した。持っている感覚は何も変わりはない。
「ノア、これ……」
「色を変えただけなので、他は何も変わっていません。アンナの料理が終わったらもとに戻します。これでどうですか?」
私は真っ黒になった包丁をぽかんとして見た。艶のない黒で、形は包丁だがまるで別物のようだ。そこに私の顔は映らず、先ほどまでの震えや不快感は一気に引いた。
凄い、包丁の色を変えてしまうなんて……と感激すると共に、そういえば一階のバスルームの鏡も、魔法で私が使えるようにしてくれていた。彼からすれば、なんてことないことなのだろう。
そう思うと同時に何か引っかかったが、今は気にしている余裕もなく、私はノアに振り返って笑顔を見せた。
「ノア、ありがとうございます……!」
「切れ味はそのままですから、気を付けて」
「はい!」
久しぶりに握る包丁だ。私は意気込んで、近くに置いてあったトマトを手にし、その中央に包丁を滑らせる。
するり、と入り込みトマトは真っ二つになった。この感覚……なんだか懐かしい。
「いけます、ノア!」
私はそう彼に力強く言うと、ノアはわずかに微笑んだ。そして私は、ここまで協力してくれたノアのためにも、絶対に美味しいものを作るのだと意気込んだ。
ノアは嘘つきなんかじゃない。私は婚約者としてふさわしくないのは変わらないだろうけれど、せめてノアが嘘をついてないということだけでも証明したかった。
しばらくして、会場に足を踏み入れる。中は優雅な貴族たちで溢れかえっており、皆グラスを片手に慎ましい笑顔を浮かべている。
そんな中、青いドレスを着た女性がこちらに気が付いた。驚いたように目を丸くし、私とノアを見る。
「本当に料理してきたの……?」
小さな声でそう呟いたのが私にも聞こえた。尻尾を巻いて逃げ出すと思っていたのだろうか。
私たちに彼女が近づくと、他の人々も気づいたようで視線が集まってくる。
「まあ……料理人の制服をお借りになったんですね。とってもお似合いです、それだけで料理人が嘘じゃないってことが分かりますわ! ドレスよりお似合いですもの」
彼女は笑いを含めた声でそう言った。周りの人はそれを聞いて小さく笑っている。
ノアが何か言おうとしたのを遮って、私はにっこりと答えた。
「そうでしょう! だって、私の本業はこっちですから。ドレスを着てうふふあははと笑っているより、ずっと合っていると思います。やりがいもあって楽しい仕事です」
あっけらかんとしている私に苛立ったのか、彼女は少し眉を吊り上げたが、話題を変えるように私の顔を覗き込む。
「それで、何を……?」
「スープです」
「はあ、スープ??」
眉を顰めて聞き返される。
「はい。パッと見たところ、用意されている料理は全てとても手が込んでいて、さすが高級なものばかりみたいです。味付けもこだわりがあり、しっかりしたものが多いでしょう。なので今回、あえて優しい味付けにしました。胃にも優しいですし、ちょっと休憩するのにどうかと」
そう言うと、ノアが指先をくるりと回す。私たちの背後から、大きな鍋がふわりと浮いて会場に入ってきた。会場はどよめき、皆口々に『魔法だ』と驚いている。やはり、魔法を直接目にする人間はそう多くないらしい。
ノアが運んでくれた鍋は静かに空いている場所に置かれた。
素材の味を生かしたスープは、父が私によく作ってくれたものだ。
実は一番最初にノアにふるまったのもこれだ。彼やアレンが美味しいと言ってくれたスープは、私の得意料理でもある。高級素材は特に使っていないが、懐かしい味のする、体にいいスープだ。特に今回の場合あまり時間もなかったし、食材も限られていたので、作れる料理の種類は知れていたのだが。
私は鍋の蓋を開けてそれをよそう。ふわりといい香りが漂い、近くにいた夫人がおずおずと私に近づいた。少しぽっちゃりした、五十代くらいの女性だ。
「くださる?」
「どうぞ」
それを筆頭に、物珍しそうに人々が集まる。見た目も味も派手ではないが、高級食材ばかり並んでいるこの会場ではそれがむしろ人目を引くのかもしれない。それを見て、青いドレスの女性は顔を顰めたが、渋々一つ手に取った。
みんなが一斉に口に運ぶ。ドキドキしながらそれを見守っていると、初めにスープを受け取った夫人が顔を綻ばせたのが目に入った。あの表情なら、きっととんでもなくまずいとは思われていないはず。
やった、と口角をあげた時、大きな声が響いた。
「これが料理人が作ったものですか? 私の口には合いませんわね。これを美味しいなんて言う人はそれこそ庶民でしょう」
青いドレスの女性だった。
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