根暗魔法使いと刃物が使えない料理人
橘しづき
第1話 列車で目指す遠い町
いいかい、アンナ。我々の近くにはいないけど、この世に魔法使いという存在がいる。
え? いやいや、お父さんも会ったことはないよ。とても希少な人たちだからね。うん、一度は会ってみたいと思っていたが、都で働いていても会う機会がなく、残念だった。
でも、もしかしたらアンナが大人になった時会えるかもしれない。彼らはとても変わった人たちであることを覚えておくといい。
まず、頭がいい。それはもう、お父さんの何千倍、何万倍も知識があるという。彼らは頭がいいからこそ魔法使いでいられるんだよ。
それから、頭がいいゆえ他の事には疎いことが多いらしい。勉強や研究で手一杯だから、あまり人とも関わらないとか。こだわりが強く、偏屈だと聞いたこともある。
こういうと敬遠してしまいがちだが、魔法使いのおかげで私たちは平和に暮らしていることを、決して忘れてはいけない。彼らの力で、私たちの国は守られているんだよ。
もし会う機会があったなら、感謝の気持ちを込めて接しなさい。
私は今、大切な物全てを失っていた。
ぼんやりと窓の外を見てみると、木々の半分は赤く色を変え始め美しくグラデーションを作っていた。もう秋だな、と心で呟き、汽車に揺られながら窓に体をもたれかける。ひんやりとしたガラスの温度が伝わってくる。
目的地はトルンセル。私が住んでいた町からだいぶ遠いので、これからまだ半日は乗っていなくてはならないだろう。それから、乗り換えも。
ため息をついたところへ、大きなお腹をした中年の男性がやってくる。目で『座ってもいいか?』と尋ねられたので、頷いた。四人掛けの席にはまだ私しか座っていない。彼は向かいの席に腰かけ、帽子を脱ぎながらにこやかに話しかけてきた。
「どちらまで行かれるんですか」
「トルンセルです」
「ほう、これまた遠くまで。お一人で、誰かに会いに行くんですか?」
「はい、叔父に会いに。もう何年も会えていないんです」
「それは喜ぶでしょう!」
目を細めてそう言う彼に愛想笑いを返し、また窓の外を見た。
叔父さんは、きっと喜んでくれる。でもそれより驚き、そして話を聞いたら悲しんでくれるだろう。数か月前、結婚が決まったことを手紙で知らせたばかりだったのに。
叔父は亡くなった父の弟で、幼い頃から私を可愛がってくれた。途中でトルンセルに引っ越してしまってからはあまり会うこともなく、父の葬儀で再会したぐらいだ。でも幼い頃に可愛がってくれた彼は、一人になってしまった私の事をたいそう心配し、定期的に手紙を交換する関係になっている。
母はもっと昔に亡くなった。体が弱い人らしかった。
私は父に育てられたが、裕福とは言えない生活でも楽しく暮らしていた。彼のことは大好きだったし、尊敬もしていた。父と同じ仕事に就くほどに。
私の仕事は料理人だ。つい最近まで、それなりに有名なレストランで働いていた。
この国では、女の料理人はかなり珍しいという。自宅で調理をするのはたいてい女性なのだが、外に出て仕事にすることはまずない。料理人と言えば男性ばかりだ。
というのも、女性は料理一本より、洗濯や掃除も含めた家政婦を仕事にする人が圧倒的に多いからだ。それに、一日中重いフライパンを振る仕事は、やはり男性の方が向いている。なので、私のように料理人を名乗る女はまずいない。
そんな中で私がなぜこの仕事に就けたのかというと、父が有名な人だったからだ。若い頃は王室に気に入られた凄い人だったとかで、かなりの腕前であったと聞く。
そんな父に幼い頃から料理を叩きこまれた自分は、業界の人から見るとかなり重要な存在、らしい。男性ばかりのレストランに入り、毎日料理をしていた。周りの人たちはいい人たちばかりで、仕事もかなり楽しんで出来ていた。
……ほんの一か月前まで。
「私はここで失礼します。よい旅を」
気がつけば正面の男性は目的地にたどり着いたらしく、私に挨拶をした。微笑んでそれを返し、また四人掛けに一人になったことを少し寂しく思った。
だが少しして、一人の高齢な女性が歩いてきた。先ほどの駅から乗ってきたのだろう。ゆっくりとした歩調で歩きながら周りを見回し、私に尋ねる。
「こちら、空いていますか?」
「どうぞ」
「ありがとう」
上品な彼女はにこにこ顔で座り、親し気に話しかけてくる。
「どちらまで?」
「トルンセルです」
「まあ、遠くまでお一人で?」
「はい、叔父に会いに」
さっきとまるで同じ会話を繰り返すと、彼女は懐かしそうに目を細めた。
「昔、夫と旅行で行ったことがあるわ。小さな町なんだけどね、海が見えて景色がいいのよ」
夫、という単語に少し顔が引きつった。それを察したのか、それとも偶然か。彼女は私にいう。
「ご結婚はされているの?」
「……いいえ」
「そう。まだまだ若いものね」
その言葉に私は何も答えなかった。本当は来月、結婚する予定だった、とはさすがに言えなかった。
幼馴染のハリスは、昔から仲が良くよく遊んでいた。
同い年で、近くにある花屋の息子だった。『男のくせに花をよく扱ってる』なんて子供の頃、よくからかわれていたけれど、私がそれを一蹴していたのを覚えている。
花を扱う彼の優しい手が好きだったし、その両親も私にいつも優しくしてくれて大好きだった。父子家庭だったので、一人寂しく留守番する私を支えてくれたのはあの三人だ。
ずっと仲良く過ごし、いつの間にか公認カップルみたいな扱いになっていた。私は彼が好きだったし、彼も言葉には出さなかったものの、いつも一緒にいて大事にしてくれていた。
そして、半年前にプロポーズ。
聞きつけた友人が正式に結婚する前に、お祝いパーティーをしようと盛大に祝ってくれたのがひと月前。いろんな人に祝福され、本当に幸せな時間だった。
正式に結婚してからは私の家にハリスが来る予定だった。父や母との思い出がある家に住み続けたいと希望したのは私だ。でも、家具などは少し変えようと相談し、二人で色々考えて家を飾っていくのは本当に楽しかった。ああ、父が生きていたら、こんな幸せな顔を見せることが出来たのに。そう思うほど素敵な毎日だった。
そんなある日、仕事に行った後体調を崩し、早退することになった私は帰路についていた。フラフラしながら自分の家に着いてみると、なぜか人の気配がする。この家の鍵を持っているのは、私ともう一人しかいない。
もしやハリスが来てるのだろうか、と部屋に入ると、ベッドの上にいる男女を目にしてしまった。
ハリスと、結婚のパーティーを開いてくれた私の友達だった。
二人はすぐに私に気付き、焦った声で騒ぎ出した。それぞれ服を着ておらず、何があったかは一目瞭然だった。
ハリスと選んだベッド。私が洗っておいたシーツ。
言い訳にしか聞こえない言葉を述べる二人を、部屋の隅にあるドレッサーの鏡が映していた。それは、母の形見のドレッサーだった。
それほど高価なものでもないが父は凄く大事にしていて、私も物心ついた頃からその鏡の前に腰かけ、化粧のまねごとをして父を笑わせたものだ。私の宝物だった。母の事はぼんやりとしか思い出せないぐらい遠い記憶の人だったが、そこに座ると母を近くに感じられるような気がしていた。
それぞれを裸のまま追い出し、混乱しながら泣き叫んだ。私はたった一日で、婚約者と友達を無くしてしまったのだ。
ハリスはしばらく家の前で私に何かを言っていたが、無視し続けたらいなくなった。今は会話など出来る状態じゃないのを悟ったのかもしれない。
次の日から二日間仕事が休みだったのは、不幸中の幸いだった。
休みの間は家に籠りきりだった。シーツを捨てて、でもベッドでは寝れなくて、ソファで横になっていた。食事もほとんどせず、ただ寝て過ごす。
部屋の隅にあったドレッサーは、鏡を見るとあのシーンがフラッシュバックして息が苦しくなった。大きな布を掛けて隠し、自分の顔を覗くことすら出来なくなってしまった。あれだけ大好きだった母の形見に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
それでも、働かねばという思いだけはあったので、次の出勤日にちゃんと動いたのを自分でも褒めたいと思う。何も食べられず元気はなかったが、いつも通り笑顔でいるよう努め、こんな時こそ仕事を頑張ろう、と気合を入れていた。
ところが、だ。
厨房に入り、包丁を握ったところで、磨かれたそこに自分のくまのある顔が映った。同時に思い浮かんだのは、やっぱりあの二人の姿。ベッドのきしむ音や声までが脳裏に蘇る。
途端、握っていられなくなり、包丁を手放してしまった。
派手な音を立てて地面に落ちる包丁。震える手。集まる周りの視線。
慌てて拾おうとしても、出来なかった。怖くて全身から汗が吹き出し、とてもじゃないが野菜など切れそうになかった。
私は、『姿を映すもの』が一切ダメになってしまったのである。
例えばガラスに映る自分の顔だとか、そういうものはまだ大丈夫らしかった。やはり一番は鏡で、それに似た、銀色に光るものがとことん苦手になってしまったのだ。
それ以降は地獄のようだった。友人たちにあれだけ祝ってもらったのに、今更結婚をなしにする罪悪感と恥ずかしさ。家の外に出れば、好奇の目で見られ噂されるのが耐えられなかった。
ハリスは何度も家に足を運んでくれたが、私は一度も対応していない。彼と話せる精神状態ではなかった。
休みを取りしばらく籠りつつ、何とか包丁が使えるように一人で特訓したが、まるで状況はよくならず、私は諦めて仕事を辞めた。包丁が駄目な料理人など、使い道がない。
それでも同僚たちは『辞めずに休みということにしておけばいい』『いつかだいじょうぶになる日が来る』と口々に励ましてくれ、本当にありがたかった。でも、それを受け入れなかったのは自分だ。
いなくなってしまいたかった。ハリスとの思い出があまりに多すぎるこの街から、噂が出回ってひそひそこちらを見てくる視線から、逃げ出したかったのだ。
私は荷物をまとめ、ハリスの両親にだけ挨拶の手紙を書いて町から出た。父と過ごした家を出るのも、母の形見に布を掛けたままでいなくなるのも心苦しかったが、他に方法がなかった。頼りになるのはトルンセルに住む叔父だけだったので、そこを目指して今に至る。
いつの間にか婦人も列車を下り、再び一人になっていた。列車内はかなり空いており、私以外の乗客は数えるほどしかいなくなっている。
明るかった空はだいぶ暗くなり、赤い夕陽がさして美しい。そろそろ目的地に到着するので、私は立ち上がり荷物を持った。
トルンセルは、婦人が言っていたように小さな町だ。私は一度も訪れたことはないが、海が見えて魚が美味しい、可愛らしい街だと叔父から手紙で聞いていた。人口もさほど多くなく、栄えているとは言えないが、その程よいのどかさが人気で観光にも訪れる人が結構多いだとか。
列車から降り、手紙に書かれていた住所を頼りに地図を開く。大きなトランクを持ったままだと長距離の徒歩は厳しいが、歩いていけない距離でもないので、私は気合を入れて歩き出した。仕事がないので、節約したいという気持ちも大きい。
可愛らしい街だった。時刻的にそろそろ閉店する店が多いので賑やかさはないが、どこか懐かしさを感じる街並みは私の心の傷を癒してくれる気がした。
「旅行中?」
すれ違った老人が私に声を掛けてくる。大荷物なので、旅行と勘違いされるのは当然だろう。
「いえ、叔父に会いに来ました」
「そうかあ! トルンセルは初めて?」
「はい。とても素敵な街ですね」
「ははは、小さいけど、住み心地はいいよ。天候もいいし、海が近くて魚が美味しい。でも昔は、嵐も多く不漁が続いた時期があって大変だったんだよ。でも魔法使いが住みだしてから、本当に平和になった」
「……えっ?」
足を止めてきょとんとしてしまう。おじいさんは頷いてもう一度言った。
「魔法使いが、酷い嵐は収めるようにしてくれるみたいでね……もちろん、干渉しすぎることはしない。被害が大きそうなときだけすっと現れて抑えてくれる。こんな小さな街になぜ住んでいるのか分からないが、彼が救ってくれていることは間違いない」
「この街には魔法使いがいらっしゃるんですか?」
驚いて声が大きくなってしまう。魔法使い、それは誰しもが存在を知っていて、でも本人に会えるのはごく一部の人間しかいない。非常に稀で凄い人なのだ。
私が小さな頃も、父は魔法使いについて色々話してくれたことがある。父はどうやら、彼らに憧れているようだった。でも結局、会うことなく亡くなってしまったようだが。
おじいさんは目を丸くする。
「知らなかったの? それを目的にここへ来る人も多いんだけど……ああでも、彼はとても人嫌いで変わり者だから、会える可能性は低いと思うよ。街に出てくることもかなり珍しくて、私も一度見たぐらいかなあ。それもローブで顔を隠してるからよく見えなかったし」
「はあ……」
「とにかく、彼のおかげでこの街は平和で楽しい街だよ。楽しんで」
そう言うと、おじいさんは私ににっこり笑って去っていった。小さくなっていく背中をぼんやり眺めながら、魔法使い、という単語に現実味を感じられないでいる。
ここに住んでいるのか。魔法使いが……。
少し頭の中で想像した魔法使いは、幼い頃絵本で読んだ黒いフードを被って鼻が尖った、気難しそうな老人だった。しわがれた声で呪文を唱え、爪が伸びた指で何かを指示する。
……こんなことをしている場合じゃない。暗くなる前に、叔父さんの元へ行こう。
私は気を取り直し、急いでその場から離れた。
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