第2章 プリパレーション 10

 「さあ、それでは早速、地中海料理のお店にご案内致します。お二人共、喉が渇かれているでしょうから」

 キキョウがあたし達を料理店に誘った。

 おお、有り難い!

 先刻さっきのスパには、アルコールはトロピカルドリンクしか置いて無かったので、今から生ビールをめると思うとあたしの喉がゴクリと鳴った。

 「やあ、皆さん!こっち、こっち!」

 地中海料理店に入ると、席から立ち上がって大声を出しながら手を振っているセキレイの姿が目に入った。

 その店は店内の雰囲気からして、超高級店で間違いが無いだろう。

 客筋も良いらしく、セキレイの大声に反応する者は誰もいなかった。

 とは言え、セキレイって奴、本当に大丈夫なのかな?

 護衛って、普通、目立たない様に静かに行動するんじゃないの?

 セキレイは、あたし達がお店に入る前に先回りして怪しい人物がいないかをチェックしていたのだろうが、SPがハナからこんなに目立ったら流石にアカンやろ?

 「皆さん、先ずは飲み物から決めて下さい」

 セキレイは皆に、ドリンクメニューを配った。

 どうやら此奴こいつは、この宴会を仕切る積りの様だ。

 男性はセキレイだけだから、それは当然と言えば当然の役回りでは有ったのだが。


 「そうね、あたしは・・・」

 生ビールをお願いね!と言おうとした時、

 「あのう、ご主人様からミサト様は生ビールをとても美味おいしそうに飲まれると伺っておりまして、わたくしも生ビールと言う物を飲んでみたいです」

 エリカが控えめに、自身の飲み物の希望を述べた。

 「おお、いね!エリカちゃんと生ビールで乾杯しましょう!」

 あたしは、エリカとこんなに早く生ビールで乾杯する程、距離感が近付ちかづくとは想像していなかったのだが、これもエリカをスパに誘った効用だろう。

 「じゃあ、俺も最初は生ビールね」

 セキレイが嬉しそうな声を上げた。

 「セキレイ、私達はアルコールは駄目よ!お二人の護衛として帯同しているんだから!それに帰りの車の運転も有るでしょう!」

 「え~?キキョウは先刻、通信でミサト様に秘策が有るって言ってなかったっけ?」

 「それはセキレイもお店の中に入れるって言う意味での秘策で・・・」

 「え~?」

 キキョウの言葉にセキレイは、なおも不満の様子だった。

 「大丈夫よ!あたしの秘策はキキョウとセキレイがお酒を飲める策だから」

 「???」

 キキョウが不思議そうな表情であたしの顔を見た。


 「今夜のスグルさんは大阪泊まりでしょう?だから大阪で何かが有っても一緒にアテンドしているジェファーメンバーで対応する事に成るよね」

 「それはそうですが・・・」

 キキョウは未だ腑に落ちない顔付きだったが、

 「フムフム、それで、それで?」

 セキレイの方は、あたしの秘策の全貌を早く聞きたいみたいだった。

 「だから、現在、東京に残っているジェファーメンバーは、貴方達以外は全員が暇って事!でも万一に備えて当直者は待機しているのでしょう?そして今がその万一の時って訳よ!」

 「な~る・・・!ミサト様、お話の筋が見えて来ました」

 セキレイは嬉しそうな声を上げた。

 だがキキョウの方は、半信半疑の表情のままだった。

 きっとキキョウは、優等生で真面目なタイプなのだろう。

 「当直の皆さんに連絡を入れるのよ!スグルさんが直々に指定している超VIPのクライアントが、どうしても一緒に呑みたいと言い張っている。ついては君達は我々に代わってこの地中海料理店の警備を行うべしってね」

 「ああ、そう言う事でしたか?」

 流石に、キキョウも秘策の全容を理解したみたいだった。

 あたしの話を聞きながらニヤニヤしていたセキレイは、

 「今夜の居残りは俺の班のメンバーだから、早速、俺が今から奴等やつらに指示するから。俺とキキョウの分、生ビール2杯、追加のオーダーをお願いします」

 キキョウも観念したのか、セキレイに小さく頷いた。

 「一件落着!今夜はあたしに付き合って呉れた御礼おれいで、あたしが皆んなの慰労会をするんだから、さあ、一緒に大いに呑みましょう!」

 

 「乾杯!!!」

 あたし達4人はジョッキの生ビールで乾杯した。

 「プファ~。生ビールってとても美味しいですね!」

 エリカが真っ先に感嘆の声を上げた。

 そのエリカの言葉に、キキョウが驚いた表情に成った。

 エリカちゃんには、流石に「プファ~」は似合わないよ、気持ちは分かるけど。

 そう言いそうに成って、ここはエリカの為に何かフォローして上げなければ!とあたしは決意した。

 「ブッヒャーピー、マッサージの後の生ビールは別格!デビットベッカク!」

 と言って、あたしはエリカをフォローした。

 要するに、「プファ~」を遥かに上回る下品さの「ブッヒャーピー」を繰り出す事で、あたしはエリカの「プファ~」と言う擬音のインパクトを薄めたのだ。

 「ハハハ、ミサト様、面白い!ウケました」

 セキレイは大声で笑ったが、エリカとキキョウの顔と頭からは、一斉にハテナマークが溢れ出た。

 デビットベッカム、マンチェスター・ユナイテッド栄光の背番号7を知っていたのは、セキレイだけだったか!


 「デビットベッカク!」は、今の会社で飲み会にあたしが未だ参加していた頃に、駄洒落好きの課長が連発していたダジャレだった。

 あたしもその時は意味が分からず、きっとハテナマークが溢れ出ていた筈だが、周囲の部下達が一斉に笑ったので、あたしもそれに合わせて笑った事を覚えている。

 そして翌日、あたしは主任から応接ブースに連れて行かれて、デビットベッカムが、元イングランド代表のサッカー選手で超有名なミッドフィールダーだったと言う事を教えられた。

 それから彼の事を色々と聞く内に、あたしが小学5年生の頃、テレビで観たロンドン五輪の開会式で、聖火と共にスーツ姿でスピードボードに乗ってスタジアムに向かったあの渋いオジさんがデビットベッカムだった事も知った。

 その主任の話では、ダジャレを言った本人の前で、その説明をする事は発言者に対してとんでもなく失礼な事に成るらしい。

 それで今日、あたしをわざわざ連れ出して説明をしたのか!

 ここの会社の人達はこの主任だけでは無く、仕事の何倍も上司との人間関係に気を遣う人種で有る事を、この時あたしは改めて強く認識した。

 それからの酒席は、セキレイの話が面白い事も有って、キョウも楽しそうに笑い、エリカも初めて見るハシャギ振りで、アッと言う間にこの店での2時間半が過ぎて行った。

 あんた達、飲食は許したけど、まさかあたしの警護をすっかり忘れているんじゃないだろうね?と疑う程、皆の明るい笑顔が絶えない宴会に成った。


 「ミサト様は、皆さんに気を遣われる、本当にお優しい方なのですね」

 エリカが真面目な顔でそう言ったから、あたしは思わず椅子からズリコケそうに成った。

 「そうそう、今日は俺まで宴席に呼んで呉れたし、こんなに気さくな方だとは思ってもいませんでしたよ!」

 「セキレイ!クライアント様に対して、俺なんて言葉遣いは止めなさい!」

 キキョウはセキレイを叱った。

 しかしたらジェファーの中では、キキョウの方がセキレイよりも階級が高いのかも知れなかった。

 「分かってるって!部外者がいる場所では規則通り俺の事は自分と呼ぶから。それに第一、ミサト様はそんな細かい事を気にされたりしませんよ!ねえ、そうでしょう?」

 セキレイに尋ねられて、あたしは思わず、

 「ええ、全く問題無いわよ」と答えてしまった。

 実際の所も、全く問題は無かったのだが。

 「ミサト様、甘やかすとセキレイは何処までも調子に乗りますから!」

 キキョウの言葉に、あたしはハハハと笑うしか無かった。 

 

 「あのう、そろそろ館の方に戻りませんと、田宮さんが心配されます」

 「そうだね、エリカが言う通りよ!そろそろお開きにしましょう」

 あたしはそう言うと、セキレイに対して今から館に戻る旨を爺やに連絡する事、それから外で待機しているメンバーは至急、車をスタンバイさせる事を指示した。

 「ミサト様、委細承知いさいしょうち!お任せ有れ」

 セキレイはそう言うと、風を切る速さでこの店から出て行った。

 セキレイは、その第一印象よりは少しは役に立ちそうだと、あたしは直感した。

 その後、あたしはレジーで支払いを済ませたが、あたしのジューシーペイには莫大な残高が残っている事を知っていたから、受け取ったレシートと領収書には目もくれなかった。

 あたしは自分自身の環境や状況の変化に、自分の意識や人間性まで自動的に変身出来る才能を持っていた事に驚きを覚えた。

 願わくば、あたしのシンデレラ期間が終わって、又、元の貧しいOLに戻った時にも、その才能が発揮されます様に!

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