■第四話 授業中の“だいじょうぶですか?”

 昼下がりの国語の時間。

 春の光が、少しずつ教室に差し込んでいる。


 園崎ゆりえは、教壇の前でチョークを持ちながら――

 黒板の前に“立っているだけ”のような顔をしていた。


「この“~てしまう”という表現は、意志とは無関係な行動や、

 思わず何かをしてしまった場合に使われます……」


(やばい……やばいやばい……昨夜の配信、まじで心にくる……)


 声には出さず、頭の中では、ももの配信が無限リピートしていた。


「……がんばりすぎの、あなたへ……」

 

「ふー……してあげるね……♡」


(あの“ふー”の破壊力、ほんとに人間が出していい音じゃない……)


(ていうか、あの子が、あのmomo_neだって気づいた瞬間から……すべての声がやばくなってる……)


 数日前の、職員室。

 偶然YouTubeで開いていた配信のサムネイルを、

 副級長の山瀬に“見られていた”とは、ゆりえはまったく気づいていない。


(バレてない。たぶん。気づかれてない。うん、たぶん……!)


 それは誤解だったが、彼女にとっては唯一の心の支えだった。


 ふと、教室の後ろ――

 窓際の席の、ももに目を向ける。


 小さな肩を丸め、静かにノートを取っている。


(……昨日も、配信、ありがとう……)


 言えるわけがない。

 教師としても、リスナーとしても、ぜったいに言ってはいけない言葉。


 そう思っていた矢先。


「……せんせい」


 ドキッ。


 反射的に背筋がのびる。

 ふり返ると、ももが立ち上がり、手にプリントを持っていた。


「ここ……すこしだけ、わからなくて……」


「……あ、うん。どこかな……?」


 声が若干裏返る。

 でもごまかして、教卓の前に来たももにプリントを受け取る。 


 そのとき――


「……先生、だいじょうぶですか?」


 耳 元。


 近い。

 めちゃくちゃ近い。

 顔の距離、20センチ圏内。

 声、トーン、間の取り方。

 完全に、あの“囁き配信”モードのそれ。


(ちょ、待って、リアルでこれやられるの無理……むりむりむり……)


(鼓膜がとろける音した。完全にした)


「だ、大丈夫です!!うん!!ありがとう!!」


 謎の大声で返してしまい、生徒がざわつく。


(ああああ落ち着け……これは教育、教育の場……教育の……)


(でも今の声、ぜったい“ふー”の前振りの声だったって……)


 ももは少しだけ目をまるくして、小さく頷いてから席に戻る。


 もも(心の声):

(……先生、やっぱりちょっと疲れてるのかも……)


 ゆりえ(心の声):

(こっちのHPが1なのにクリティカルぶち込んできてるのわかってない……かわいい……しぬ……)


 授業は何事もなかったかのように再開した。

 が、教壇の後ろでは、園崎ゆりえの理性がボロボロに崩れかけていた。


 ──だが、この時点で、彼女はまだ知らなかった。


 この“耳元だいじょうぶ”など、

 次に起こる“リアルふー”の前座に過ぎないということを。

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