■第五話 文化祭前夜

 九月のはじめ。夏の名残が残る空気の中、文化祭の準備が本格的に始まった。

 百合ヶ丘女学院では、1年生もクラスごとに出し物をするのが恒例となっている。


 1年C組も、放課後のHRでアイデア出しの真っ最中だった。


「お化け屋敷は定番すぎるし~」


「カフェは上のクラスが多いからなあ」


「なんか変わったのやろうよ、変なの」


 そんな中、突然ひとりの生徒が提案した。


「ゾンビ感染ゲーム、どう?」

 

「キスされたらゾンビになるってやつ!」


 一瞬の沈黙のあと、教室がざわついた。


「なにそれ斬新ww」


「感染したらまたキスできるってこと!?えっそれめっちゃ良くない?」


「百合ゾンビ……それでいこう!!」


 瞬く間に議案は通過。

 HR終了後、黒板には大きくこう書かれた。


『1年C組 出し物:キスで起きろ!百合ゾンビ!!』


 クラスのテンションは最高潮だった。

「百合だ~!」「合法だ~!」とふざけあいながら、

 衣装係・小道具係・ゾンビ感染管理係などの役職も次々と決まり、準備が進んでいく。


 その教室の隅で――篠原ももは、小さな両手をぎゅっと握りしめていた。


(……キスで、ゾンビ……)


(ゾンビになったら、自分からキスできる……?)


(つまり、演出として……先生に……)


 想像した瞬間、頭から湯気が出そうになった。

 顔が真っ赤になり、震える手を制服の袖でそっと隠す。


(先生にキスなんて……そんなの、本当は……ありえない……)


(でも、でも……文化祭の“ノリ”なら……)


(ゾンビになったら、それは“役割”で、“設定”で……)


 唯一の、合法的なチャンス。

 それは、ももにとって人生最大の賭けだった。


(……わたし、がんばってゾンビになる……!)


(誰かにキスされて、ゾンビになって、そしたら……)


(先生に……キス、する……!!)


 そう決意したとき、胸がドキドキと高鳴った。

 でも、それは苦しさではなく、何かを“変えたい”という願いに近かった。


 一方――教卓では、担任の園崎ゆりえが、記録ノートを持ちながら震えていた。


(き、キスでゾンビってなに!?女子高の文化祭って怖くない!?)


(これ止めるべき?でも“演出”だって生徒が……)


(でも、でもあの子が……ももが……これに乗っかってくるかもしれない!?)


 冷静な教師の仮面の下で、感情の渦が巻き起こっていた。


(文化祭って、もっと健全な感じじゃなかった!?

 今のJKってそんな軽率にキスするの!?なんで私そんな焦ってるの!?)


(っていうか、推しがゾンビになってキスしてきたら私死ぬが!?)


 ゆりえ、想像だけで脳内蒸発寸前。


 しかし、そんな彼女の動揺には気づかず、

 クラスの有志女子たちは別の作戦を始動していた。


 A「これ、篠原ちゃんと先生くっつけるチャンスじゃない?」

 B「やば、わかってる、神企画じゃん」

 C「“百合ゾンビ研究会”作っとくわ、LINEで」

 D「級長に根回ししとく。クラッカー係と照明係も配置しておいて」


 誰も知らない裏で――百合成立計画が、水面下で動き出していた。


 文化祭前日。

 ももは、明日の成功を願って、眠れぬ夜を過ごした。


(だいじょうぶ……わたし、明日……がんばる……)


(先生に、気持ちは言えなくても……せめて、届いて……)


 小さく呟いたその声は、誰にも聞こえなかった。

 ただ、その願いは確かに、明日の教室へと向かっていた。

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