第14話 反故
翌日。バイト先のカフェに入るなり、奏太は真っ先に雫に声をかけた。
「……ってわけで、アフターは、もうやめたいんだ」
カウンターの奥でコーヒーを淹れていた雫が、ふむと頷きつつ振り返る。
「なるほどねー。でも奏太、やるじゃん。白石さんと付き合っておきながら、別の子とも付き合うなんて?」
「付き合ってないってば……!」
思わず叫んだ。そもそも、凛とは“女友達”のはずだ。恋愛感情なんて――たぶん、ない。
「んー?奏太、気づいてないの?この前イルミネーション誘ったときの、あの子の顔……完全に“恋する女の子”の目だったよ?」
雫がニヤリと口角を上げる。人差し指をひらひらと揺らしながら、まるで何もかもお見通しだと言いたげに。
「まさか……そんなはず……」
「奏ちゃんの正体が“男”って知ってて、それでも二人きりでイルミネーション誘うのよ? 普通に考えて、ただの友達って距離感じゃないよね?」
その一言が、胸の奥にズシンと落ちた。
――確かに、そうだ。凛には友達もいっぱいいるのに。わざわざ自分を選んだ、その意味って……。
その意味に気付くと同時に脳裏に、昨晩の浮気を疑って怒り泣き叫んだ日葵の顔が浮かんだ。
「ふふん、困ってる困ってる。ま、恋愛なんて駆け引きが命よ。二股かけるくらいがちょうどいいの。嫉妬と焦りが、恋心を燃やす燃料になるからね」
それっぽい口調で言いながら、雫はエプロンをきゅっと締めた。どう見てもNo.1キャバ嬢らしい倫理観ゼロのアドバイスだった。
「……そうやって、男性客同士で競わせてNo.1なったの」
「そうよ。勉強になったでしょ。さ、さっさと着替えて、開店準備~♪」
くるりと背を向けて、雫は口笛を吹きながら厨房へ戻っていった。その後ろ姿を見送りながら、奏太は深くため息をついた。
凛の気持ちはさておき――。
とにもかくにも、外で女装しなくてよくなった。
それだけで、奏太の心はだいぶ軽くなっていた。
バイト中も、そう自分に言い聞かせながら調理に接客と慌ただしく働いた。
手は動かしながら、頭の中では来月の新メニューについてあれこれと思案していた。
(新年らしいメニュー……何かないかな)
ふと、フランス菓子の“ガレット・デ・ロワ”のことを思い出す。
ホールケーキの中に小さな人形がひとつだけ入っていて、当たった人には幸運が訪れるという――あれだ。
(アレを和風にアレンジして、たとえば“おみくじスイーツ”とか? ワンプレートでランダムに当たり付き……うん、悪くない)
テーブルを拭きながら構想をまとめていると、カフェのドアが控えめに開いた。
そこに現れたのは、またしても――凛。
「いらっしゃいませ」
彼女はにこやかな笑顔で窓際の席へ向かい、メニューも開かずにホットカフェオレを注文する。
時刻は午後五時。ティータイムには遅すぎて、夕食には少し早い。
店内にお客は少なく、奏太は注文を雫に伝えると、そのまま凛のテーブルのそばで相手をすることになった。
他愛もない会話の中で、奏太はふと考え込む。
――言われてみれば、凛の言動はどこか引っかかる。
メイクを褒めてくれたり、妙に近い距離感で話しかけてきたり。まるで「誰かに好かれたい」っていうアピールを、自分にだけ向けてるみたいで……。
(まさか、そんなわけ……)
頭では否定しながらも、胸の奥には小さなざわつきが残った。
「はい、カフェオレできたよ」
雫から受け取ったマグをテーブルに置くと、凛はほっとしたようにカップに手を伸ばした。
そして――何でもない風を装って、言った。
「ねえ奏ちゃん、明日締め切りの『経済政策論』のレポート、もう書いた?」
「うん、一応はね」
「だったらさ、ごめん。ちょっとだけ、写させて?」
手を合わせて、にっこり拝むような仕草。
「でもさ、あの先生ってレポート丸写しバレたら、二人ともアウトじゃん?」
「そこは分かってるって。だから、要点だけ教えて? それ聞いたら、あとは自分の言葉でちゃんと書くから」
「……まぁ、それくらいなら」
「ありがと! じゃあこのあと、自習室来て。みんなでやってるから」
「みんな?」
「うん、うちのグループ。竹っちとか、メグミンとか。全然やってなかったから今集まっててさ」
竹っちとメグミン、よく分からないがおそらく凛がよくつるんでる陽キャ集団の誰かだろう。
その輪に一人で入るのは気が引ける。渋っていると、凛はカウンターにいる雫に視線を向けた。
「雫さーん、スイーツ10個くらいお持ち帰りにできます? 差し入れで持ってくんで」
凛がそう言った瞬間、雫の目がパチーンと輝いた。
「奏ちゃん、友達が困ってるんでしょ? 行ってあげなさい」
「え、でもまだバイト……」
「いいのいいの、売上も入るし。今日はお客さん少ないから、これでバイト終わりってことで、はい、いってらっしゃーい!」
売上を餌に雫はあっさりと寝返った。
「……わかったよ」
「やったぁ! ありがと、奏ちゃん。あ、ついでに――」
凛がいたずらっぽく指を立てる。
「お願い、奏ちゃんの格好で来て? みんなびっくりすると思うし、盛り上がるじゃん!」
「……え?」
いま、さらっと地雷を踏み抜いたような。
せっかく女装から解放されたと思ったのに。
日葵のことを考えても、もう“結城奏”として外に出るのは控えたい。
女装しているって噂が日葵の耳に届いたら、今度こそ完全に嫌われる。
「いや、でも……」
「大丈夫。奏ちゃんの正体がイケてない結城奏太なんてバラさないから。うちらも授業まともに出てないし、他のグループの子の顔なんて覚えてないからさ。『あーなんかいたような気がする』くらいで済むって」
そんな適当な話あるか、と突っ込みたい。
けれど、凛の瞳はいたずらっぽく輝いていて――逃げ道は、もうなかった。
「……わかったよ。結城奏として、ね。でも、正体バレだけは絶対にナシだからね」
その言葉に、凛は口角をきゅっと持ち上げて、小さく笑った。
湯気の立つカフェオレを口に運びながら――どこか、満足げに。
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