第35話 西の港町
紆余曲折あったものの、ウルクスは目的地である西の港町ポトレナに到着していた。
幅の広い緩やかな崖に築かれたこの町は、石や木の建築より、大きな貝殻を加工して作られた建築物の方が圧倒的に多い。
特に目を引くのが巨大な巻貝で作られた超高級宿『ネイリーテスの微睡み』だろう。
とはいえ、このような僻地に訪れる金持ちはそう多くない。一年を通してほぼ開店休業のような状態らしい。
かつては白き海神の都などと呼ばれ、観光地として名を馳せたこともあるその名残なのだという。
今は漁業が盛んなそこそこ活気のある町といった感じだ。
「くそ、なんなんだあいつは」
ウルクスはびしょ濡れのずぶ濡れだった。
それは鮫の餌にされた後、大漁を喜ぶニットフェルガーにバシバシと背中を叩かれ、あっという間にクラゲ擬きごとロープで簀巻きにされると再び海に落とされて、牽引されるように運ばれたからだった。
道中、何故乗せてくれないんだと叫び問えば、キョトンとした顔で俺の舟は一人乗りだからと答えられた。
「普通じゃない。狂ってる。いや、それ以上だ……」
様々な屋台がズラリと並ぶ夕方の市場で納品の手伝いまでさせられているウルクスは、ぶつくさ文句を言いながらニットフェルガーの後ろを付いて回っている。
ジーノのことやぶん殴った男のことも気になって仕方ないのに逃げ出さないのは、まだ腰にロープが巻き付けられているからだった。
「あれまぁ、あんた! 偉くなったってのに自分が納品に来るなんて、本当に変わり者だね」
何件目かの納品時、小柄なアシカ獣人の女将さんがニットフェルガーの顔を見て呆れた声を出した。
「いやぁ、偉いつっても準男爵はただの称号らしいからな。貴族じゃねぇんだとよ。だもんで働かなきゃ食っていけねぇんよ」
「へぇ、あたしゃてっきりお貴族様になっちまったのかと思ってたよ」
こんなやつが準男爵……誰が与えたのか知らないが世も末だな、なんて考えがありありと顔に出ている。
「そいで? そっちの水も滴るいい女は? まさか盗みでも働いたのかい?」
ニットフェルガーからウルクスに視線を移した女将のくりくりした大きな目がきゅっと細めらた。
殺意に似た何かを感じ取ったウルクスの肩がビクリと跳ね上がる。
「いやいや、そんなんじゃねぇ。海で拾ったんだ。準男爵になったその日に見つけるなんざ、きっと海神の様の思し召し。嫁にすんだよ」
「……は?」
「あんれまぁ! ならあんた、なんでそんな護送中の犯罪者みたいな――」
女将さんが目を真ん丸に見開き不思議そうに首をかしげた直後、ニットフェルガーの発言を理解するのにやや時間のかかっていたウルクスが声にならない悲鳴を上げた。
まるで化け物にでも遭遇したかのように、勢いよくニットフェルガーから距離を取ろうとする。
ただ、どう頑張ってもロープの長さ分しか離れられず、無意味にじたばたするにとどまった。
「なんで? は? ええ!?」
理解できないという恐怖。
「命の恩人と結ばれるなんてロマンチックじゃねぇか」
「は、離せ異常者め」
ニットフェルガーの顔を掴み全力で拒否するウルクスだったがまるで通用していない。
それどころか「積極的だなぁ」なんて顔を赤らめるニットフェルガーにキスされそうになっている。
「人を生き餌にするようなやつはごめんだ! だいたい、俺――私は既婚者なのよ!!」
「はぇ? あはっ、ははははは!」
噛み付くように言ってやったウルクスは、突然大笑いし始めたニットフェルガーにさらなる恐怖を覚えた。
「いや~、面白い。あんたみたいなブスが美形至上主義蔓延るこの国で結婚なんてできるわけねぇ」
「ブ、ブブブ、ブス!!?」
ウルクスはブス発言に目をひん剥いた。
それは女将さんも同様だったらしく、やや戸惑いながらニットフェルガーに顔を向ける。
「いやあんた、この
「でも俺は見てくれより運命にときめく男だ。心配しなくていい」
人の話を聞かずカラカラと笑うニットフェルガーは気付いていない。ウルクスの地雷をぶち抜いたことに。
現にウルクスは今、恐怖などすっかり消え去り怒りでワナワナ震え、その目にには暗い影が落ちている。
「ああ、でもな、見てくれ云々とは言ったが、胸も尻もペタンこなとこは俺好みだ。なんも恥ずかしがることはねぇ。自信もっていいぞ」
失礼も大概な発言だがウルクスの耳には何も届かない。
「ブス……俺が?」
ぼそっと呟きギリリと歯を噛み締めたかと思うと、とてつもない勢いで両手に魔力が集約され始めた。
それはすぐに大規模魔法陣へと変じて空へと至り、今だかつてない巨大な黒球を町の上空に出現させる。
妖しく異常な煙を伴うそれは、まるでこの世の終わりを連想させた。
さらにこれまでの
町の人々の財布から、銅貨が黒球に吸い上げられていくのだ。
あらゆる場所で悲鳴と怒声が上がり、逃げ惑う者やお金を取り返そうとする者たちで町は大パニック。
さすがのニットフェルガーもあんぐりと口を開けて黒球を見ており、アシカ獣人の女将さんにいたっては異常な魔力に当てられて失神していた。
やがて黒球は煙と銅貨のすべてを吸い込むと、球面に青白い光を放つ複雑な魔法陣を浮かび上がらせる。
「誰が、誰が……」
まるで地獄の底で唸る魔獣のようなウルクスの声に呼応して、魔法陣の光をが輝きを増していく。
「誰がブスだ、このクソがぁぁぁぁぁ!!!」
ウルクスはついに絶叫。
黒球は大爆音を伴って爆ぜ、見たことのない紋章の入った無数のレジ袋を町全体に撒き散らした。
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