第19話「二重の脅威」
霧の奥、張りつめた空気の中──
第三隊──蝶嬢(あげは)、春音(はるね)、歩美(あゆみ)は、
慎重に足を運びながら、静かに森を進んでいた。
つい先ほど、別の班の指定個体と鉢合わせしかけたばかり。
蝶嬢の判断によって衝突は避けられたが、
霧の中に漂うあの不穏な気配は、まだ完全には消えていない。
そして今もなお、
三人は声を潜め、その気配を断つように前進を続けていた。
沈黙の中、春音がふと足を止める。
「……なんか、薄いのが近づいてきてるよね?」
霧の向こうをじっと見つめながら、落ち着いた声で言った。
蝶嬢もうなずき、視線を巡らせる。
「……あれは、通常個体。数は……四体くらいいる」
「……やるしかないね」
春音が静かに言い、髪に挿された《響花のヘアピン(きょうか)》が淡く光を帯びる。
アークシール《花響(かきょう)》が共鳴し、音をまとう花びらの光弾が舞う準備を始める。
歩美も、小さく息を整えながら頷いた。
「……私も、ちゃんと援護する……」
霧の中に、ぼんやりと影が揺れる。
次の瞬間、蝶嬢が一歩前に出る。
「──いくよ」
その合図とともに、戦闘が始まった。
霧の奥から現れた個体は、やはり通常個体。
だが鋭く飛びかかってくる動きは油断ならない。
森の中の視界の悪さが、それをさらに脅威と化していた。
蝶嬢の背中に刻まれたアークシール《蝶紋(ちょうもん)》が淡く輝き、
展開された《艶舞の帯(えんぶ)》が六本の帯となって宙を舞う。
そのうちの一本がしなやかに敵の動きを絡め取り、進行を阻んだ。
春音は、共鳴したアークシール《花響》から放たれる、花びらのような光弾を正確に撃ち込み、敵の動きを鈍らせる。
そして歩美。
足首に装着された《若芽のアンクレット(わかめ)》が共鳴し、アークシール《萌風(ほうふう)》が展開される。
彼女の放った光は蔓となり、敵を絡め取ると、そこから芽吹いた花が咲き誇り──
その満開の瞬間、爆ぜるようにして敵を打ち砕いた。
三人の連携はまだ完璧とは言えなかったが、
互いを信じ、それぞれの動きが確かに重なり合っていた。
やがて最後の一体が霧に溶けるように崩れ落ちると、蝶嬢が足を止める。
「──……感じる。重たい気配が……二つ」
春音があたりを見回し、声を落とす。
「……あれ、指定個体だよね。こっちに向かってきてる感じじゃないけど……」
「距離はある。けど、確かに近くにいるわ」
蝶嬢は静かに言った。
沈黙が落ちた森の中──
霧の向こうに漂う気配だけが、その存在をじわりと刻みつけてくる。
歩美が、ぽつりと呟いた。
「……でも……もし……私たちの指定個体なら……倒さなきゃ、なんだよね……」
少しだけ震えながらも、目を上げる。
「……私も……強くならなくちゃ、ちゃんと……」
誰に向けたわけでもない、ただの独り言だった。
だが、そのか細い言葉は、静かに三人の覚悟を引き寄せていく──。
霧に溶けた静寂の余韻も束の間、
再び──複数の気配が、音もなく森を揺らした。
「……来るよ、また」
春音が霧の向こうをじっと見つめながら、低く呟く。
「さっきより多いかも……!」
歩美の声に、蝶嬢が冷静に返す。
「……構わない、対応する。ここで崩れたら、進めないわ」
再び、霧の中から影が現れる。
通常個体の群れ──それも先ほどより明らかに数が多い。
蝶嬢の背から展開された六本の帯が、一斉に螺旋を描きながら舞う。
鋭くしなやかに宙を裂き、敵の身体に突き刺さった瞬間、帯の先端から毒が注がれていく。
動きを奪われた個体は、そのまま崩れ落ちていった。
春音は展開済みの《花響》に再び力を送りながら、霧の向こうに意識を向ける。
「……こっちも撃つよ」
小さな声とともに、音と共鳴した花弾が鋭く飛び、敵の間を正確に切り裂いた。
わずかに震える指先を握りしめ、歩美は後方から《萌風》に力を込めた。
足元から伸びる光の蔓が、淡く緑に輝きながら静かに広がっていく。
蔓は蝶嬢と春音の足元に絡むように伸び、包み込むように守りの結界を展開した。
そしてもう一筋──敵へと向かう蔓が絡みつき、そこから芽吹いた花が咲き誇る。
咲いた瞬間、花は眩い光とともに爆ぜ──敵を吹き飛ばした。
目まぐるしくなる戦況の中、三人は着実に撃破を重ねていった。
しかし──
「……っ、さっきの気配が……こっちに向かってる!」
春音が息をのみながら振り返る。
「うん……近づいて来てる……」
蝶嬢の声も、わずかに緊張を帯びる。
その瞬間──蝶嬢の瞼がゆっくりと閉じられる。
一度、霧の世界が闇に沈む。
だが、彼女の内に宿る“視界”が、静かに目を覚ました。
左目だけが開かれ、紅く染まった瞳が蟲の縞を宿す。
「──見えた……一体は、うちの指定個体。間違いない」
低く、しかし確信に満ちた声。
春音がすかさず問う。
「じゃあ、もう一体は?」
蝶嬢は眉をひそめる。
「……あれは別の班の標的。ここで交戦したら、失格になる」
「でも……今、逃げられるの?」
歩美が不安げに周囲を見渡す。
霧の中、通常個体の群れがなおも現れ続ける。
進路も退路も、容易には開かれそうになかった。
「──まずい。下がるにしても……このままじゃ囲まれる……」
蝶嬢が判断を下そうとしたその時──
霧の奥から、風を裂く気配が駆け抜けた。
「……っ!?」
春音が振り返った先に、現れたのは──
拓弥(たくみ)、緋晴(ひばる)、そして猛(たける)の三人だった。
「おい、大丈夫か?……」
拓弥が冗談めいた調子で言いながらも、目は真剣そのもの。
「かなりの数が近くにいるとは思ってたけど……想像以上だな、こりゃ」
「──っ!?」
そのとき、蝶嬢の顔に目を向けた拓弥が、思わず言葉を詰まらせる。
左目に浮かぶ紅の縞模様。蟲のように蠢くその瞳が、不気味な光を帯びていた。
「……おい、その目……」
拓弥が言いかけたところで、緋晴と猛も視線を向ける
緋晴が思わず声を潜めた。
「……なんだよ、その目……普通じゃねぇだろ……!」
「おいおい、マジかよ……拓弥まで驚いてるってことは、やばいんじゃねぇのか……」
猛が後ずさりながら、じわりと警戒心をあらわにする。
蝶嬢はわずかに伏し目がちにしながらも、落ち着いた声で言った。
「……驚くのも無理ないわ。けど、大丈夫。蟲たちの目を借りて遠くを見てるだけ」
その言葉に、拓弥が息を呑んだまま問い返す。
「それ……霧の中を“視てる”ってことか……?」
蝶嬢は静かに頷いた。
「──すぐ近くに指定個体が二体、いる。一体は……私たちの指定個体。でも、もう一体は違う。別の班の標的」
緋晴の目が鋭く細められる。
「……まぁ……下手に関われば失格になるからな」
「そう。でも、このままじゃ身動きが取れない。通常個体の数が多すぎる……」
蝶嬢の声には、焦りではなく冷静な判断が滲んでいた。
その間も、春音と歩美が連携し、次々と迫る敵を撃破し続けていた。
「──ここは、ちゃんと整理しよ」
春音が小さく言いながら花弾を放ち、歩美の蔓がその隙を突いて敵を絡め取る。
蝶嬢が息を整えながら、再び三人を見る。
「……あなたたちの指定個体は?」
少しの沈黙のあと、拓弥が眉をひそめて答えた。
「──二体のうち、一体はアタシらの標的だよ」
「……っ、やっぱり」
蝶嬢が静かに頷く。
拓弥は周囲を見渡しながら続けた。
「でもさ、このままここでそいつに向かって動けば……もう一体も寄ってくる。下手すりゃ、両方同時に襲ってくる可能性もある」
緋晴もそれに続けて言う。
「……一度距離を取って、作戦立て直そうとしたんだよ」
「それで──こっちに回ってきたら、あんたたちに会ったってわけ」
猛が軽く肩をすくめながら言った。
「なるほど……」
蝶嬢が小さく息を吐き、左目の光をすっと閉じる。
「じゃあ……お互いの標的を引き離す形で、分担して戦うのはどう?」
緋晴が一瞬目を細め──頷く。
「……合理的だな。よし、それでいこう」
「なら、まずは──」
蝶嬢の背から展開された六本の帯が、静かに揺れる。
彼女は目の前の敵を射抜くように見つめながら、静かに告げた。
「この場にいる通常個体を片付けてからね。分断するにしても、今は邪魔が多すぎる」
「了解。まとめて蹴散らそうぜ」
猛がにやりと笑い、腕を鳴らした。
三人が、それぞれの位置で呼吸を合わせる。
緋晴の耳元で、装着された《揺炎のピアス(えんこう)》が赤く瞬き、微かな燐光を放つ。
その輝きに呼応するように、アークシール《幻燐(げんりん)》が一閃し、炎を纏った刃が空気を裂いて現れる。
猛の腕には《獣牙の紋(じゅうが)》が浮かび上がり、唸るような音とともに《咆牙(ほうが)》が共鳴。
獣の力を宿した双腕が変化を遂げ、重い気配をまとっていく。
拓弥の両手に装着されたリングが共鳴音を響かせ、赤く輝く。
アークシール《撃爪のダブルリング(げきそう)》が閃き、右手には銃、左には紅蓮の炎を纏った鋭爪──《獣律(じゅうりつ)》が展開される。
三人が同時に踏み出す。
「──まとめて、吹き飛ばす!」
緋晴が前へ出ると、炎刃が大きく振るわれ、爆ぜるように熱風を撒き散らす。
その刃が霧を払い、敵の前衛を一閃で薙ぎ払った。
猛がその隙を縫って突撃する。
咆牙の腕が唸りを上げ、殴打と共に通常個体の一体を地に叩きつける。
「どけぇぇえ!!」
次々と襲いかかる影に、拓弥が跳躍しながら銃を連射。
弾道は正確に敵の足元と急所を撃ち抜き、続いて爪を構えて着地と同時に切り裂く。
「連携取れてきたじゃん──まだいけるよ!」
後方では、蝶嬢の背から伸びた六本の帯が風を切るように舞い上がり、次なる敵を絡め取る。帯の先端が敵の体に突き刺さり、毒が瞬時に注入された。
一瞬の硬直ののち──敵の体表が紫色に変色し、そのまま内部から爆ぜるように弾け飛んだ。
春音の《花響》が連弾となって降り注ぎ、歩美の《萌風》が仲間の動きを補助しながら、敵陣の隙を撃つ。
──霧の中、静かに始まった連携戦。
次第に形成されていく包囲網の中で、六人は息を合わせながら、着実に数を減らしていった。
「……あと少し──囲まれる前に、蹴りをつける!」
緋晴の声に、全員が呼応するように動きを加速させた──。
煙と熱気が立ち込める中、最後の一体が崩れ落ちるのを見届けて、拓弥が銃口をゆっくりと下ろした。
「……ふぅ、やっと静かになったな」
「油断すんなよ。まだ気配は残ってる」
緋晴が冷静に周囲を見渡しながら、炎刃を肩に担ぐ。
猛が唸るように言った。
「けど、今のうちだな。動くなら、次の一手を急がねぇと」
頷き、左目を開いた蝶嬢の瞳に、紅の縞が浮かび上がる。霧の奥、その気配を静かに追う。
「──標的、まだ動いてない。今なら、分断できる位置にいる」
春音が肩越しに問いかける。
「二体とも、まだ近くに?」
「うん。私たちの標的は北側の林に、拓弥たちの標的は東の斜面沿い。今が引き離すチャンスね」
緋晴が東の方向に目を向けながら、短く言い放つ。
「──なら俺たちは東側だな」
拓弥がにっと笑ってうなずく。
「──アタシらは、自分たちの指定個体を追う」
「ええ。私たちも、標的を逃がさない」
蝶嬢の背の帯が、静かに揺れた。
互いに視線を交わし、息を合わせる六人。
重なる気配を背に──彼らはそれぞれの標的に向けて、静かに動き出した。
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