第三話 無機質な報告と、募る罪

勇者様が出立して以来、王城内の空気は、張り詰めたままだった。街に一瞬戻った僅かな希望は、戦場の現実という冷たい風に晒され、すぐにしぼんでいった。人々は相変わらず勇者様の噂を口にしたが、その声には以前のような熱狂はなく、どこか縋るような、不安げな響きが混じるようになった。


私の日課は変わらない。避難民の世話、物資の管理、そして父上の執務の手伝い。だが、全ての上に重くのしかかるのは、前線から届く報告書を待つ時間だった。


定期的に、前線基地から報告が届く。それは、血と硝煙の匂いを纏った、疲弊しきった伝令兵によって運ばれてくる。彼らの顔は土気色で、目の下には深い隈ができている。


「最前線、魔族と交戦。被害多数」

「〇〇砦、一時的に防衛線崩壊、後退」

「食料、弾薬、不足甚だし」


報告書に記されているのは、簡潔で、そして残酷な言葉ばかりだ。そこには、戦場の英雄譚など欠片もない。ただ、絶望的な状況と、日ごとに減っていく兵士たちの数が並んでいる。


そして、勇者様についての記述は、いつも決まりきっていた。


「勇者様は奮戦中」

「勇者様、ご無事です」


ただ、それだけ。彼の具体的な行動、魔物をどれだけ倒したか、どんな困難を乗り越えたか…そういったことは一切記されない。まるで、彼は戦場の風景の一部であり、その安否だけが確認事項であるかのように。


時折、重傷を負った兵士たちが後送されてくるのを見た。彼らの多くは言葉を失っていた。その目に宿るのは、この世界の光を失った、虚ろな色だ。口を開けば、掠れた声で、地獄のような光景を零すか、あるいは何も語らず、ただ天井や壁のシミを見つめているだけだった。彼らの痩せ衰えた体、包帯から滲む血、そして何よりもその魂の憔悴ぶりを見るたび、報告書の無機質な言葉の裏にある、耐え難い現実を突きつけられた。


あの小さく、怯えていた子が、あの地獄で何を見ているのだろう。


想像するだけで、心臓が掴まれるような苦しさを覚えた。仲間の兵士たちが、次々と残虐な魔物の手にかかり、肉が裂け、骨が砕かれる光景。耳朶を打つ断末魔の叫び。血と臓物が撒き散らされる匂い。土と泥にまみれ、死体と区別がつかなくなるまで戦い続ける日々。


彼は、私たちの世界の戦闘技術など、ほんの数週間学んだに過ぎない。彼は、剣の重さ、鎧の重さ、そして命の重さを、あの短い期間でどこまで理解できたというのだろうか。それでも彼は、あの場所に立たされ、生き残ることを強いられている。


彼が生き延びるたび、安堵するべきなのだろう。私たちの最後の希望が潰えていないのだから。だが、私の心には、安堵よりも深い罪悪感が広がった。彼が耐えている苦痛は、全て私たちが彼に強いたものだ。彼の魂が、あの戦場で傷ついていく音を、私はここで聞いているような気がした。


日が経ち、週が過ぎ、月が巡る。戦況は一向に好転しない。ただ、人間族の数が、兵士の数が、そして希望の光が、少しずつ、だが確実に消耗していく。王城を覆う空気は、鉛のように重くなっていった。


勇者様からの個人的な報告は、一度もなかった。それはそうだろう。彼は、この世界の文字の読み書きすら、知らないかもしれないのだ。私たちが与えたのは、彼の命と引き換えに戦え、という一方的な命令だけだった。


報告書は、今日も届く。「勇者様、ご無事です」と書かれた一文を読むたび、私の心は安堵ではなく、凍り付くような感覚に襲われる。彼は、生きたまま地獄に囚われているのだ。そして、その牢獄の扉を開けたのは、私たちなのだ。

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