第4章 part13 願望の3日目
「クロウ!1123番の本棚にある歴史書物【女王の歴史パート30】を呼び寄せて!」
作業台の向こうから、ユイの張りのある声が飛んでくる。クロウはすかさず手元の魔導端末を操作し、空中を巡回していた魔導ドローンを指示する。
「了解」
声と同時に、ドローンは滑らかに旋回し、指定の棚から目当ての歴史書を掴むと、ふわりとユイの元へと運んでいった。
「クロウ、素材に【魔法石膏No.2】がないか検索してみて!」
「了解。……あ、あるね」
クロウはすぐに確認し、近くのストックから魔法石膏のボックスを取り出し、ユイの机にそっと置く。
「クロウ!全体組織の乾燥が早い!付与魔術で補強して!」
「はーい。すぐやる」
クロウは付与術式の展開用の簡易魔法陣を素早く空中に描き、その中心に乾燥しすぎた素材の組織を浮かべる。数秒で術式を発動し、素材の組織を再調整、乾燥を和らげ、強度を保ったままの状態に戻した。
「できたよ」
付与魔術クラス教室【アーク】は、相変わらず熱気に満ち満ちていた。天井近くを巡回するドローンの数もひときわ多く、まるでこの教室の熱意が天井を突き抜けるのではないかと錯覚するほどだった。
そんな中でも、特に激しく熱を放っている一角があった。そこでは、ひときわ目を引く二人の女生徒──ユイとクロウが、息を合わせるように膨大な量の魔導書や素材を操り、次々と付与を行っていた。
少し時間を遡る。
ダレントンの課題説明を終え、ユイとクロウは自分たちの作業スペースに移動していた。机の上には、魔法素材の山と、付与魔術の公式が記された魔導書、さらに何枚ものスケッチが所狭しと並べられていた。
「ユイ、結局“女王を生み出す”ってどういうこと?」
クロウは、ユイの唐突な宣言の意図をどうしても掴めず、問いかけた。絶対者の誕生──それは言葉だけなら容易いが、その内容はまだ謎に包まれていた。
「えへへ、急に言われたら意味わかんないよね」
頭を掻き、ユイは少し照れたように笑う。その様子に、クロウはまさか勢いで言ったのではないかと、不安がよぎった。
「えっと……とにかく、イメージはあるんだ」
「イメージ?」
「うん。この街のシンボルになってる塔、わかるよね?」
「ああ、もちろん」
クロウは、この街を監視する際にしばしば塔の屋上を利用していた。魔導機械の魔力発信装置としても機能する、その高い塔だ。
「あの上には、人女王様を含む四人の女王様の石像があるの、知ってる?」
「……あ、そういえば」
クロウは思い返す。いつも夜の闇に紛れて目立たなかったが、確かにあの場所には威厳ある石像が存在していた。街を見下ろし、国の安寧を見守るかのような存在感のあるものだった。
「実はね、あれって特別な技師、彫刻家フィフィ・シャルンが人生をかけて造った最高傑作なんだよ」
「なるほど……」
その話を聞き、クロウは改めてあの石像の存在意義を思い直す。見過ごしていたが、実はとても大きな意味を持っていたのだ。
「でも、あれは所詮ただの石像!私はあれの上位互換、“魔法像”で人女王様を再現する!」
ユイの瞳は強く輝き、眉間には決意の皺が寄せられていた。その熱に、クロウは自然と背筋が伸びるのを感じた。
「魔法像、か」
クロウは魔法像についての記憶をたぐり寄せる。
【魔法像】──それは、永遠の付与術を開発した伝説の魔術士アーク・ミラーが遺した遺産。近づくだけで治癒効果を得られるもの、水が絶えず湧き出る泉、武器を修復する像など、効果は様々。ただし効果が複雑化するほど、付与術式の安定性は落ちる。基本は単一の効果しか持たせないのが常識とされていた。
「私が神国を目指す理由、人女王様に会いたいって言ったよね?」
「ああ、ユイは人女王様をすごく慕ってるって」
「違うの。私は人女王様に“尽くしたい”の。感謝とか恩義とか、そういうのを超えた存在なの。あの方がいるこの世界が、美しくてたまらないの!」
ユイの声が震え、瞳の輝きがさらに増していく。今にも弾けそうなほどの気迫と情熱。その熱は、先ほどまで気絶していた者のものとはとても思えない。
「すべてを捧げる!すべてを以てして!」
ユイは拳を高く掲げ、教室中に響き渡るように叫んだ。
「人女王様、万歳!!」
その声は教室の至る所に反響し、ちらほらと「万歳!」と小さな声が返ってくる。
「さぁ、クロウ!この素材を取ってきて!」
ユイは作業台に広げたスケッチに手を触れると、一瞬で様々な魔法素材の名を浮かび上がらせた。その付与魔術の手際を見て、クロウは驚きに目を見張った。
「おおっ」
そこから怒涛の“制作”が始まった。いや、もはやユイにとっては“降誕の儀式”である。
ユイは与えられた付与術式を即座に応用し、イメージを具現化。素材を選び、術式を書き換え、知識を魔導書で補い、クロウの手助けを受けながら次々と作業をこなしていく。
途中、細かなトラブルも発生した。
「クロウ、ここの付与術式にエラーが!内部崩壊が始まってる。原因、わかる?」
「うーん……あ、たぶん15番回路と2番回路が干渉してる。ほら、ここ。無効な魔法文字が混じってる」
「さすがクロウ!」
そして時折、ユイは楽しそうに話しかけてくる。
「ねえクロウ、人女王様に会ったことある?」
「え? うーん……遠くから見かけたことなら」
ユイの目がカッと見開く。
「さすが神国マニアNo.2!」
「マニア? No.2!?」
「No.1は私!ちなみに人女王様の歴史ってわかる?40年前に突如神国で4人目の女王が制定された時は神国中で衝撃が走ったみたいなんだけど、それを覆すかのように重病人への謁見を全ての人々に行った。結果、当時病に倒れてた人は全ての人々が完治し、後に老衰によって安らかに亡くなっていったことは伝説ね。あ、この話は人女王物語第2章で語られた人女王の能力の考察にも載っていたのだけど……」
「……うん、近いね」
ユイは話に熱が入り、ついクロウに顔を近づけすぎる。
「あ、ごめんごめん、えへへ」
そんな掛け合いも繰り返し、気づけば2時間が経過していた。
そして──その時は訪れる。
「で……できた!」
ユイが満身創痍の笑みを浮かべ、ついに完成した像を見上げた。クロウも同じく、深いため息と共に座り込む。
そこに完成したのは、伝説の付与魔術士アーク・ミラーの術式とユイの情熱が生み出した、奇跡の“それ”だった。
「これが……」
「人女王……」
二人は言葉を失い、ただ感動の余韻に浸る。
そして──
「の、」
「右手!!」
ユイは、自身の目の前に完成したその“手”を見つめ、震える声で呟いた。
「う……美しい……!」
その声は、まるで魂の奥底から自然とこぼれ出たものだった。
まさか自分の手で、こんなにも美しく、崇高なものを生み出せるとは、数か月前のカムイに来る前の自分には想像すらできなかった。ここに至るまでの苦しみも、悩みも、失敗も、その全てが今この瞬間に報われる。胸の奥に、熱いものがこみ上げるのを感じた。
「これは……」
隣で共に作業をしていたクロウも、思わず言葉を失いそうになった。
目の前にあるのは、ただの像ではない。魔法石膏に幾重もの付与魔術を重ね、ユイのイメージを練り上げ、実体化させたもの。
しかもそれは、文献の断片的な記録を頼りに、ユイの想像と祈りだけで形にしたものだ。だが、その完成度は見る者に“本物”を感じさせるだけの説得力を持っていた。
「……これは、人女王の手だ」
クロウは静かにその手に視線を落とした。指先は繊細で、ほんの少し握られた形をしている。過去に自分の手を引いた、あの小さくも力強い手の感触が、記憶の奥底から蘇ってくる。
目の前にあるのは、その時の感触そのものだった。
「ユイ……君は本当に、すごいよ……」
ふと隣を振り返ったが、ユイは静かに俯き、顔を上げようとしなかった。
「ユイ……?」
心配になり声をかけた瞬間、クロウの瞳に異様な光景が映り込んだ。ユイの足元に、突如として淡く輝く魔法陣が浮かび上がり、彼女の身体を中心に渦巻くように光が収束し始めていた。
「そうか、しまった」
クロウが駆け寄ろうとしたその時、ユイは微かに顔を上げ、疲れ切ったその顔に、安堵とも満足ともつかぬ、儚い笑みを浮かべた。
「お疲れ様……」
声は掠れ、ほとんど囁きに近かったが、確かに聞こえた。光の渦に包まれ、ユイの姿はゆっくりと魔法陣の中心に吸い込まれるように消えていく。その表情には一切の悔いはなく、全てをやりきった者の穏やかさだけが宿っていた。
「……ついに帰ったか」
教室の入り口から、煙草をくわえたダレントンが姿を現す。淡い紫煙をぷかぷかと浮かべながら、人女王の右手を模した像に目を向けると、その目は細められた。どこか感心しているような、しかし同時に警戒も含んだ複雑な眼差しだ。
「美しいな……俺は女王に会ったことなど一度もないが、それでもわかる。この像は、間違いなく世界屈指の芸術品だ」
ダレントンの言葉に、クロウは苦笑いを浮かべながら答えた。
「だが、まだ“手”だけですよ。あの子はいずれ、全身を創り出します」
クロウの声には、ユイの夢を信じる強い確信が滲んでいた。
「ふむ……それは期待している。だが、もう教室には君しか残っていないぞ」
「え?」
クロウは辺りを見回した。つい先ほどまで、あれほど騒がしかった教室の生徒たちの姿は、すでにどこにもない。かすかに残る魔力の残滓と、消え残った付与術式の痕跡が、ここで多くの生徒が魔力と脳の限界を迎え、転送されたことを物語っていた。
「初めてだよ、初日から魔力切れも起こさず、残り続けている生徒は」
ダレントンは紫煙を吐きながら、不敵な笑みを浮かべる。
「それは……ありがとうございます」
クロウは控えめに礼を述べたが、相手の態度から、この後に何かが待っていることを敏感に察知した。
「アーク・ミラーの付与魔導書は、脳への付与魔術公式の付与を行う。だが、しばらくは脳と魔術回路が暴走状態になる。だからこうして、限界まで付与を行使し続けることで、それを馴染ませるんだ」
ダレントンは、手にした煙草を無造作に握り潰す。ジュッという音と共に火が消え、灰が静かに床へと落ちた。
「今もお前の肉体は付与魔術によって、肉体と魔術回路が暴れ回っているはずだ。それに、さっきまでの五大元素魔法の魔力枯渇も加わっていた」
「まぁ……確かに。あれは疲れました」
クロウは静かにため息を吐く。己の魔力が底を尽きかけた感覚など、今までの人生で数えるほどしかない。その異常さが、この場の空気をさらに張り詰めさせていた。
「だが、今のお前は回復している。この授業の間に、五大元素魔法による消耗と、アーク・ミラーの付与魔術暴走を克服したんだ」
その瞬間、ダレントンの両腕に付与魔術の術式が刻まれるように浮かび上がり、強烈な魔力の奔流がほとばしる。
「なあ、お前……何者なんだ?学生なんてやってるようなタマじゃないんだろう?」
「!」
クロウは即座に察知した。
ダレントンがその身に纏う魔力は、肉体強化、魔力強化、属性付与と、幾重にも重ねられた戦闘向けの付与。完全に“実戦”の構えだった。
「まさか、魔対のつもりですか?今度は、あなたが」
「いーや、あんなものは人目に触れる場所だ。ここで充分。お前の真意を確かめたくなってな」
ダレントンは重心を落とし、独特の構えを取った。それは格闘魔術師特有のものであり、しかもかなりの有段者にしか纏えない強者の気配を伴っていた。
クロウはその構えを一瞥し、少し俯く。瞼を閉じ、何かを考える素振りを見せる。そしてすぐに顔を上げ、ダレントンをまっすぐに見据えた。
「……ダレントン教授、あなたは悪い人ですね」
その言葉を耳にした瞬間、ダレントンの全身に戦慄が走った。クロウの全身から発せられる、まるで殺意にも似た強烈な気配。肌がビリビリと粟立ち、全身が硬直しそうになる。それでも付与魔術を全身に施していなければ、その場で膝をついていたかもしれない。
「……この前の魔対は、お遊びだったわけか。そこまでの物を見せてくれるということは……俺を認めてくれるってわけだな」
ダレントンは、その尋常ならざる圧力の中で、まるで子供のように嬉しそうな笑みを浮かべた。強者にしかわからぬ歓喜の表情。
ここに、互いの本質を悟り合う者たちの、静かで熱い瞬間が訪れていた。
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