第3章 part9.5 対面、そして茶会


女王たちの元へ、再びカゲハは呼び出された。


理由はただひとつ――彼女の“処遇”を決めるためである。


カゲハは薄暗い大広間に足を踏み入れた瞬間、ふと目に映った豪奢な装飾に目を留めた。


壁には銀糸で編まれた布が垂れ下がり、天井には星を模した銀細工の飾りが静かに揺れている。


その光景に、カゲハは心の中で「今日は神女王がテーマの飾り付けか」と呟く。


淡い銀の光が室内を淡く照らし、荘厳でどこか神秘的な空気が漂っていた。


広間の奥には、いつものように四つの玉座が並んでいた。


豪奢な宝飾の椅子に腰掛けるのは、もちろん四人の女王たち。しかし、今日の彼女たちの瞳には、いつもの和やかさや遊び心は微塵も感じられず、代わりに張り詰めた冷たい光を宿していた。


その鋭い視線がカゲハに突き刺さり、まるでその場の空気すら硬質なものへと変わっていくようだった。


「カゲハ」


玉座の中央、真女王が静かに名を呼ぶ。


その声には、慈愛も、余裕もない。ただ厳しく、揺るぎない威厳と力が込められていた。


「は……はい」


カゲハはすぐさま姿勢を正し、膝をついて頭を下げる。背筋に冷たい汗が伝う。


「色々と訊きたいことはあるが、まずはお前を“試さねばならん”」


そう告げると、真女王は椅子から軽やかに飛び降り、無駄のない動きでカゲハの前に歩み寄ってきた。


カゲハはその姿を見上げた。女王化した自身の身体は少し背が縮んでしまっており、これほど間近に真女王を見上げるのは初めての経験だった。


圧倒的な威圧感。


まるで天と地が逆転したかのような感覚に、喉が自然と鳴る。


「……狂女王の仕業か」


鋭い視線で睨みつけながら、真女王は言う。


「はい……ですが」


カゲハが答えかけると、その声を遮るように、


「理由は話せぬのだな」


「……はい」


短く、重く答えるしかなかった。カゲハの中で幾度も言葉は浮かびかけたが、それは口から出ることを許されなかった。


真女王は鼻を鳴らし、フッと息をつく。どうやら、カゲハのこの姿は彼女の知る“それ”とは異なるらしい。


「ならば――行くぞ。気を抜くな」


カゲハは何が起こるのか分からぬまま、即座に構えた。


“世界の掌握”を自らに展開し、どのような干渉も防ぐ準備を整える。これで誰であろうと、下手に触れることなどできぬはずだった。


しかし。


「フフ……いいじゃないか」


満足げに微笑んだ真女王の姿が、次の瞬間――変貌した。


「……くぅ!?」


カゲハの身体が無意識に震えた。目の前の存在が、一瞬で別の何かへと姿を変えたからだ。


2本の立派な角、蒼い鱗の肌。背には光を放つ大きな翼が広がり、腰には雪の結晶のように輝く尻尾。


まさに竜の中でも特別な存在、真女王の“真の姿”だった。


溢れ出すその圧力は、単なる魔力の奔流などではない。空間そのものを支配する、存在の“格”が違うという圧倒的な存在感。


それは、たとえ“世界の掌握”を展開していても、押し潰されるような感覚だった。


カゲハは歯を食いしばり、世界の掌握の展開を解くことすらできず、ただ耐え続けた。



これがなければ、自分の身体はとっくに消し飛んでいただろう。



「くっ……」


冷や汗が頬を伝い、とうとうカゲハはその場に膝をつく。


竜となった真女王は、そんな彼女を見下ろし、満足そうに微笑んだ。


「お前程度が“世界を掌握”したとでも思ったか?中途半端な女王化など、身を滅ぼすだけだぞ」


「は……はい……」


滴る汗は止まらず、顔を上げることすら叶わない。喉から湧き出る鉄の味、肉体の崩壊が近づいてきている、そんな予感すらあった。



その時、


不意に空気が和らいだ。カゲハを押し潰していた重圧が、ふっと消え去る。


「っ……はぁ、はぁ……」


ようやく息をつけた。肺に空気が満ちる感覚すら痛みに似ていた。


「もうよろしいでしょう、真女王」


壇上から柔らかな声が響く。


神女王だった。その手はカゲハと真女王に向けられ、カゲハを包むように優しい光を放っていた。


だが、その光もただの癒しではない。その領域は同じ“世界の掌握”を使用してはいるがカゲハには届かぬ次元の高み。


(これは……次元が、違う)


カゲハはその違いに震えながら、ただ息を整えた。


「フン、まあいいだろう。消滅させようかとも思ったが、まだ原型が残っている分、マシだな」


真女王が重圧を解き、その竜の姿も光となって消えてゆく。


それを見ていた獣女王は、興味深げに口元を舐め、挑発するように言った。


「百点じゃないけど、まあ悪くはない。及第点ってとこだねぇ」


カゲハはその声を聞きながら、震える手で小さく頷いた。体力も気力も、今はそれ以上の反応ができなかった。


「……だが私について来れば、もっとその“体”を使いこなせるようにしてやるけど、どう?」


上気した顔で言い寄る獣女王に、カゲハは本能的な寒気を覚えたが、何も言うことはできなかった。


「やめなさい」


神女王が嗜めると、獣女王は軽く肩をすくめ、あっさりと引き下がったものの、その目だけはなおも“獣”のように光っていた。


「ねえ、もう女王化は解いちゃいなよ。魂も削れるし、回復ったって、私たちみたいには成れないんだから」


人女王が不思議そうにカゲハを見つめる。その瞳は、獲物を観察する猫のように煌めいていた。


「もしかして、その姿、気に入っちゃった?」


その目の輝きはさらに増し、


「だったらさ、この前のお礼も兼ねて、真里も一緒にお茶会しようよ!きっと楽しいから!」


無邪気に両手を合わせ、楽しげに笑う。


「あ、いえ……お気になさらず」


カゲハはどうにか身体を起こし、再び女王たちの方を向いた。


「で、なんで女王の姿のままなんだ?まさか、本当にその姿が気に入ったとでも?」


真女王は椅子に戻り、足を組み直しながら尋ねる。


カゲハは俯き、先ほどとは違う汗を浮かべたまま、恥ずかしげに答えた。


「あの……戻し方が……わからなくて」


その言葉に、神女王を含む四人の女王たちが、互いに目配せを交わし、改めてこの件が狂女王の仕業であると確信した。


「まあ、だがな」


真女王が立ち上がり、他の三人もその後に続いた。


「貴様は一つ、生命の存在から女王の在り方へと踏み出した。それは誇れ」


四人は小さく、しかし確かな拍手を贈った。


「……ありがとうございます」


カゲハは、その場の空気がよく掴めないままに、女王達からの賞賛の言葉をただ素直に受け取った。


自分がどこまで評価され、何を期待されているのかも分からぬまま、その胸の奥には得体の知れない不安と戸惑いが渦巻いていた。


そんな中、真女王がスッと片手を上げると、その鋭い指先がカゲハをまっすぐに指し示した。


「さて、貴様の女王化は、我々からすればまだ“女王”とは呼び難い代物だ。せいぜい“小さなお姫様”、そう——《プリンセス》といったところか」


その言葉は冗談半分のようでもあり、しかし明らかに上位者としての余裕と、試すような意図が込められていた。


「プリンセス……」


不意に口を衝いて出たその響きに、カゲハの顔は引き攣った。


自分に与えられたこの名が、愛称なのか、それとも皮肉と嘲りを込めた蔑称なのか。カゲハには判断がつかなかった。


ただ、自分の口がわずかに開いたまま言葉を飲み込めず、呆然とするばかりだった。


そんなカゲハの手を、人女王がそっと取り、柔らかな笑みを浮かべながら言った。


「まだ、今回の任務の詳しい報告は聞いてないもの。ねえ、せっかくだしお茶でもしながら、ゆっくり話してもらおうかしら。《プリンセス・カゲハ》」


その表情には純粋な楽しさと、わずかな悪戯心が滲んでいた。引かれた手は温かく、しかしその言葉の響きがカゲハの精神にさらなる追い討ちをかけた。


「プリンセス……カゲハ……」


心のダメージは計り知れず。カゲハはすでに瀕死の精神状態であったが、人女王の無邪気な追撃は容赦がなかった。


すると、隣からひょいと獣女王が割り込み、ニヤリと獰猛な笑みを浮かべて言った。


「女王の茶会に参加できるなんて、本当に名誉なことなんだぞ?よし、私がいっぱいお菓子を食べさせてあげよう♪プリティプリンセス♪」


そう言いながら、彼女は楽しげにカゲハの頬を指でつつく。


柔らかな感触とともに、からかうような愛情を乗せたその仕草に、カゲハの心はさらに深く沈んでいく。


「プリティ……プリンセス……」


項垂れ、半ば魂の抜けかけたような様子で、カゲハは二人の女王に両腕を拘束されるようにして引きずられる。


彼女たちの足取りは軽やかで楽しげで、対照的にカゲハの足取りは重く、引きずられるようにして進むしかなかった。


ふとカゲハは、その様子を微笑ましげに眺めている神女王に目を向けた。まるで助けを乞うように、わずかに潤んだ目で静かに訴えかける。


(止めてください……)


そんな願いが心の中に響く。


だが、神女王はその銀白の瞳を優しく細め、穏やかな微笑みを浮かべてカゲハに告げる。


「大丈夫、とても可愛らしいですよ」


「あ……はい……」


もう抗う気力もなく、カゲハは力なく答えた。


やがて一行は、王都の高みに設けられた天空庭園へと足を踏み入れる。


そこは澄んだ空気と、色とりどりの花が咲き誇る静謐な楽園のような場所だった。


そこに用意された特製の茶会席には、豪奢な食器と美しい菓子の数々が並べられていた。


さらにカゲハには、真女王の私物だという紺色の茶会用ドレスが着せられることとなった。


繊細なレースと宝石の刺繍が施されたそれは、どこか皮肉めいた優美さに満ち、確実に汚してはならぬ緊張感を全身にまとわせる。


カゲハは席につきながら、目の前に並べられた菓子や茶器を見つめ、ただひたすらに思う。


(……もう戻りたい)


ユーガ国での苛烈な戦いよりも、この女王たちとの茶会のほうが数倍精神的に過酷であることを、カゲハはようやく痛感し始めていた。


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