ピンクパールの支柱
ニシマ アキト
0 三浦彩乃 - ①
その日、我が家は一夜にして地獄と化した。お父さんが仕事から帰宅してくるなり、二年前に職場に新卒入社してきた二十歳の女の子と来月から一緒に暮らすことになったと言い出して、それを聞いたお母さんは当然烈火の如く怒り出して、お父さんを張り倒して馬乗りになって、顔が血まみれになるまで殴りまくっていた。私は二人を、食卓に座ったまま呆然と眺めているしかなかった。小学六年生の妹はなぜかゲラゲラ笑っていた。何が面白いのか皆目わからない。面白いとかじゃなくて、もう笑うしかない状況だから笑っているだけなのか。
顔面がぼこぼこに腫れ上がった父親は、その日のうちに家を出て行った。お母さんがリビングを滅茶苦茶に散らかしたまま二階の自室に消えた後、お父さんはゆっくりと起き上がって、何も言わずに玄関扉を開けて出て行った。お父さんは冷静だった。浮気を暴露したときも、お母さんに殴られている最中も、お父さんは一切の感情を表に出さなかった。きっとこのことはずっと前から計画していたのだと思う。だから私と五歳くらいしか歳の違わない女の子と長い間付き合っていた。お父さんはもう、一年以上前から私たちを見限るつもりでいたのだ。
お父さんのことは、家族としてそれなりに好きだった。自分の仕事で稼いだ収入はほぼ全て家計に入れてくれていたし、ギャンブルや煙草や酒といった趣味もなく、私や妹がもっと小さい頃には半年に一回ほど車で県外まで遊びに連れて行ってくれた。私たちが頼めば、何でもないただの週末でも近くのショッピングモールまで車を出してくれた。
普通の良いお父さん、だったと思う。
平日は家族のために働いて、休日も家族との時間を大切にしてくれる、まともな良いお父さん。優しくて温かいお父さんのことが私は好きだった。だけど同時に、お父さんがこれだけまともで優しいことが、ずっと不思議でもあった。
どうしてこんなまともな人が、お母さんみたいな人と結婚したのだろう、と。
お父さんはハウスメーカーの営業マンで、お母さんは小学校の教師をしている。お父さんの職場での評価はほとんど聞いたことがないけど、お母さんのほうはだいたい把握できている。お母さんが食卓の席でしょっちゅう自慢してくるからだ。「食事中にくちゃくちゃ喋るのはお行儀が悪い」と私たちを注意するくせに、食事中に最初に喋り始めるのはいつもお母さんだった。お母さんは小学校の中でとても頼りになる良い先生として名が通っているらしい。といっても児童からの人気はほとんどない。母親の口から語られる自慢話は、同僚や保護者に感謝されたという内容ばかりだった。自分の受け持つ児童から直接感謝されたという話は聞いたことがない。
お母さんはどこの公立小学校に勤務していても必ず「学校一厳しい先生」のポジションにおさまる。
人を叱責するためには、ものすごい体力が要る。今までの生温い関係性を壊して、相手が言われたくないであろう部分をしつこく指摘しつつ、上から目線で厳しく説き伏せなければならない。何より、自分の話を聞いて露骨に気分が落ちていく人間の顔を、ずっと間近で見続けなければならない。子供のためを思うなら適度な叱責は必要なのだろうけど、叱責する方もされる方も心がへとへとに疲弊してしまうので、多くの教師や保護者は子どもへの叱責を避けようとしがちだ。
しかしお母さんは違った。お母さんはそういう精神的疲労を一切感じないのだ。だから自分の子供を叱責できない人に代わってお母さんが叱責して、その人に感謝される。そういう意味で、お母さんにとって小学校教師は天職なのかもしれない。だけどその家族からしたら、全くたまったものではなかった。
お母さんは自分の子供に対しても職場と同じように叱責する。寧ろ職場よりも激しく叱責しているかもしれない。なぜなら家ではお母さんの手が出るから。門限を一分でも過ぎてしまったとき、友達の家に遊びに行ってそこで出されたコーラを飲んでしまったとき、学校のテストで八十五点をとってしまったとき、風邪をひいて家のトイレで吐いてしまったときなどは、お母さんは毎回私の頭をバシバシ叩きながら三時間以上説教した。中学二年生のときに合唱祭の打ち上げに行って門限を二時間も過ぎてしまったときは、お腹の鳩尾を何度も蹴られた。
お母さんは、人を傷付けても全く胸が痛まないのだろう。他人が自分と同じ心を持っていることを認識できていない。自分の言葉や暴力によって相手の心が傷付くということを想像できない。こういう根っからの冷血人間は別に珍しくなかった。小学生のときにクラスで頻繁にトラブルを起こす気の強いいじめっ子気質の女子がいたが、その子はお母さんによく似た雰囲気があった。鬼のような熱い激情と、人の気持ちを一切考慮できない冷徹さが同居している雰囲気。
中学生になる頃には、私の目にはお母さんのことが、人間とはかけ離れた醜い化け物のように見えていた。
私だったら、お母さんみたいな性格の人とは絶対に結婚しない。どれだけ見た目が良くても、どれだけお金を持っていても、絶対に。
けれど信じ難いことに、私が生まれる前、お父さんはお母さんと結婚したのだ。お母さんは特段美人ではないし、ただの公務員で決してお金持ちでもないのに。
両親が結婚した経緯について、具体的な話を聞いたことはない。だけどお母さんはお父さんと言い合いになるたびに「子供ができちゃったからあんたと結婚しただけで、別に私は結婚するつもりなんてこれっぽっちもなかった」と吐き捨てるように言う。その台詞にお父さんがはっきりした言葉で言い返しているところを、私は見たことがない。
こういうのは、お母さんの常套手段だった。お母さんは自分で罪悪感を持たないくせに、相手に罪悪感を持たせるのがとても上手い。
私を叱責するときもお母さんは「私の親はもっと厳しかった。私の親だったらあんたのことなんかとっくに捨てている。この家に生まれてきたからあんたはまだ救われているだけ。あんたは本当に恵まれている。それなのにどうして何度もお母さんを裏切るようなことをするの?」とネチネチ言ってくるのだ。それに対してどう答えれば良いかなんてわかるわけがない。私がいつまでも押し黙っていると、お母さんは容赦なく私の頬を張る。「本当に見損なった。親に対する感謝とか罪悪感とか、そういうものを感じる神経が全部切れているんじゃないのか。そんな冷血な人間に育てた覚えはない」と大声で捲し立てる。全くわけがわからないはずなのに、そう言われるとまるで本当に自分が罪深い子供のように思えてくる。
お母さんとお父さんが結婚した理由は、私という子供ができたから。それが真実かはわからない。けれどもしそれが真実だとしたら、こんな家庭になってしまった原因は全部、私がこの世に生まれてしまったことにある。私が生まれてこなければ、お父さんもお母さんも私も、こんなに不幸になることはなかったんじゃないか。
お父さんが出て行った後、すっかり冷め切った夕飯を食欲もないまま黙々と食べて、私は風呂も入らず自分の部屋のベッドに潜り込んだ。毛布を頭まで被って、暗闇の中で目を開けたまま、とめどなく涙を流した。お父さんは長い間、私のことを憎んでいただろう。この娘さえ生まれてこなければこんな女と結婚しなくて済んだのにと、私を憎悪していた。お父さんは私のことなんか全然好きじゃなかった。だからお父さんは簡単に私を捨ててこの家から出て行ったんだ。私は両親のどちらにも愛されていなかった。
私はずっと泣いていた。自分が眠っていることに気づかないまま、夢の中でもずっと泣いていた。
現実でも夢の中でも、私はずっとひとりぼっちだった。
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