第42話 最後の仕事

「……俺がひとりで行くことにする」


 真っ先に沈黙を破ったのは、やはりアリアだった。


「何を……仰っているのですか、マスター!」


 彼女は勢いよく立ち上がり、俺の前に立ちはだかる。


「マスターだけで潜入ですか!? そんなこと、できるはずがありません! 絶対に、絶対に認めません!」


「アリアの言う通りです」ノエルが、アリアの情熱的な訴えを補強するように、冷静な、だが有無を言わせぬ口調で続けた。「マスター、それは合理的な判断ではありません。敵の拠点は、帝国の正規軍でも攻略困難な要塞。あなたの戦闘能力は承知していますが、我々の支援なくして、この作戦の成功率は著しく低下します。それは、自決行為に等しい」


「あなたの過去の清算は、あなただけの仕事ではないはずです」


 静かだが、芯の通った声。ミアだった。彼女は涙の跡が残る顔を上げ、真っ直ぐに俺を見つめていた。


「私にも、戦う理由があります。あの方々は、私の一族を弄び、その命を奪った仇です。この手で、その罪を終わらせなければ、私は……未来へ進めません」


「わたくしの問題でもあるのです!」リゼットも、震える唇で必死に言葉を紡ぐ。「わたくしが、アストリアの血を引いているせいで、皆を、レイドを危険な目に……! だから、置いていかないで! わたくしも、共に戦わせてください!」


 それぞれが、それぞれの想いを俺にぶつけてくる。

 言葉を発さずとも、俺の服の裾を強く、強く握りしめるリリスの小さな手の震えが、何よりも雄弁に彼女の意志を伝えていた。


「……これは命令だ」


 俺は、彼女たちの視線から逃れるように、吐き捨てた。

 仲間を危険な最終決戦に巻き込みたくない。

 俺が全てを背負えば、それで終わるはずだ。


 ……だが、その身勝手な優しさが、今、目の前の仲間たちを深く傷つけていることも、痛いほど分かっていた。


 彼女たちの瞳に宿る、疑いようのない信頼。

 俺を一人にはしないという、鋼のような決意。

 その真っ直ぐな光に射抜かれ、俺の心の壁は、もはや形を保つことすらできなくなっていた。


 長い、重い沈黙の後、俺は天を仰ぎ、腹の底から深いため息を吐き出した。


「……分かった」


 その一言に、部屋の空気が、ふっと緩む。


「お前たちの覚悟は、よく分かった。だが、死ぬなよ。絶対にだ」


 俺がそう言うと、アリアの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。


「では、早速ですが」ノエルが、場の空気を切り替えるように、きりりとした表情でテーブルに向き直った。「最後の作戦会議を始めましょう」


 テーブルに、帝都の巨大な古地図と、ノエルが独自に入手した軍務大臣私邸の見取り図が広げられる。

 そこに、ミアが解読した研究記録の情報を書き加えていく。


「敵の拠点は、帝都の地下深くに広がる旧アストリア王国の離宮跡。現在は軍務大臣の私邸が、その入り口を巧妙に偽装しています」ノエルが指し示したのは、貴族街の一角だった。「警備は帝国の最新技術と、黒幕の私兵、そしておそらくは『帝国純血派』の残党によって固められているはずです。正面からの突入は自殺行為に等しいでしょう」


「地の利は、完全に敵にある。だが、奴らにとって一つだけ、想定外のことがある」俺は、地図の一点を指差した。「この離宮の、古すぎる構造そのものだ」


「旧アストリアの王族は、有事の際の避難経路として、帝都の地下を流れる古い水道網に繋がる、幾つもの隠し通路を設けていたと、伝承にありますわ」


 リゼットが、おずおずと、だが確信を持って口を開いた。

 王家の者として、彼女だけが知り得る情報だった。


「ですが、ミアさんの話では、その通路には罠が……」とアリアが懸念を示す。


「ええ」ミアは頷く。「でも、アストリア王家と私たち月影族が、互いの知識を持ち寄って施した『守りのルーン』も、まだ生きているはずです。そのルートを使えば、罠を回避し、敵の意表を突いて中枢近くまで接近できるかもしれません」


 俺の戦術眼と、ノエルの情報分析、アリアの戦闘経験。

 バラバラだった俺たちの知識と経験が、一つの目標に向かって、完璧な作戦計画へと練り上げられていく。


 それは、まさしく、かつての「ナイトオウル」が復活した瞬間だった。

 帝国の闇に潜み、数多の不可能を可能にしてきた、最強の影の部隊が。


☆☆☆


 作戦は、明朝未明。

 突入を控えたその夜、隠れ家には静かだが、心地よい緊張感が満ちていた。

 誰もが、最後の準備に没頭している。


 アリアは、自らの長剣を布で丁寧に磨き上げていた。

 その横顔は、決意に満ちている。「マスターの隣に立つために」。

 その想いが、彼女の剣にさらなる輝きを与えているようだった。


 ノエルは、ロウソクの灯りの下で、完成した作戦図と資料を何度も確認している。

 時折、片眼鏡(モノクル)を外し、疲れた素顔でこめかみを押さえる姿は、彼女がこの作戦に全てを懸けていることを物語っていた。


 窓辺に座るリリスは、一本一本の矢に、まるで森の精霊に祈りを捧げるかのように、静かに羽根を整えている。


 ミアは、乳鉢で薬草をすり潰し、解毒剤や止血剤を調合していた。「この力は、守るために」。

 彼女の瞳には、過去の悲劇を乗り越えた、巫女としての強い光が宿っていた。


 リゼットは、自室の窓から、遠くに見える帝城を見上げていた。

 その手には、ミルウッドの収穫祭で手に入れた、青い風鈴が握られている。

 王家の末裔として、そして一人の少女として、彼女は自らの運命と向き合う覚悟を決めていた。


 俺は、そんな仲間たちの姿を静かに見守りながら、キッチンでコーヒーを淹れる。

 ゴリ、ゴリ、と豆を挽く音だけが、部屋に優しく響いていた。


 やがて、全員分のコーヒーを淹れ終え、それぞれの元へ運ぶ。

 湯気の立つカップを受け取りながら、仲間たちは、それぞれの表情で俺を見上げた。


「……これが、最後の一杯にならんことを祈るぜ」


 俺がそう言って不器用に笑うと、アリアが力強く頷いた。


「必ず、またマスターの淹れたコーヒーを飲みに帰ってきます。今度は、ミルウッドで」


「ええ。その時は、ヘイゼルおばさんの差し入れのパイも付けてもらいましょう」


 ノエルが微笑み、リゼットも「……悪くない味、ですわね」と、素直じゃない言葉で同意を示す。

 短い会話。だが、そこには、どんな言葉よりも強い絆と、生還への誓いが込められていた。


 俺は、自分のカップを手に、窓の外に広がる帝都の闇を見据える。

 その闇の奥底に、俺たちが討つべき巨悪が潜んでいる。


「さて、と」


 俺はカップに残ったコーヒーを飲み干した。


「最後の仕事だ」

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