第31話 祭り
「お前を守れて良かった。とりあえず、今日はみんなで、祭りを楽しもう」
俺の言葉に、カフェの空気は一瞬、戸惑いに満ちた。
アリアは心配そうに俺の顔を見て、それからリゼットに視線を移す。
当のリゼットは、俺の言葉が信じられないといった様子で、目をぱちくりさせていた。
ついさっきまで命の危険に晒されていたのだ。
すぐに「祭りを楽しもう」と言われても、切り替えが難しいのは当然だろう。
「……本気で言ってるの?」
リゼットが、か細い声で尋ねてきた。
「ああ、本気だ」俺は頷いた。「セイラースのことを忘れろとは言わん。だがな、怯えてばかりいても始まらんだろ。それに、お前が頑張ったご褒美だ。少しは息抜きも必要だ」
俺はそう言って、努めて明るい声を出した。
もちろん、警戒を解くつもりなど毛頭ない。
だが、このまま重苦しい空気の中にリゼットを閉じ込めておくのは、彼女のためにならない。
「そうですね、マスター!」アリアが俺の意図を汲み取り、いつもの快活さを取り戻してリゼットに微笑みかけた。「リゼットさんも、せっかくの収穫祭ですもの! きっと楽しいですよ!」
「リゼット様の気分転換にもなるでしょう。我々も、情報収集の絶好の機会と捉えることもできますしね」ノエルも冷静に付け加え、俺に同意の視線を送る。
リリスは黙ってこくりと頷いた。
皆の後押しを受け、リゼットは俯きながらも、小さな声で「……わ、分かったわよ。少しだけなら……付き合ってあげても、いいわ」と呟いた。
顔はまだ強張っているが、ほんの少しだけ、その表情が和らいだように見えた。
俺たちは簡単な身支度を整え、収穫祭の喧騒へと繰り出した。
もちろん、俺とノエル、リリスは常に周囲への警戒を怠らない。
アリアはリゼットの手を握っていた。
こうしてみると、姉妹みたいで微笑ましい。
夜の広場は、昼間とはまた違った賑わいを見せていた。
提灯の柔らかな灯りが石畳を照らし、屋台からは香ばしい匂いが漂ってくる。
陽気な音楽に合わせて踊る人々の輪もできていた。
「わあ……!」
リゼットが、思わず小さな感嘆の声を漏らした。
その瞳は、きらびやかな夜店の光や、楽しげな人々の様子に釘付けになっている。
「何か食べたいものとか、見たいものとかあるか?」
俺が尋ねると、リゼットは一瞬ためらった後、遠慮がちにリンゴ飴を指差した。
真っ赤な飴にコーティングされたリンゴが、提灯の光を反射してキラキラと輝いている。
俺は黙ってリンゴ飴を二本買い、一本をリゼットに、もう一本をアリアに渡した。
リゼットは少し驚いたような顔をしたが、やがて嬉しそうにリンゴ飴にかじりついた。
その頬が、ほんのりと赤く染まっている。
リゼットの表情は、祭りの陽気な雰囲気に触れるうちに、少しずつ解れていった。
そんなリゼットの様子を、俺は少し離れた場所から、ノエルやリリスと共に静かに見守っていた。
この瞬間だけは、彼女に普通の少女としての時間を過ごさせてやりたかった。
ふと、リゼットが一つの露店の前で足を止めた。
そこには、色とりどりの風鈴が吊るされ、夜風に揺れて涼やかな音色を奏でている。
リゼットは、その中でもひときわ美しい、透き通るような青いガラスで作られた風鈴をじっと見つめていた。
その横顔は、どこか物悲しげで、それでいて何かを渇望しているようにも見えた。
「……綺麗」
ぽつりと漏れた言葉は、祭りの喧騒にかき消されそうになるほど小さかった。
俺は何も言わずにその風鈴を買い、リゼットに手渡した。
リゼットは驚いたように目を見開いたが、やがて大切そうにそれを受け取ると、「……ありがとう、レイド」と、掠れた声で呟いた。
祭りの喧騒も少しずつ落ち着き始め、空には月が高く昇っていた。
俺たちは、家路につく人々の流れに乗りながら、カフェへと戻ることにした。
リゼットの足取りは、来た時よりも幾分か軽く、その手には青い風鈴が大切そうに握られている。
その風鈴が揺れるたびに響くチリン、という涼やかな音色が、夜道に優しく響いた。
カフェ【木漏れ日の止まり木】に戻り、ランプの柔らかな灯りが店内を照らすと、ようやく本当に安心したのか、リゼットの肩からふっと力が抜けたように見えた。
俺が淹れた温かいミルクを一口飲むと、リゼットはココアカップを両手で包み込むように持ち、風鈴をテーブルの上にそっと置いた。
そして、不意に顔を上げたリゼットの大きな瞳は潤み、何かを決意したような、強い光を宿していた。
「……レイド。アリアさん。ノエルさん、リリスさん」
リゼットは一人一人の顔を順番に見つめ、そして、深々と頭を下げた。
「今夜は……そして、これまでも……本当に、ありがとうございました。わたくし……皆さんに、ずっと隠していたことがあります」
その言葉に、俺たちは息を呑む。
リゼットは震える声で、だがはっきりと、自身の秘密を語り始めた。
「わたくしの本当の名前は……リゼット・アストリア、と申します」
アストリア……。
その名には聞き覚えがあった。
確か、帝国に併合された隣国の名だったはずだ。
「そして……わたくしは、数世代前にアークライト帝国によって滅ぼされた……アストリア王家の、正統な血を引く……最後の生き残りでございます」
俺は、ただ黙ってリゼットの次の言葉を待った。
「わたくし自身には、特別な力など何もありません。ただ……この血筋があるというだけで……多くの方々がわたくしを利用しようとし、また……命を狙っているのです。今日現れた、セイラースと名乗る男も、その一人なのでしょう」
リゼットの声は、途切れ途切れで、悲痛な響きを帯びていた。
「元帥閣下は、そんなわたくしを……あなた様の元へ預けてくださいました。きっと、ここなら安全だと……そうお考えになったのだと思います。でも……わたくしがいることで、あなたたちを危険な目に合わせてしまっている……。それが、ずっと……申し訳なくて……」
リゼットの大きな瞳から、堪えきれなかった涙が一筋、頬を伝った。
「ごめんなさい……。わたくしは……あなたたちの平穏を、壊してしまった……」
俺は、リゼットの震える肩にそっと手を置いた。
こいつが背負っているものは、俺が想像していたよりも遥かに重く、そして厄介なものらしい。
「……顔を上げろ、リゼット」俺は静かに言った。「お前が誰であろうと、このカフェがお前の居場所であることに変わりはない。それに……」
俺は、アリア、ノエル、そしてリリスの顔を見渡す。
皆、驚きは隠せないものの、その瞳にはリゼットへの同情と、そして何よりも、彼女を守ろうという確かな意志が宿っていた。
「俺たちは、お前が思うほど、ヤワじゃないんでな」
そうだ。この程度のことで、俺たちの日常がそう簡単に壊されてたまるか。
元帥が何を考えていようと、セイラースが何を企んでいようと、関係ない。
俺は、俺のやり方で、この小さなカフェと、ここにいる仲間たちを、守り抜くだけだ。
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【★あとがき★】
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作品の魅力:
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しかし、森で拾った一つの巨大な卵が、彼の人生を根底から覆します。
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どうかよろしくお願いします!
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