死腕のホルトの裁き旅 ~荒野最強の決闘パイロットは、発明淑女を護りたい~

不乱慈(ふらんじ)

第1話

 荒れ果てたナラクの大地には、今日も乾いた風が吹き荒んでいた。


 風はガタガタと酒場サルーンの建付けの悪いドアを鳴らし、そのたびにカウンターの向こうで薄毛のバーテンが苛ついて頭を掻いた。


「バーテン、燃料の補給はあと十分くらいで終わるか?」


「供給機のポンプが旧式でね、あと三十分だよ」


「そうか……。ならば、同じのをもう一杯」


 カウンターには、男が一人だけ座っている。


 色褪せたコートに、目深に被ったハンチング帽、眉間から右頬にかけての古い傷。手に持ったグラスには、ぬるいミルクのおかわりが、たった今注がれた。


 一目見れば、彼はひ弱そうな男だ。腕も足も細い。


 そうであっても、誰一人としてこの男を舐めた目で見ないのは、彼が、この酒場裏の駐機場に停めてある二足歩行兵器──ギアードの主だと分かっているからだ。


 つまりは、この男はギア・スリンガーだった。


 それは、今ではすっかり普遍の慣習となった、決闘裁判の代理人の通称である。


 男、ホルト・クリーガーは、自分に向けられる無言の警戒を感じ取っていた。

 それを気にする風もなく、彼はカウンターの傷ついた木目を指先でなぞる。


 デルタ・ウイスキー燃料の補充が終わるまでの暇つぶしだったが、ヴィンテージ風で、中々いい酒場だ。ホルトという男は、この場所が気に入りつつあった。


(なに、生き急ぐことはない)


 たまにはトラブルから身を置いて、ゆっくりと平和を楽しむのも悪くない。仕事が必要なら、西のダスティー・エッジ辺りまで行けばいい。自分を必要とする揉め事のひとつやふたつ見つかる。何せ、この惑星の諍いは絶えることがないのだから。


(であれば。あと二、三日、この街で休養を──)


 しかし、トラブルは時として自分の足でやってくるものだった。


 突如、酒場のドアが勢いよく開かれ、枯れた風と共に若い女が駆け込んできた。彼女は息を切らしながら、酒場の中央に立ち、周囲を見回して大声を張り上げた。


「ギア・スリンガーを探しています! 外に停めてある機体を見ました!」


 酒場中の視線が、女のもとへ集中する。


 栗色の毛をポニーテールでまとめあげた、きりっとした雰囲気の女だった。

 身に纏うダークグレイのスーツは、それほど砂で汚れている様子はない。


 エアカーにでも乗って、ここにやってきたのだろう。


「ギア・スリンガーが、居ますよね!?」


 テーブル席から失笑が漏れる。彼女は笑われていた。

 それでもめげることはなく、彼女は大声で呼びかけ続ける。


「あの、ギア・スリンガーを探しているのですが!」


 バーテンがくいくいっと指を動かし、ホルトの耳元で囁く。


「お客さん、呼ばれてるみたいだけど」


「……悪いが休業中でね」


「うーん、うるさいからどうにかしてほしいけどねえ」


 ホルトはぬるいミルクを一口含み、白濁したガラスの底をじっと見つめた。

 どうやらこの酒場での静かな時間は、ここで終わってしまうらしい。


 彼女の声が次第に焦りを帯びていくのが分かる。笑い声を漏らしていたテーブル席の男たちも、やがては興味を失ってポーカーの賭けの続きに戻っていった。


 彼女がもう一度、大声で叫ぼうとする前に、ホルトはすっと手を挙げた。


「外に置いてあるヤツの持ち主は俺だ」


 彼の言葉を聞いた瞬間、女の顔はぱあっと明るくなり、弾かれたようにこちらへ近寄った。ホルトはグラスをカウンターに置き、ゆっくりと立ち上がる。


「近いぞ、そこで止まれ」


「すみません、つい」


 飛びつかれるのではないか──そう思うほどの勢いで彼女が距離をつめてきたので、ホルトはまず女を制止した。いや、それにしても距離が近すぎる。


 ゆっくりと後退して、女から距離を取りつつホルトは尋ねた。


「それで、何の用だ? あんた、ギア・スリンガーを見つけてどうしたい?」


 彼女は一瞬、息を整え、少しだけ改まった様子でプラスティックの名刺を差し出した。


「私はグレイス・レコング、G&H法律事務所の弁護士です。急ぎの用で、ギア・スリンガー様の力をお借りしたいのです。なんとしてでも!」


 ホルトは名刺を手に取り、目を通した。ボロボロの酒場の中で見るには妙に立派なプリントだが、書かれている事務所の名にはまったく覚えがない。


「悪いが、聞いたことがないな。どこぞの小さな事務所か?」


 グレイスは負けじと詰め寄る。


「小さくても、私たちは正義のために働いています! 今朝、うちの専属ギア・スリンガーがいきなり辞めてしまって──代わりを見つけないと、今日中に裁判ができません!」


「それで、俺を頼るってわけか。俺じゃなくてもいいんだろう?」


「はい、依頼を引き受けてくれるなら誰でも──あっ」


 ふん、と鼻を鳴らして、ホルトは座り直した。


「違うんです、今のは──」


 自らの失言に思わず口元を抑え、グレイスはあたふたとする。

 その頼りなさに、ホルトは片方の眉をもち上げる。


「いや、大事なことだ、グレイス。一つ言っておくと、俺の依頼料は高い」


「えっと、それは……」


「俺じゃなくてもいいなら、俺以外のギア・スリンガーを探せ」


 ホルトの言葉に、グレイスの表情が一瞬曇った。

 だが次の瞬間、彼女の目には強い決意が宿る。


「……一人も、いないんです」


「え?」


「……私は今朝から、町中のサルーンを駆けまわりました!」


「……え?」


「六軒まわって、反応してくれたのは貴方だけだったんです!」


 ホルトは顔がひきつった。


「そいつは……」


 先の彼女の様子を思い出す。明らかに探し方が悪い。誰であろうとも、店に押し入って大声で叫び散らかす不審者と関わり合いになりたい人間はまずいない。


「お願いです! 靴でも何でも舐めます!」


「やめろ! 近寄るな!」


 グレイスがさらに詰め寄ると、ホルトは椅子ごと後ろによろけた。


「はあ……はあ……いいか、何も舐めなくていいから、金を保証してくれ」


 ホルトの言葉を聞き、グレイスは一瞬だけ黙り込んだ。

 その顔には迷いが浮かんだが、それを見逃すホルトではない。


「……まさか、人を雇いに来たのに資金が無いってことはないよな」


「ち、違います! 少しだけ……予算が限られているだけです!」


「それを資金が無いって言うんだよ。弁護士ならもう少し上手く言いくるめてくれ。いいか、相手にもよるが、決闘ひとつ100万ドリフト。これは絶対だ」


 グレイスは絶句した。


 100万ドリフト、それは彼女の給料の十年分に匹敵する額だ。──この男、いったい何を根拠にそんなに吹っ掛けてきたのか? 今度は彼女の方が後退りする。


「えっと、それは……」


「もし払えないというのなら、この話はここで──」


 と、涼やかな声が二人の間に割り込んできた。


「──前金で払うわ。ただし50万だけ。残りは依頼遂行後に」


 ホルトは声のした方へと視線を向ける。

 いつの間にか、ひとりの女性が酒場に入って来ていた。


 長い金髪がゆるやかなウェーブを描き、暗いダークピンクのドレスの裾が風に揺れている。彼女は整った顔立ちを持ち、柔らかい微笑を浮かべている。


 貴婦人──という言葉がホルトの頭を過ぎった。


「マルノワさん! エアカーで待っているはずじゃ……」


「貴女が遅かったんだもの」


「それに、100万だなんて! いま交渉中なんです!」


 マルノワ──そう呼ばれた美女は、ホルトとグレイスをちらちらと見比べた。


「……“交渉”ね。見るに堪えないわ。私がやる」


 ショックを包み隠さず、グレイスは口をあんぐりと開けた。


 マルノワはホルトに向き直り、優雅に一礼をした。


「ごきげんよう。私はマルノワ・クロード。発明家よ」


 その場にいる誰もが彼女の存在感に息を呑む。暗い砂埃にまみれた酒場にはそぐわない、どこか洗練された気品が彼女の立ち振る舞いに漂っていた。


「発明家? 酒場で会う職業じゃないな」


 ホルトがミルクの最後のひとくちを飲み干す。


 マルノワは軽く微笑み、すぐにグレイスへと視線を向ける。


「グレイス。適任者を見つけたわね、すごいわ」


「へ? 適任者って……」


 グレイスが疑問符を浮かべる間に、マルノワはホルトへと向き直った。


 その視線には迷いがない。


「100万ドリフトなんて、まだ安いほうよね? “ミスター・デッドハンド”」


 ホルトは彼女の視線を受け止め、わずかに顔をしかめた。


 ミスター・デッドハンド。


 その昔、誰かが勝手につけた「あだ名」だ。いまでは口にされることも珍しくなったが、こちらの貴婦人がそれを知っているとは、驚くべきことだ。

 ホルトは無造作にテーブルを指で叩きつつ、あえて冷静な声で返した。


「……その呼び方、好きじゃないんだがな」


「それはごめんなさい。なら、ホルト・クリーガーでいいの?」


「弁護士さんと違って、お前は俺を知っているようだ」


「当然よ。外に停めてあるのは〈デッドハンド・ジョー〉。伝説のギアードよね?」


 彼女の言葉を、ホルトは鼻で笑った。


「伝説? あれはただの、古いポンコツに過ぎない」


「そうかもね。けれど、貴方の腕には100万ドリフトの値打ちがある」


 グレイスは、二人の会話に明らかに取り残されていた。彼女は混乱し、ホルトとマルノワの間を行き来するように視線を彷徨わせる。


「ちょっと待ってください!」


 グレイスが声を上げた。


「デッドハンドって、あの伝説の賞金稼ぎの……?」


「そう。本当に良く見つけたわね、グレイス」


 ホルトは舌打ちをして、肩をすくめた。


「仕事の話をする前に……取り敢えず前金を頂いても構わんか?」


「いいわ」


 マルノワはリスト端末をホルトの“ドット・フォン”にかざすと、細い指でホログラムを操作し、迷うことなく50万ドリフトもの大金を彼の口座に振り込んだ。


「……確認した。それで、裁判といったな。具体的には?」


 グレイスが何か言おうとしたが、その前にマルノワが口を開いた。


「率直に言うわ。私は、今のラボ──マンソン・バイオテックの傘下から独立したいの。そのためには裁判が必要。そして……強力なギア・スリンガーの力も」


「マンソン・バイオテック?」


 ホルトは腕を組んだ。


「開拓初期からの企業だな。この星が連邦に見捨てられてから、今は南部のライフライン事業を握ってるとか聞いたが、それ関係のラボなのか?」


 マルノワはホルトの言葉に頷き、カウンターの近くにあった椅子に腰掛ける。


 酒場の埃っぽい空気に慣れていない様子で、手袋を直しながらゆっくりと話し始めた。


「彼らは私の研究──『グリーン・レイ』を狙っている。あの基礎技術が完成するや否や、彼らは私をプロジェクトから外し、爪弾き者にしようとした」


「グリーン・レイ?」


「簡単にいえば、次世代型のテラフォーミング・システムよ。うまく実用化できれば、この砂の惑星を緑あふれる楽園に変えることができるでしょうね」


「現実味がないな」


「それはどうでもいいわ。貴方が気にするべき問題は、彼らが私のラボからの独立を拒み、決闘裁判の約束が決まったということだけ。いい?」


 ホルトは無意識のうちに、腰元のホルスターを撫でた。

 そこには、愛機を起動するためのキー・ハンドルが収まっている。


「ギアード同士の決闘による紛争解決。結局はいつものか」


「連邦がいなくなってから、決闘審理会が定めた唯一の秩序」


「だからこそ強い力が要る。どれほど“正しい奴”にもな」


 ふいに、サルーンの埃っぽい空気が喉にひりつきを与えた。


 咳払いをひとつしてから、ホルトは言った。


「前金は貰ったんだ。今日中なんだろ? さっそく動くとしよう」


「あ、ありがとうございます! 決闘の場所は──」


「旧スカイドーム跡地。ここいらでやり合うなら、あの廃墟だけだろ」


「は、はい……」


 ホルトはグレイスの言葉を遮り、おもむろに立ち上がった。


 コートを羽織り直し、ハンチング帽を深く被る。


「──ことの詳細は、道中にでも教えてくれ」

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