五・一 影の少女シェード(アーレルサイド)

 二人の子どもは、町の広場にたどり着き、ほっと一息ついていた。

陽はすでに傾き、石畳の地面に長い影が差し始めていた。

 「そろそろ、今夜のねぐらを決めないといけないね」

 マーネットから預かった金貨は、スワローが朝食に取っておきたがっていた。

 アーレルは、その思いをちゃんと汲んでいた。

 だから、宿屋へは入らず、二人は静かな路地を選んで歩き出した。

 人通りの少ない通りへと足を向け、誰もいない家々が並ぶ辺りへたどり着く。

 空き家は多く、好きな場所を選んで泊まれるようだった。

 スワローが先に建物の中を調べに行ったあいだ、アーレルはふと足元に目をやった。

 ──影が、動いていた。

 自分の動きと合わず、まるで自分の意思で、どこかへ行こうとしているように見えた。

 「どうしたの、アーレル?」

 スワローが声をかけたその瞬間、

 アーレルの影はすっと地を滑るように駆け出していった。

 日差しのなか、アーレルの足元だけには影がなかった。

 「えっ、アーレルの影……どこかに行っちゃったの?」

 「ううん、知らない。でも……追いかけてみたいよう」

 二人は、広場で再集合することを決め、それぞれ別の道を選んだ。

 アーレルがたどり着いたのは、石造りの小さな広場だった。

 逃げた影が止まり、やがてそこから“何か”が立ち上がった。

 ──黒い影の立体。

 それはアーレルと同じくらいの背丈で、輪郭だけを残して黒く塗り潰された少女のような姿だった。

 「シェードっていうんだよ。よろしくね」

 声は澄んでいたが、どこか掠れ、乾いた感じもあった。

 「あなたの影、すっごく居心地がいいの。ちょっと借りただけ」

 アーレルはその姿をじっと見つめた。

 確かに影の形は自分のものだったが、布をマントのように羽織っていた彼女には、その独特なシルエットがあった。

 もしこのマントがなければ、自分の影だとすぐには気づけなかっただろう。

 「ねえ、影を返してほしいの? だったら──影にはできないことをしてみせてよ」

 アーレルは空を見上げてから、静かにジャンプしてみせた。

 影は宙を浮けない。それを意味したつもりだったが──

 「そうじゃないの!」

 シェードは声を荒らげた。

 「シェードが言いたかったのは、表情のことなの。あなた、ずっと何考えてるかわかんない! 影たちは、顔がない。気持ちを伝える手段がない。でも、本体は違うでしょ? ……なのに、何も見せてくれないの。ずっと黙ってて。……それ、影にとって、つらいんだよ」

 その言葉には、怒りとも悲しみともつかぬ感情がこもっていた。

 「シェードさんの……本体は、どこにあるよう?」

 「なくなっちゃった。本体に振り回されてばっかりだったから、いなくなったときは、ちょっとだけ、ホッとした。でもね、暗闇の中って、自分の輪郭もわからなくなるの。どこまでが“自分”か、わかんないんだよ」

 そこまで語ったとき、シェードがぴくりと肩を震わせた。

 誰かの気配に反応したらしい。

 振り返ると、ローブをまとった大柄な人物が歩いてきた。帽子を深くかぶり、顔は見えない。

 「テンタークだ!」

 シェードは駆け寄って帽子を引きはがした。

現れたのは、無数の触手だった──うごめきながらも、足元だけは人の形を保っている。

 「ね、見てよ。こんな見た目でも人と同じような影を作れるんだよ」

 テンタークは、ゆっくりと帽子をかぶり直した。

 そして、諭すように言った。

 「シェード。いたずらはもうおしまいにしなさい。……影は、その人に返さなきゃいけないよ」

 シェードはすこし照れたような声で「うん」と頷く。

 すると、アーレルの影が地面を這って戻ってきた。

 彼女は影の動きが元通りになったか、数歩試して確かめた。

 「君、迷惑をかけたうえで申し訳ないが、今見たものは秘密にしてもらえないだろうか。私は人ではないし、この子も本体を失っている。そのことを知られると、今後問題が起こるんだ」

 アーレルは頷いた。シェードも反省したようで、少し声のトーンを落としていった。

 「ごめんね。……でも、君も少しは笑ってあげなよ。君の影は、君の気持ちがわからないと、余計に不安になるんだよ」

 アーレルは意識して、ほんの少し口元をゆるめ、再度首を縦に振った。

 夕暮れの中、シェードとテンタークは並んで歩いていった。

 「お日様がなければ、帽子かぶらなくて済むのにね、テンターク」

 「でもずっと夜だったら、君がどこにいるか、私にもわからなくなってしまうよ」

 シェードはまた帽子を奪おうとちょっかいを出し、テンタークは大きな手でそれをかわす。

 その様子は、まるでほんとうの親子のようだった。

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