四・二 マーネットの部屋(アーレル)
スワローが部屋を出ていくと、アーレルはそっと果物をひとつつまみ、口に運んだ。
やさしい甘みと微かな酸味が舌に広がる。
「おいしかった。ありがとう、マーネットさん。……そして、小さくて透明な誰かさんも」
その言葉が終わらぬうちに──
アーレルの目の前に、ぼうっと光をまとった小さな妖精たちが現れた。
テーブルの上に数匹、宙をくるくる舞っている。
マーネットの肩や髪にも何匹かいて、甘えるように揺れていた。
「見えるようになったのね。この子たちは“パーペット”って呼ばれている妖精たちよ。昔は誰の目にも見えたらしいけど、今は限られた人しか見えないの」
「この子たち……わたしの“ありがとう”に反応したよう?」
「ええ。感謝してくれた相手にしか姿を見せないんですって。言葉は通じないけれど、とっても優しいのよ」
アーレルが指先を伸ばすと、妖精のひとりがびくっとして、マーネットの背後に隠れた。
けれどしばらくして、興味を取り戻したのか、そっと近づき、アーレルの周りを飛び回った。
「この館には家政婦はいないけれど、この子たちが全部やってくれるの。頼んでもいないのに……ほんとうに親切なのよ」
微笑むマーネットに、妖精たちが小さく照れたような動きを見せた。
「でも最近、新しい妖精が現れているらしいの。“言葉が通じる”って噂なの。だけど……いつもぶつぶつ小言を言ってて、お願いを叶えるのも本望じゃなさそうって」
アーレルは考え込んだ。
──言葉が通じる妖精。だが、心は通じていない。
「願いを言葉で伝えたとき、その願いが良いものとは限らない。嫌々ながらも叶えようとする存在がいたら……たしかに、こわいよう」
「……ええ。そうなのよ。優しい妖精のままでいてくれるなら、いいのだけれど」
そのとき、パーペットたちが小さな皿に乗せた三角柱のお香を運んできた。
煙を嫌っていたアーレルだったが、断る前にまず試してみようと心を決めた。
火をつけようとする妖精が危なっかしく見えて、アーレルは「手伝うよう」と申し出た。
マッチに火がつくと、妖精たちはきらきらと嬉しそうにその様子を見守った。
ぽっとお香に移された火から、静かに灰色の煙が立ちのぼる。
だが、次の瞬間──
アーレルは急に胸の奥が苦しくなり、袖で口元を覆った。
湧き上がる不快感に耐えかね、マーネットに窓辺で吐いてもいいかと頼んだ。
彼女はアーレルの肩を支え、そっと背をさすった。
血を吐きながら、アーレルは言った。
「……これは、病気のせい」
「ごめんなさい……私には、香りも、苦しさもわからないの。体に血が通っていないから……」
部屋に戻ると、お香の火はすでに消えており、パーペットたちも隅で申し訳なさそうにしていた。
「ねえ、アーレル。どんな病でも治る“秘湯”の話、聞いたことある? 隣町の裏山にあるらしいの。……明日、その町で市が開かれるから、私も出かける予定なの。一緒に行ってみない?」
アーレルがまだ言葉を選んでいるとき、廊下から足音が近づき、スワローが扉の向こうに姿を現した。
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