第5話 秘密の話
そこは一面に石畳の敷かれた、地下の広場だった。
戦士たちが案内していった場所は、ロイエンの隠れ家とは正反対の方向だった。
中央には井戸が掘られている。
部屋の四隅には、見なれぬ神像が四つ。
どうやらここは、かつて祭儀がおこなわれた場所だったらしい。
戦士たちは、そこに夜営していた。
石畳を引きおこし、それで竃をつくっている。
竃の上には、ぼこぼこにへこんだ銅製の丸い盾が置かれている。
どこからさがし出してきたのか、大量の薪や布きれ、陶器製のコップすらあった。
琉酔乱は、まず自己紹介をした。
戦士たちにさし出された、毛皮の上に腰をおろしながらだ。
ロイエンがあとにつづき。
せかされたトルーネ人の戦士は、いやいや片言のランドキア方言で、ルンバと名乗りをあげた。
巨躯の戦士は、「ラグンだ」と告げただけで、また口をつぐんでしまう。
「さて……」
琉酔乱は、思案顔になっている。
最後にのこったラミアを、どうしたものかと思っている。
「なぜ、ラグンやルンバと一緒に、正体を隠して生活をしていたのだ?」
すでに斬光剣は、背中に背負われている。
ラミアは、逃げるそぶりを見せなかった。
だれに強制されるでもなく、自分の意志で、この場に止まっているのだ。
「罪をおかし、ボルゴ様に処罰されたというのは本当です。本来ならば、私はあなたを誘惑し、斬光剣を奪わねばなりませんでした。でもあなたには、どうしても……」
ラミアは、そこで言葉を切った。
自分の力が通じなかったことを、いまだに信じられないといった顔だ。
「俺に色仕掛けはきかぬ。その手の誘惑には、子供のころから腐るほど免疫ができているんでな。そこにいるロイエンとは違う」
先ほどの仕返しである。
ここぞとばかりに、意地の悪そうな声音でいいはなつ。
今度はロイエンが、まったくの仏頂面になった。
「だが……なぜそうまでして斬光剣を欲しがるのか、俺にはわからぬ。この剣は、聖王以外には、たんなる古風な装飾品でしかない」
「英雄レオンが、ジルム山中の洞窟から持ちかえった神々の秘宝……それは斬光剣だけではなかったのです」
「ほう? はじめて聞いた」
「これは、エフェネル最大の秘事。それを明かすことは、かたく禁じられています。でも……私はもう、この地獄には耐えられない!」
「そんなに、時を封じられるのは嫌か?」
さりげなく、琉酔乱は聞いた。
あまりに素直な聞き方だったため、その質問の重大さに、だれも気がつかない。
それは当のラミアも同じであった。
「私は神々の下された封印によって、永遠にこの姿を保っています。年老いることもなく、ただ永遠に待つだけの日々。それはまさに地獄そのものです」
ラミアのうつむいた顔から、ぽつりと涙がおちた。
肩をちいさく震わせ、懸命に嗚咽をこらえようとしている。
「おまえはいつ、ボルゴの虜になったのだ」
琉酔乱の質問は続く。
ただの無駄話にしか聞こえない。
が、よく見るとその手は、ギュッとかたくにぎり締められている。
「私は、エフェネルの平凡な娘のひとりでした。でもボルゴ様が領主に就任なされ、大量の侍女を徴募なされた時、ほんの少しばかり、容姿が整っているという理由で、私もまた領主の舘に連れていかれました。そしてある日……」
「エフェネルに、大災厄が訪れた。だな?」
「そうです」
「マルーディアの歴史を知る者ならば、伝説に歌われたエフェネルの滅亡は、あまりにも有名な話だ。
ボルゴという名の貪欲な領主の代に、そのエフェネルという都市は、もっとも栄えた。世界の富はエフェネルになだれ込み、首都レチア、聖都ガリレアをもしのぐ、世界最高の栄華を誇ったという。
だが奢り高ぶったボルゴは、それだけでは飽きたらず、ついには世界を支配するための、美と力の象徴を求めた……ボルゴに謁見したときには、正直いって驚いたぞ」
「……そしてエフェネルは、神々の武装具を抱いたまま、裁きの神アンゴバルによって、霧の中に沈んだ。おいらはそう習ったぜ」
琉酔乱の言葉じりをとらえて、ロイエンが得意そうにつけ足す。
「神々の武装具だと!? 俺の時代には、その話は伝わっておらん。また裁きの神の名は、アンゴバルではなく、今ではエフェネルそのものとなっている」
「へー。すみませんねえ、話題が古くって!」
「無駄話はよせ」
口喧嘩になりそうだと察したラグンが、みじかく叱咤する。
渡りに船だ。
琉酔乱は、ロイエンを無視した。
「それよりラミア。その神々の武装具こそが、俺の……聖王の始祖である、レオンの持ち帰ったものだとすると、この斬光剣の他に、もっと別の武器や防具があるというのか?」
「ええ。剣と盾、それに宝玉の三つです。そしてボルゴは、その二つまでも手中に納めました。残るはあなたの持つ斬光剣、ただひとつ。
この三つがそろえば、ランドキアすべての民をみちびいた、あの英雄レオンの力が、そのまま持主に宿ります。それは、世界を支配する神々の力なのです」
「ボルゴは嘘をついたわけか……」
「はい。斬光剣は一度たりとも、エフェネルに奉じられたことはございません。あとの二つは、このハーン神殿の中に奉納されています」
「三つがあわさると、どうなる?」
「それは……」
「言えぬか?」
「はい。ただ、これだけは……」
ラミアは、キッとおもてをあげた。
蒼い瞳から、湖のかけらがこぼれ落ちている。
泣き乱れた姿さえ――いや、そうであるからこそ美しい。
「……三つがあわさった時、神々の封印は消え去ります」
「なるほど」
琉酔乱は、うなずいた。
それまで話を見守っていた、ロイエンたちを見る。
「すまんが、ちょっと内密の話がある。席を外してくれないか」
真面目くさった表情で、頼んだ。
「そりゃないぜ。せっかく……」
ロイエンが、猛然と反発する。
仲間外れにされるのが、不服なのだ。
しかし巨躯の戦士ラグンがそれを制し、強引に首根っこを鷲掴みする。
「いらぬ話ならば、聞かぬほうが良い」
そのまま、ずるずると引きずっていく。
ルンバもすぐに立ちあがり、ロイエンの悲鳴とともに姿を消した。
しばらくのあいだ。
琉酔乱は、ラミアのかたわらに立ちつくしていた。
やがて座りこみ、その肩をやさしく抱きかかえる。
ラミアは、茫然としている。
秘事のあらかたを明かしたことで、一時的に虚脱状態になっているらしい。
琉酔乱は、ラミアの耳元で、そっとつぶやいた。
「おまえは、恋をしたことがあるか?」
「………!?」
「ないのか」
「は、はい」
突拍子もない質問に、ラミアは驚いている。
やがて顔を赤らめて、消え入るように言った。
「俺は、いまだ大いなる旅の途中だ。これからも、やらなければならぬことが腐るほどある。だから、ここを出ていく」
「だがその前にも、やらねばならぬことがあれば、それをする義務がある」
「………?」
「俺はおまえを、可哀想な娘だと思った。そう……最初に出会った時から、俺は、おまえが人外の者だということを見ぬいていた。その上で、惚れた」
「――!」
「そう驚くな」
琉酔乱の顔は、大まじめである。
戸惑うラミアの目を、じっと覗きこんでいる。
「俺とて男だ。だから色恋には大いに興味がある。美しい女は腐るほど見てきたが、魂まで美しい女というと、ほんの数えるほどしか知らん。そして俺は、そういった部類の女が悲しんでいるのを、どうしても放っておけない性分なのだ」
「おたわむれを!」
ラミアは顔を遠ざけ、ちいさく首を横にふった。
「俺は冗談が嫌いだ」
「でも、いきなりは……」
「俺は、嫌いか?」
不満そうな表情を浮かべ、なおも目をのぞきこむ。
ラミアの視線が、サッと逃げた。
「いいえ……」
たちまち、ラミアはうつむいた。
琉酔乱の表情に、余裕が舞いもどる。
「だろう? 自慢じゃないが、俺は自分にすこしばかり自信がある。それに自分と波長のあう娘を見誤ったことは、これまで一度もない」
「でも、あなたと私は、しょせんは違う世界の人間です」
「そんなこと、かまうものか。ここにいるのは琉酔乱だ。青嵐王でも男娼セイラ……おっと、これはいいとして。ともかく琉酔乱という一人の男なのだぞ?
その俺が、おまえをいい女だと言っている。真剣に恋している。魂の腐っていない女を見れば、真の男は、心を動かされずにはいられない。ちがうか?」
あまりにも、単刀直入――。
言葉のあやも、へったくれもない、強引な求愛のしかたである。
ついにラミアは、顔に笑いを浮かべた。
「おもしろい方。でも、すてき」
「そうこなければ、嘘だ」
琉酔乱は、口笛でも吹きそうな顔になった。
「でも……」
「なんだ? なんでもいい、言ってみろ」
「でも、あまりの自信過剰は鼻につきますわ。あなたの御好意――それがたとえ、冗談か哀れみだとしても、つつしんで御受けいたします。でも、求愛の申し出だけは、かたくお断わりさせていただきます」
「………」
琉酔乱は、ポカンと口を開けている。
針にかかった大魚を、目のまえで逃がした釣師の顔だ。
ラミアは満面に微笑みをうかべ、するりと肩の手をふりほどく。
立ちあがると、高らかに告げた。
「秘密の話は、もう終わりましたわ」
それを合図に、通路の彼方から、つぎつぎに三人が姿をあらわしてくる。
なにを話していたのかと、ロイエンが、胡散臭そうに琉酔乱を見つめている。
だが琉酔乱は、これ以上ないほど顔をしかめたまま、茫然と井戸の中を覗きこむばかりだった。
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