第七話 餌付け?
「あれ? 先輩まだ来てないんだ」
ある放課後、誰もいない研究会室でアシュリーはそう呟いた。グレンの姿が見当たらない。
大抵グレンの方が先にやってきているので、アシュリーが部屋で1人になるのは珍しい。
「まあ待っていれば来てくれるかな」
今日は一応、伝承研究会らしい活動が予定されているのだ。北部と南部の民話を読み比べるというもので、グレンが予定を忘れたりサボったりするわけがないので大人しく彼を待つ。
ほどなくして、グレンが現れた。
「すまない、待たせたか?」
「いえ、私も来たところで……って、先輩! そのお顔、どうなさったんです?」
アシュリーは目を丸くし声を上げた。現れたグレンの顔には傷があった。左頬に、さっと切れたような赤い線が走っているのだ。
「ああ、これか。今日の授業で少し切っただけだ、大したことじゃないから」
「すごく痛そうに見えますけど……あ、もしや魔法騎士の専門授業ですか?」
「そうだ。これくらいの怪我で済んだのならむしろラッキーだよ」
この学園では、2回生から各専攻に分かれて、より専門的な学びを深めていくこととなる。
3回生であるグレンは『魔法騎士』専攻なのだが、これは他の専攻に比べてやや特殊だ。その名の通り、魔法で戦う騎士となることを目指すのである。
攻撃魔法の練習だけでなく、体力育成の授業、さらには乗馬や兵法まで学ぶという。他の専攻の授業とは趣を異にする、過酷な授業が行われていることで有名だった。
「本当、大変そうですよね。傷にはヨモギの葉がいいんですよ、採ってきましょうか!」
立ち上がりかけたアシュリーを制するように、グレンが優しく言う。
「大丈夫、本当にかすり傷だから。だがありがとう」
そのまま活動が始まる。
グレンは北部、アシュリーは南部の出身だ。2人が知っている民話を挙げるだけでも、結末が違ったり互いに知らないモノがあったりして面白い。
「うちはそれこそ、妖精譚が多い印象です。北部はそうでもないんですね?」
「多くは聞かないな。他国と行き来する大街道があるから、他の国のモノも流入して混ざっているんだと思う」
「確かに、魔法生物の話は、北部の方が多そうですよね。この国にはいない種も含めて」
北部の民話集をぱらぱらとめくりながら、アシュリーは言う。
「
「……いや、ないな」
グレンが立ち上がり、紅茶を淹れ始めた。たちまち甘い香気が部屋を満たす。
「ほら、話して喉が渇いただろ。飲むといい」
「わーい、ありがとうございます!」
グレンは甘いものが好きらしい。部屋にいるとき、こうして紅茶やお菓子をよく振る舞ってくれる。
「いつもありがとうございます、すごく美味しいんですけど……」
アシュリーはふと、気になったことを聞いてみた。
「今さらですけど、これはうちの研究会の備品なんですか? 手厚いですよね」
「いや、俺の私物だ。作業中は何か口に入れていないと落ち着かないから、勝手に持ってきてるんだよ」
その言葉に、アシュリーはぴたと動きを止める。グレンは仮にも公爵子息、その彼が愛飲する紅茶なんて、もしやとっても高価なのでは?
「……え、これ、私タダで飲んでいいやつです?」
「別に大したものじゃない。俺1人で飲むのも気が引けるから、むしろもらってくれ」
「そ、そう言ってくださるならお言葉に甘えますけども……」
彼の淹れてくれる紅茶は美味しくて、アシュリーもすっかり虜になっていた。顔を綻ばせる。
「香り豊かで本当に美味しいです、フルーツ食べてるみたい」
「これも食べるか? 実家から送られてきたんだが」
そう言ってグレンが取り出したのは、指でつまめるサイズの……菓子だとは思うが正体がわからない。黒くつやつやとした光沢を放っている。
「……初めて見るかも、何ですかこの黒いの?」
「異国のチョコレイトという菓子らしい」
「一つ頂きますね……ん、すごく美味しいですよ! ちょっと苦いけど、それが甘みを引き立てて……」
とても美味しいが、慎みを見せて一つでやめておくべきだろう。そうアシュリーは考えるのに、グレンがさらに勧めてくるから、抗えずもう一つ食べてしまう。
結局、お茶会のように紅茶とチョコレイトを楽しんで、今日の活動は終了したのだった。
「……あなたそれ餌付けされてない?」
「人を動物みたいに!」
帰寮後、ルチアにはそう言われてしまった。アシュリーとしてはさすがに心外である。
「ごめんごめん、言い方が悪かったわよ。先輩に可愛がられててよかったじゃないってこと」
「そうかなあ? 先輩が優しいだけだよ」
「……知らない? チョコレイトってめちゃくちゃ高価よ」
「え」
ルチアの言葉に、アシュリーは固まってしまった。そこへルチアは追い打ちをかける。
「チョコレイトの原材料って、別大陸でしか採れない果実なのよ。それを国内へ輸入するだけでも相当労力がかかるもの。魔法を航海術に利用したことで、渡航はかなり便利になったとはいえ……貴族のお客様にとっても高価な品だって聞いたわ?」
「絶対、
さすが、ルチアは商人の娘である。アシュリーが聞きたくない真実をつらつらと語ってくれる。
「ど、どうしようお金払えとか言われたら……!」
「グレン先輩はそんなこと言う人じゃないでしょう」
「わかってるけどさ、もらいっぱなしはさすがに気が引けるよ……! うん、お金が貯まったら、何かお返ししよう……!」
ぷるぷる震えるアシュリーを見て、ルチアは可笑しそうに目を細めている。
アシュリーは感情の動きが大きく、すぐ顔色が変わる。どうせグレンにお菓子をもらったときも喜色満面だったのだろう。ころころ表情の変わるアシュリーは、見ているだけで楽しい。
(……そういうところが可愛がられてるんじゃないかしら?)
アシュリーとグレンの関係を、ルチアはそう分析する。
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