第十二話 時計塔の幽霊

 アストルム魔法学園には、高くそびえる時計塔がある。塔の内部は保管庫のようになっており、貴重な書物や資料が収められている。そのため生徒は許可なく立ち入れない。

 学園の七不思議の1つに、時計塔の幽霊ゴーストというものがあるが、その名の通りこの塔が舞台となっているのだ。

 とはいえそれも古い話で、ここ数年は幽霊の目撃情報すらない。

 ――しかしここ最近、その時計塔に幽霊が出るとの噂が、再び流れ始めていた。

 

 時計塔のそばに、学園の制服でない服を着た、長髪の女性が佇んでおり、しばらく見つめているとふっと消えたとか。

 時計塔の中で資料探しをしていた上回生が、誰もいないはずなのに同じく長髪の女性を見かけたとか。そんな話がまことしやかに語られているのだ。

 信じて怯え、近頃は時計塔の近くをわざわざ避けて通る生徒まで現れてしまった。


「――これは由々しき問題です。というわけで、先輩! 我々伝承研究会が、調査に乗り出すべきではないでしょうか!」


 流れるような演説ののち、アシュリーは力いっぱい宣言した。


「幽霊譚は各地にありますから、私たちなら対処できるかもしれません。怯えているクラスメイトを助けるためにも、私たちで真相を突き止めましょう!」

「……なるほど、それらしい理屈だが」


 紅茶をすすりながら、グレン。


「本音はどうだ?」

「生の幽霊がいるなら見てみたくないですか?」

「暴露が早いな……」


 グレンは苦笑しため息をつく。とはいえ本気で呆れた様子もない、優しい顔つきだ。

 そもそも幽霊とは何か? 死者の思念が、魔力をまとって具現化したモノ――現在わかっているのはこの曖昧なことだけ。それ以上の細かいメカニズムは解明されておらず、不可解な現象ももたらすことから怯えの対象となっている。

 しかし、妖精とも交流してきたアシュリーにとって別段怖いことはない。むしろ、本当に幽霊がいるなら見てみたいという気持ちすらある。

 グレンも、そんなアシュリーの気持ちを受け止めてくれた。


「わかった。なら今晩、時計塔を探索してみよう。ただ下校時間を過ぎているのに、校舎内をうろつくのはダメだ。研究会として、きちんと課外活動届を出しておくよ」

「ちゃんとしてますね……!」


 年上らしいグレンの姿に、アシュリーは目を輝かせた。




 夜。本来ならばとっくに寮へ帰っている時間だが、アシュリーとグレンは件の時計塔の前で落ち合った。

 グレンだけでなく、隣には長髪の男性も待っている。


「あれ? レスター先生もいらっしゃったんですか」

「当然。もう陽も沈んでるのに、生徒二人おまえらだけでウロつかせるわけないだろ?」

「それはわざわざすみません……!」


 課外活動という位置づけのため、顧問も付き添う必要があったのだろう。レスターまで引っ張り出してしまったことに、アシュリーは少しの罪悪感を覚えるが。


「いいんだよ、どうせ引きこもって研究してるだけなんだから。たまには外を出歩いたほうがいいでしょう?」

「人を出不精みたいに言いやがって……」


 グレンとレスターはそんな軽口を叩き合っている。先日も思ったが、この二人は案外仲が良いらしい。


「ま、幽霊騒ぎについては教員ぼくらも問題視してるからな。実態を調べる良い機会だ」


 そうレスターが先導して、3人はいよいよ時計塔の内部へと立ち入った。




「わ〜……年季入ってますね。私中に入るの初めてです」


 一階は書庫のようだ。壁を覆い尽くす書棚に、色褪せた本がずらりと並ぶ。古そうな巻物まで見える。


「んー……怪しい気配は感じねえけどな」

「ですね、この階にはいないのかもしれません」


 そんな会話を平然と交わすレスターとグレン。アシュリーはおそるおそる尋ねる。


「えっと、そんなのわかるんですか?」

「ああ。幽霊には実体がなく、姿を形作る源は魔力だ。だから魔力探知をすれば、周囲にそれらしい存在がいないか、ある程度はわかるんだ」

「へ、へえ〜……すごいですね……」

「……おいバード、魔力探知の授業自体は1回生もあるだろ?」


 レスターがじとっとした目でアシュリーを見た。アシュリーは慌てて弁解する。


「落ち着いて時間をかければできますよ……! この一瞬じゃちょっと難しいかもってくらいで……」

「あとで補習な」

「主旨変わってません!?」


 そんなやりとりを交わしつつ、さらに上の階へと進んでいく。そのたびアシュリーも時間をかけて魔力探知に挑んでみるが、何も感じなかった。

 やがて、最上階にたどり着いてしまう。


「いません、よね?」

「ああ、俺たちも何も感じない」

「本当にいるんでしょうか……」

「やっぱ、ただの噂かもしれねえな。ここを探し終わったら帰ろうか」


 レスターがそう言うので、アシュリーは最後にもう一度だけ、神経を研ぎ澄ませて周囲の気配を探った。

 そのとき。魔力でない、声が。か細い、女性の声がアシュリーの耳を打った。


『……ぱり……けられな……かな』

「っ!?」


 アシュリーはばっと顔を上げて辺りを見回した。


「どうした? アシュリー」

「今、声が……」

「「声?」」


 レスターとグレンが揃って首を傾げる。小さな声だったとはいえ、2人とも聞こえなかったというのか?


「な、なんて言ったかはわからなかったですけど……でも確かに、女の人の声が聞こえたんです」

「……アシュリーは意思疎通カイムが使える。俺たちより、人ならざるモノの声には敏感なのかもしれない。その声がどこから聞こえたか、わかるか?」

「…………あ、あの辺りです」


 慎重に、アシュリーは歩を進めた。グレンが隣に付き添って、油断なく前方を見据えている。


 そこでは、大きなタペストリーが壁を覆っている。その下には、青い水晶のようなカケラが散らばっていた。

 アシュリーがおそるおそるそのタペストリーを払いのけると、その裏に扉が隠されていた。

 瞬間。


『あ、見つかっちゃった?』


 鮮明な声が響き渡ると同時に、強い魔力が扉の向こうから発された。アシュリーでも容易くわかるほど、濃い魔力。肌がビリビリと震える心地がする。

 グレンとレスターにも今度は声が聞こえたようで、瞬時に構えた。


「あー……マズいな、これ」


 レスターが進み出た。アシュリーとグレンを扉から引き離し、自身は2人を庇うように前へ。


「僕が合図したら逃げろ。グレンはバードを守れ、バードはグレンから離れるな」


 その反応で、扉の向こうに尋常でない危険な存在がいるのだと伝わる。

 グレンもアシュリーを背に庇いつつ、鋭い目で扉を睨んでいる。


「俺も残ります。僭越ながら、魔法での戦闘は俺の方が長けているかと」

「馬鹿、関係ねぇよ。大人しく先生に守られてな」


 魔法騎士を目指すグレンの言葉を、レスターが一蹴。アシュリーはおろおろと事態を眺めるしかできない。

 そのときだ。


 目の前の扉をすり抜けてくる人影があった。質量を感じさせない半透明の女性が、現れる。

 さっと身構える3人の前で。


『わーい、お客さんだ。アナタたちは私が怖くない感じ?』


 場違いなほど明るい声が響く。姿を見せた女性は、底抜けに柔らかい顔で笑ってみせた。


「初めまして! アナタたちが探す幽霊ゴーストは、きっとワタシだと思う」


 はっと目の覚めるような美女がそこにはいた。青い血管が透けそうなほど白い肌――いや実際、幽霊らしく肌はうっすらと透けているが、それだけではない透明感がある。髪も瞳も色素が薄く、その儚さがより彼女を神秘的に見せる。


 さっきまでの張り詰めた空気が嘘のようだ。気さくに手を振ってみせる彼女から敵意は感じられず、アシュリーの肩から力が抜ける。


「は、はい……あなたのことで学園はちょっとした騒ぎになってまして、よかったらお話を聞きたいなあと……」

「うん、いいよ。アナタはさっきワタシの声に気づいてくれたよね」


 彼女は嬉しそうに笑んで、ふわふわとアシュリーのもとへ寄ろうとする。それを制すように、グレンが人差し指を伸ばした。指先に魔力が凝縮し、赤い光が宿る。


「この子に近づくな、焼くぞ」


 その物騒な振る舞いにアシュリーは苦笑しつつ、たしなめた。


「ありがとうございます。でもこの人に敵意はないと思いますよ、まず話を聞きませんか?」


 そのまま進み出て、アシュリーは女性に笑いかける。


「初めまして、私はアシュリー・バードっていいます。あなたは?」

「わからない」


 あっけらかんと、彼女は答えた。屈託ない笑みのまま。


「ワタシは誰で、いつからここにいる?」


 時計塔に住み着く幽霊は、どうやら記憶を失っているらしかった。


 

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