第九話 花嫁を探せ



 ストーリーを確かめたところ、アシュリーの知っているモノとほぼ同じとわかった。


 竜の花嫁。縁談を持ちかけてきた若者と女が結婚するが、彼の正体は森の奥深くに住む竜だったという異類婚姻譚だ。


「これ、印象深いので覚えてますよ。結構珍しい類型タイプですよね」

「ああ。懐かしいな。以前、うちの研究会でも取り上げたことがあるんだ」


 異類婚姻譚というのは、大まかなストーリーは基本的に同じである。

 怪物や動物といった異類と結婚するが、彼らは元々人間であり、最終的に元の姿に戻ることができるのだ。

 この国ではこのパターンが主流だが、しかし竜の花嫁はそれに当てはまらない。


 竜との結婚など死んでもごめんだった花嫁が、何度も森から逃走を図るのだ。しかしいずれも失敗に終わり、二度と森から出してもらえず竜と添い遂げるという後味の悪いエンドだ。

 そんな花嫁が、本からも脱走するというのは、ある種当然のことなのかもしれない。


「……連れ戻すのが正解なんですかね。誰だって逃げたくなるときくらいあるでしょうに」

「君らしいな」


 グレンが柔らかく笑む。研究会で共に過ごすうち、彼の鉄仮面がこうして綻ぶ回数は増えていた。


住人キャラクタは、その本の中でしか生きられない。外の世界に留まりすぎると消えてしまうんだ」

「それは大問題ですね……!」

「だから見つけるのを優先しよう。なんせ本当に小さいから、思わぬ事故に巻き込まれるかもしれない」


 そう言ってグレンが手のひらを差し出す。手のひらに乗ってしまうほどのサイズということだろう。


「そんなにちっちゃいんですね。ならなおのこと早く見つけないと……!」


 考える。花嫁は大胆で、とんでもない脱出策を平然と実行する。竜の目を欺くため、泉に3日間潜っていたという話もあるのだ。

 さすがにそれはフィクションにしても、魔法で生まれた命である以上、それくらいの身体能力を持っていても不思議ではない。


「うーん……ダリアの花が見たいって言って、逃げ出した話もありましたよね。今ちょうどその時期ですし、ダリアを探してみるのはどうでしょう?」

「いい案じゃないか。それくらいしか手がかりもないしな」


 ダリアが咲いているであろう場所は2つ。校舎の間にある中庭か、温室の近くにある大庭園だ。


「ねえ、これくらいのちっちゃな女の子、見なかった?」

『いた! 虫みたいだった!』

『あっちの方に走っていたよ、すごく速かった』


 アシュリーは意思疎通カイムを使い、鳥や虫の目撃談を辿る。


「先輩、やっぱり大庭園の方に行ったみたいです」

「便利な魔法だな」


 感心したようにグレンが呟く。

 やがて大庭園の一角へ。こぼれ落ちんばかりに咲き誇るダリアの前に、小人のように小さな女の子が佇んでいた。


「……いた」

『あら、もう見つかっちゃった?』


 振り向き、悪戯っぽく笑う彼女。

 うっすら焼けた肌に健康的な肢体。太陽がよく似合う女性だ。


「竜の花嫁さんですよね? 帰りましょう。長く外にいると、消えてしまうんですよ」

『知っているわ、もちろんもう帰るわよ……それとね、あたしにはちゃんとイオって名前があるの。どうせならそっちで呼んでほしいわ?』

「ご、ごめんなさい、イオさん」


 アシュリーはしゃがみこんで、小さなイオと目線を合わせる。

 望まぬ結婚相手のもとへ帰らねばならぬ彼女に、アシュリーは深く同情していた、アシュリーの両親は大変仲睦まじく、そんな温かい家庭で育った彼女にとって、イオはとても不幸に思えてしまったのだ。


「……あの、望まない境遇にいるのは辛いかもしれませんが、私にできることがあればお手伝いしますから!」


 気づけば、そんな言葉が口を突いて出ていた。グレンが「アシュリー、彼女は――」と何かを言いかけるが、それにも気づかず続ける。


「今日みたいな逃避行も手伝いますし、あなたを本から解放する魔法も、いつか作れるかもしれないですし、だから、あまり気に病まないでください!」


 精一杯、言い切った。その真っ直ぐな視線を受けて、イオがぱちくりと目を輝かせる。何拍かおいて、堰を切ったように笑い出した。


『あはっ、あはははは! そっか、あなたもそう思ったんだ。大丈夫よ、あたしあの物語の世界をすごく気に入ってるんだから』

「……そ、そうなんですか?」


 アシュリーの方が面食らってしまう。でも竜との結婚を彼女は望まなかったはずだし、そもそも今こうして逃げ出しているではないか。

 しどろもどろにそう伝えると。


『まさか! ストーリーに合わせて演じているだけ。本当は心の底からダーリンを愛してる』

「だ、ダーリン……」

『この脱走も、本当にただの気晴らしよ。毎日同じ景色ばっかで飽きちゃうから、たまにはこうして外の空気を吸わなくちゃね』


 片目をつぶってイオは語る。嘘をついている様子はなく、竜を愛しているのも本当のようだ。

 つまり、物語の内容とイオ個人の考えは別物。アシュリーの心配は、まったくの杞憂だったのだ。


「わ、私、なんて勝手な誤解を……!? すみません、その、お話の内容に引っ張られてしまって……」

『いいのいいの。竜と幸せな結婚生活を送ってるなんて、普通は信じられないもんね……あたしのこと、変だって思う?』


 試すような笑顔で、イオがそう尋ねてくる。冗談めいた雰囲気の奥に、真剣な光が潜んでいる。


「思いませんよ、それは」


 ためらうことなく、きっぱりとアシュリーは言い切った。


「誰かを愛し愛されるのに、種族なんて関係ありません。大切なのは心が通じ合っているかどうか、ですから。イオさんが好きって言うんですもん、きっと素敵な旦那さんなんでしょうね」

『……わかってるじゃないあなた! そうよ、あたしのダーリンは世界一かっこいいの!』


 アシュリーの返答を気に入ったらしい。イオがあからさまに頬を緩めたので、アシュリーもほっと安堵する。

 そこでふと、会話に混ざってこないグレンにイオが水を向けた。


『ねえ。さっきから黙ってるあなたもさ、前に同じことを言ってくれたよね?』

「待て、言わなくていいだろ――」

『1年くらい前に、彼もあたしを探しに来てくれたことがあるの。そのとき彼もあなたと同じように、「君が逃げられる方法を考えてみる」って言ってくれたのよ?』

「なんで言うんだ……」


 決まり悪そうにグレンが目を逸らす。アシュリーは驚いて彼を見つめてしまった。

 アシュリーと同じだ。望まぬ結婚に囚われるイオを救いたいと、グレンも思っていたのだ。

 同じ相手を同じように思いやった。まるでアシュリーとグレンの心が重なっていたようで、くすぐったい気がする。


「先輩……!」

『似た者同士ね、あなたたち』


 アシュリーは感動するが、グレンは気恥ずかしそうだ。いらぬお節介を焼いたと後悔しているのだろう。


「気持ちはわかりますよ、私もさっきすごく恥ずかしかったですし……というか先輩? イオさんの本心を知ってたなら、教えてくださってもよかったじゃないですか!」


 でなければアシュリーが見当違いな言葉をイオに投げることもなかっただろう。アシュリーがそう詰め寄ると、グレンが目を逸らしたまま言い訳する。


「あとで説明しようと思ってたんだ……俺が言うより、イオの口から直接聞いた方が信憑性も高いだろうし……」

「すっごく恥ずかしかったんですからね」

『まあまあ。私はすごく嬉しかったから、そんなに気にしないで』


 イオがそう取りなしてくれる。

 アシュリーをすっかり気に入ったらしく、図書館までの帰路は彼女の肩に乗っていた。道中ずっと竜との惚気話を披露する。


「お、お疲れ! アシュリーちゃんが見つけてくれたんだ。他のみんなもありがとね」


 イオを司書に引き渡し、今日のお仕事はこれで終了である。


 ちなみにこれ以降、イオがアシュリーと会うために、これまで以上の頻度で本を抜け出すようになったのは別の話である。



 




 

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