愛で魔法が解けたなら

ゆちば@『サンタ令嬢』連載中

第1話 【兜が脱げない呪い】にかかった夫

 きゅっきゅっきゅっ。ギシッギシッ……。


 私が壁際に並ぶ鎧のしつこい曇りを布で磨いていると、金属が軋む耳障りな音がした。いったい何事だろうと私が振り返るよりも早く、背後に立っていた人物が声を上げた。


「……ディーナ?」


 私の記憶よりもちょっとだけ低い声の主は、鋼の兜で顔をすっぽりと覆っていた。

 顔は見えないが男だ。首から下は平民服を着ているので、全体の違和感がすごい。

だが、その違和感でいっぱいの男性の正体を私はすぐに見抜いた。


「リードリヒ! おかえりなさい!」


 私が飛びつくようにして抱き着くと、リードリヒ――夫は「わっ!」と驚きの声を漏らして数歩後ろによろめいた。

 きっと私が早朝から商品のメンテナンスを行っていたことに仰天したのだろう。かつての私は朝に弱く、リードリヒがいなければ昼頃まで寝過ごしてしまうことがほとんどだったから。


「お疲れ様、リードリヒ。兜がこんなにぼろぼろに……大変な遠征だったのね。あなたが無事でよかったわ」


「うん……長かった……とても……」


 私は傷だらけのくすんだ兜を見つめながら、彼が数年ぶりに生きて帰ってきたことを嬉しく思った。

兜のせいで表情は見えないが、リードリヒはとても疲弊しているように思えた。声が震えているので、つらい戦いを思い出してしまったのかもしれない。


 私たちはお互い十八歳の時に結婚した新婚夫婦だ。

 私は実家で身に着けた鍛冶技術を元手に鍛冶屋を営んでいたのだが、騎士であるリードリヒの剣や防具を何度も打ち直しているうちに親しくなり、めでたく結ばれた。

 けれど、時代は穏やかではなく、リードリヒは早々に徴兵されてしまった。隣国との戦争に駆り出された彼は、「国のために戦うことは、巡り巡ってディーナのためになるから」と、前向きな手紙を度々送ってくれたが、気が付けば数年の年月が経っていた。


「ずっと会いたかったよ。君のことを想わない日はなかった」

「私だって! ねぇ、早く顔を見せて。ハグさせて」


 兜の隙間から聞こえる優しい声にトキメキながら、私は彼の顔に向かって手を伸ばした。

 本当はキスがしたかったけど、ちょっと照れくさいのでハグと言った。ハグをして、彼の濡れ羽色の髪をくしゃくしゃになるまで撫でまわして、その後たくさん頬ずりをして、雰囲気が良ければキスをしよう……私がそんなことを思っていると――。


「ごめん、ディーナ……。顔……見せれないんだ」


 申し訳なさそうに私の手を掴むリードリヒ。

 私は思わず「?」と首をかしげてしまった。


「どうして? 酷い怪我でもした? そんなの気にしないで! 私たち夫婦なんだから!」

「違う……怪我じゃなくて……」

「じゃあ、髪? チリチリに焦げちゃって恥ずかしいとか? たとえ一本もない状態でもかまわないわよ。私はどんなリードリヒでも大好きだもの」


 私が再び兜を取ろうと手を伸ばすと、リードリヒはギシギシと嫌な音を立てて頭を振った。


「触ったらダメだ! 呪いがうつるかもしれない!」

「呪いですって⁉」

「ぼ……僕は【兜が脱げない呪い】にかかってしまったんだ!」

「えぇぇッ⁉」


 つい素っ頓狂な声を上げてしまうほど、突拍子もない発言だった。

 

 私たちの暮らすクリミール王国は騎士国家。剣や火器の技術は発展しているが、呪術や魔術の類は古代文明と共に滅びたとされていた。今ではおとぎ話といった感覚だ。


 けれど、リードリヒは落ち着いた声音で、「終わったから話せるけど、戦争の相手国は水面下で呪術の研究を進めていたんだ」と語った。


「まだ開発段階の呪いだったから、僕ら王国軍が引けを取ることはなかった。でも僕は上官を庇ってこんなことに……」

「こんなことにって、兜が脱げないこと⁉ そんな呪いある⁉」

「これが相当大変なんだ。常に視界は狭いし、隙間からしか飲食もできない。横たわって眠れないし、髪も洗えない」

「わ……っ!ばっちい……」

「ごめんよ、ディーナ。こんな夫で……」

「仕方ないわよ。あなたのせいじゃない」


 おとぎ話の斜め上をいく展開に驚きを隠せない私は、リードリヒを気の毒に思いながらも、件の兜に触れたくてうずうずしていた。

 たが、彼はそれを許してはくれなかった。呪術を帯びた兜は、呪いを受けたリードリヒ本人以外にも何らかの害をもたらすそうだ。


「術師を捕えて吐かせた情報だから、間違いないよ。同時に呪いを解く方法も聞き出した。それは――」

「それは?」


 リードリヒが少し恥ずかしそうに躊躇い、私が身を乗り出して促す。

 リードリヒは言った。


「……『愛が満ちること』」

「なんだそんなこと!」


 私は再び素っ頓狂な声を上げた。てっきり呪いに打ち勝つ伝説の宝具なんかがいるのかもしれないと身構えてしまったが、この条件なら問題ない。妻の私がいるのだから。

 私はむんっと胸を張り、リードリヒに向かって力強く頷いた。


「任せて、リードリヒ! 私が愛の力で呪いを解いてあげるわ!」

「ディーナ、心強いよ。ありがとう」


 リードリヒが私の言葉を受けて、どんな表情をしたのかは分からない。傷んだ兜の隙間からは、彼の綺麗なエメラルドのような瞳しか見えない。多分、嬉しそうにしているんじゃないかと思う。

 早く彼の優しい顔が見たい一心で、私は呪いと戦うことを決めたのだった。


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