酒は百薬の長であって異世界への片道切符ではない

sekimennbaba

プロローグ

 頭髪は白に染まり、指には沢山のシワと血管を浮かせた一枚の白衣を羽織った老人が、対面の丸椅子に座り、机に置かれたパソコンにカタカタとキーボードを鳴らし暫く何かしらを打ち込んだ後、丸椅子を回してこちらに対して向き直り口を開けた。

 「……達也さん。飲み過ぎです」

 ……。

 飲み過ぎ、か。

 飲み過ぎなのか?

 「風邪…ではないですね」

 先生は温和そうな表情で俺の顔を見ているが、…ボケてるんじゃないか?

 家で酒を煽って朝まで飲み明かそうとして、段々動悸と目眩を感じる。

 これはやばいやつなんじゃないか?と思って急いで近くの内科まで足を運んだわけだが、…飲み過ぎか。

 いや、そんな筈はない。

 きっと風邪だ。

 喉がイガイガする時は大抵風邪だと知ってるぞ俺は。

 毎日のように酒を飲んでは寝てを繰り返しているというのに、動悸や目眩なんか感じた事もない。

 診断ミスなんじゃないだろうか。

 「はぁ…。取り敢えず″お水″飲んでください」

 先生は温和な表情を崩して、少し呆れの籠もった目線を向けている様に見える。

 差し出された水を一気飲みすると、胸に感じていたイガイガが少し大人しくなった。

 「三十二歳で、まあ随分肝臓が来てますね…」

 また、暫くパソコンに何かしら打ち込んだ後先生はこちらに向き直った。

 「弱い急性アルコール中毒みたいなものです。暫くは飲酒を控えて下さい。それでは、お大事に」

 先生はそう言い残すと丸椅子から立ち上がり、さっさと診察室を離れていってしまった。

 「やっぱ風邪だろ」

 心のなかで思っていた言葉が、一人になったせいか自然と口から漏らしていた。

 どう考えたって酒のせいではない。

 医者の診察ミス、これに限る。

 大体、酒は百薬の長と言う。何処かのお偉いさんが言った言葉だってのは覚えているが、明確に誰かは思い出せない。

 「…あの〜」

 ただ、百薬の長なのだ。毒になるわけがない。

 あのいけ好かない老人はとっとと医者を辞めるべきだな。

 「…あのーー」

 胸の動悸に目眩なんて、もしなにか重い病気だったらどう責任を取ると言うんだ。

 せめて風邪薬の処方ぐらいは……。

 「あの!!聞こえてますか!!」

 耳元から大音量の怒気の籠もった様な声が聞こえてきた。

 突然の大音量に、一瞬体を跳ねさせてしまった。

 一体何だと言うんだ。

 耳元で叫ぶなんてどうかしてるんじゃないだろうか。

 「なんですか?」

 突然の声に少し苛立ちの籠った声で返答を返す。

 怒声の主を見やると、白いナース服に身を包んだ二十代ほどに見える活発そうな女性が睨みつけるように俺のことを見ている。

 顔は…。まあまあだな。マスクを付けてその程度とは。

 「いい加減にして下さい!もう診察は終わりましたよ!次の患者さんが入れないので、早く出て下さい!」

 なんて物言いだろうか。仮にも俺は患者で、金を払って病院に来ているんだ。いくらなんでももう少し言葉遣いがあるだろう。

 「もう十分も診察室に居座ってるんですよ!お願いですから早く出て下さい」

 十分?そんなに長くここに座っていたのだろうか。

 それは……俺が悪いな。

 酒のせいだろうか。さっき医者が席を離れたばかりだと思っていたんだが、時間の感覚が少しおかしくなっているのか?

 「そうか…すまない。すぐに出るよ」

 座っていた丸椅子から腰を上げて、病院特有の大きいスライドドアを抜け待合室のソファに腰を下ろした。

 少し眠気を感じながらも、何とか意識を保ち名前を呼ばれるのを待つ。

 暫くすると名前が呼ばれ、カウンターに向かって重い腰を上げた。

 「本日の料金です」

 カウンターの奥の事務員らしき女性が差し出した紙を見る。

 2910円……。

 高っ…。

 酎ハイ缶何本買えるかな。

 若干現実逃避しながらも、右ポケットに入れていた薄い財布を取り出し、財布から三千と十円を釣り銭皿に乗せた。

 どうでもいい事を思い出したが、この釣り銭皿、正式名称あるんだっけか。

 何だっけ…か…カル…カル…。

 「一万二千円十円のお支払いですね。…九千円のお釣りです。お大事に」

 どうでもいい事に思考を割いている間に会計は終わった。

 どうやら三千円ではなく一万二千円を出していたらしい。

 財布が少し厚くなったな。

 厚くなった財布に、何とも言えない気持ちを抱いたまま、病院の自動ドアを抜けた。

 外は少し寒い。

 来るときはそれほど寒くなかった気がするのだが、肌寒いと思えるまでには寒くなっている。

 酒が尽きたからだろうか。

 アルコール足りていないな。

 帰りにコンビニでも寄ろう。


 病院を出て、肌寒い夜を早足で進み、自宅に最も近いコンビニに到着した。

 コンビニの自動ドアを抜けると、見たことのある顔ぶれの男女の店員がレジで談笑をしているのが見えた。

 なんでかわからないが、少し腹立たしさを感じた。

 お酒のコーナーから酎ハイ缶を一本取ってレジに向かう。

 つまみでも買おうかと思ったが、お財布状況的に押しと止まった。

 これ以上出費が重むと家賃が支払えなくなりそうだ。

 レジに向かうと、男の方の店員が手早く会計を済ませた。

 直ぐにお喋りに戻って行った。

 リア充は爆散すべきだな。

 自動ドアをくぐり、外に出るとやはり肌寒い。

 雲で覆われた薄暗い夜空を眺めながら酎ハイ缶を開けた。

 プシッという音と共に炭酸が少し抜ける。

 開いた酎ハイ缶を乾いた喉奥に一気に流し込んだ。

 ああ‥最高だな。


 俺の意識は突然暗転した。




 

 

 

 

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