第3話
アストラル・アリーナの衝撃的な試合観戦から数日が過ぎた。 僕、高城翔太の日常は、静かに、でも確実に変化し始めていた。AIブレインバトルの盤面に向かう時間は明らかに減り、代わりに、ホログラムディスプレイに映し出しているのは、アストラル・アリーナの試合アーカイブ、それもKokemusuiwaの過去の試合データばかりになっていた。
「やっぱり、何度見ても分からない」 僕は、先日の準決勝の録画データを繰り返し再生しながら、思わず唸った。Kokemusuiwaとカブトの連携。特に、あの絶体絶命のピンチからの回避とカウンター。あれは一体、どういう仕組みなんだ? 人間の直感とAIの論理が融合した、奇跡の瞬間? それとも、まだ誰も知らない、未知のテクノロジーが隠されているのか? 考えれば考えるほど、謎は深まるばかりだった。
「翔太、また眉間にシワ寄ってるわよ。そんなに気になるなら、やっぱりファンコミュニティ、覗いてみたら? きっと、翔太みたいな分析マニアが、夜な夜な熱い議論を交わしてるはずよ」 肩の上で、ミオ姉の青い鳥ホログラムが、僕の思考を読んだかのように提案してくる。
「ファンコミュニティか」 正直、少し抵抗があった。熱狂的なファンが集まる場所って、なんだか独特のノリがありそうで、僕みたいな人間には縁遠い世界だと思っていたからだ。 でも、Kokemusuiwaとカブトの秘密を知りたいという好奇心は、その抵抗感を上回っていた。それに、ミオ姉の言う通り、僕と同じように彼女たちのプレイに魅了された分析好きがいるのなら、情報交換をする価値はあるかもしれない。
「分かったよ。ちょっとだけ、覗いてみる」 ミオ姉がすぐにいくつかのコミュニティへのリンクを送ってくれた。その中で、一番活発そうで、かつ戦術分析系の書き込みが多そうな、非公式のファンコミュニティ「星影のアストライア~Kokemusuiwa選手 応援&考察支部~」を選んで、僕は匿名で参加してみることにした。
ハンドルネームは、「Analytical_Crow」。カラスは賢いっていうし、分析好きの僕には合っているだろう。
コミュニティ内は、想像以上の熱気に満ちていた。試合の感想を語り合うチャンネル、ファンアートを投稿するチャンネル、そして僕が目指す「#Kokemusuiwa_戦術分析班」チャンネル。そこでは、僕と同じか、それ以上にディープなファンたちが、日夜、彼女のプレイスタイルやカブトの能力について、熱心な議論を交わしていた。
『昨日のカブトの動き、あれ絶対、敵AIの予測アルゴリズムに干渉してたよな!? 通常のAIバディじゃあんな動きできないって!』
『いや、あれはKokemusuiwa自身の空間認識能力が異常なんだって! カブトはその彼女の意図を完璧に読み取ってサポートしてるだけだ!』
『それより気になるのは、彼女が試合中に身に着けてるアクセサリー! あれ、毎回花言葉が違うってマジ!? 今日の「苔桃」の意味は?』
花言葉? アクセサリー? そんな、ゲームとは直接関係ないような些細な情報にまで注目し、そこに意味を見出そうとするファンたちの熱量に、僕は少しだけ圧倒された。でも、同時に、彼らの考察の中に、僕が見落としていた視点や、ハッとさせられるような鋭い指摘が含まれていることにも気づき、僕自身の分析欲が刺激されるのを感じていた。
数日間、僕はROM専としてコミュニティの動向を観察していた。そして、ある晩、ついに自分自身の考察を投稿してみることにした。先日の準決勝で見せた、あの神業的な回避とカウンターの連携について、僕なりの分析と仮説を。
『初めまして、Analytical_Crowです。先日の準決勝の連携について、少し考察させてください。あれは単なる反応速度やAIの支援だけでなく、敵AIの思考ルーチンを逆手に取った、高度な心理戦術が含まれていたのではないでしょうか。カブトが敵AIの予測を誘導し、Kokemusuiwa選手はその誘導を瞬時に理解し、実行した。つまり、AI対AI、そして人間対AIの、三重の読み合いがあったのでは?』
投稿ボタンを押す指が、少しだけ震えた。自分の分析が、この熱狂的なコミュニティで受け入れられるだろうか? でも、心配は杞憂だった。僕の投稿には、すぐにいくつかの好意的な反応が寄せられたのだ。
『Analytical_Crowさん、初投稿でいきなり神考察! なるほど、三重の読み合いか!』
『確かに! そう考えると、あの異常なまでのスムーズさが説明できるかも!』
『もしかして、カブトって、戦闘支援だけじゃなく、ハッキング能力もあるんじゃ?』
自分の考察が、誰かに認められ、新しい議論を生む。それは、AIブレインバトルの盤上で一人、孤独に最適解を追求していた時には味わえなかった、新鮮な興奮と喜びだった。誰かと「面白い」を共有できるって、こんなにも心が満たされるものなんだな、と僕は久しぶりに感じていた。
※※※
その頃、月の光だけが静かに差し込む、薄暗い自室のベッドの上で。 藤堂結月――Kokemusuiwa本人――は、膝を抱えて座りながら、手元のタブレットで、同じファンコミュニティのタイムラインを、息を潜めるようにして眺めていた。
彼女のハンドルネームは、「MossStone」。苔むした石ころ。誰にも気づかれず、ただ静かにそこに在るだけ。それが、今の彼女の心境を表しているかのようだった。
彼女がこのコミュニティを覗くのは、エゴサーチのためではない。むしろ逆だ。誰かに、自分の本当の姿を見てほしい。誰かに、この孤独な戦いを理解してほしい。そして、ほんの少しでもいいから、誰かと繋がりたい。そんな、切実で、そして叶わぬかもしれない願いが、彼女をこの場所へと駆り立てていた。
ファンたちの熱狂的なコメントは、嬉しいけれど、同時に少し怖い。彼らが作り上げる「天才Kokemusuiwa」という完璧な偶像と、現実の、臆病で不器用な自分とのギャップ。厳しくて、eスポーツを理解してくれない両親。心から話せる友達がいない、学校での孤独。
アストラル・アリーナの世界だけが、彼女が唯一、自分らしくいられる場所。そして、カブトだけが、彼女の全てを受け入れてくれる、唯一無二の相棒。
『今日のアクセサリーの花言葉は〇〇だった!』
そんな書き込みを見るたびに、胸がチクリと痛む。アクセサリーに込めた、誰にも言えない小さな願いや、言葉にならない感情。それに気づいてくれる人がいるのは嬉しい。でも、本当の意味で、この苦しさや寂しさを分かち合える人は、どこにもいないのかもしれない。そんな諦めが、いつも彼女の心を覆っていた。
そんな時、ふと目に留まったのが、「Analytical_Crow」という最近現れたユーザーの投稿だった。それは、先日の準決勝の、彼女のプレイに関する非常に冷静で、しかし深い洞察に満ちた分析だった。そして、その投稿の最後に、こう結ばれていたのだ。
『そして何より、私が感銘を受けたのはKokemusuiwa選手自身の、その驚異的な精神力です。どんな逆境にあっても冷静さを失わず勝利への執念を持ち続ける。その鋼のようなメンタリティこそが、カブト選手の規格外の能力を最大限に引き出し、我々観客の心を捉えて離さない、あの奇跡的なプレイを生み出しているのではないでしょうか』
その言葉は、今まで読んだどんな称賛の言葉よりも、結月の心の、最も柔らかくて、そして最も渇いていた部分に、深く、そして温かく染み込んできた。
この人は、私のプレイの表面的な華やかさだけじゃない。その奥にある、私の「心」のようなもの、その強さも、そしてもしかしたら、その脆さも、見ようとしてくれているのかもしれない。
結月は、まるで何かに導かれるように、震える指で、その投稿に短い、しかし万感の想いを込めた返信を打ち込んだ。
「MossStone:そうかもしれない、と思います」
送信ボタンを押した瞬間、心臓がドキリと跳ねた。匿名とはいえ、ファンコミュニティに書き込むなんて、初めてのことだ。すぐに後悔が押し寄せてきた。でも、なぜか、このAnalytical_Crowという人には、ほんの少しだけ、自分の本当の気持ちの欠片に、触れてほしかったのだ。
※※※
数日後。 僕は、いつものようにファンコミュニティをチェックしていて、自分の投稿への返信の中に、あの「MossStone」からの短いコメントを見つけた。
「そうかもしれない、と思います」
たったそれだけの言葉。でも、なぜか、その言葉が僕の心に強く引っかかった。他の熱狂的なコメントとは違う、静かで、深い共感。そして、「MossStone」というどこか儚げな響きのハンドルネーム。
「ミオ姉、この『MossStone』って人、何か分かる?」
「うーん、ちょっと待ってね。やっぱり、他の発言履歴はほとんどないわね。今日のこの返信が、ほぼ初めての書き込みみたい。なんだか、すごく控えめな人みたいだけど、でも、その言葉には、何か、とても強い想いが込められているような気がするわね」
「そうか」 僕は、なぜかその短い返信のことが、頭から離れなかった。それは、まるで無数の星々の中から、自分だけに向けられた、微かで、しかし確かな光のシグナルのように感じられた。
そして、その光の主が、僕のすぐそばにいるクラスメイト、藤堂結月かもしれないなんて、その時の僕は、まだ想像もしていなかったけれど。
ただ、僕の心の中には新しい謎と、そしてほんの少しの期待感が、静かに芽生え始めていた。
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