四ノ五・愛らしい子

 わずかに電波のあるところを探して呼んだ警察が、小鈴をようやく洞窟から運び出せたのは、すっかり夜になってからだった。

 彼女はすでに死後三日は経っていたらしい。おそらく、岩端商店で周達と集まった時にはもう、彼女は亡くなっていた。生き霊だと思っていたのは、途中から本当に霊になっていたのだ。

 小鈴は蛇神の誘導で山に入り、納骨堂を見つけ、そして慰霊碑の裏に閉じ込められてしまった。雄憲が渾身の力を込めても動かせないものを、子供のような体格の彼女が動かせるはずもない。巨大な石碑を押して両手を伸ばし、助けを求めて声を張り上げた。しかし山の中、しかも人目につかない洞窟が誰かに見つけてもらえるはずもなく、何日も何日もそこで過ごすことになってしまった。

 やがて冷たい土と岩が体温を奪い、衰弱していった。生き霊を飛ばしていた頃には、もう意識もなくなっていたはずだ。

 そしてそのまま息を引き取った。


 洞窟から出て警察を待っている間も、警察が数人係で牽引具を引いている時も、志羊はずっと悄然と自分の手を見つめては、思い出したようにぽろぽろと泣いていた。

 志羊の夢に初めて現れた時には、まだ息はあったのだ。あの時に助けに来られていれば。

 なんの手掛かりもなかったあの段階で、そんなのは万に一つも不可能だったとわかってはいるが、その考えがどうしても拭えない。彼女の恐怖と絶望と苦しみが、なぜか自分のことのように想像できてしまうのだ。

 岩に座り込む志羊の両隣には、壯須と雄憲が付き添っている。三人に声をかけてきたのは、救急隊員らしき、ヘルメットにツナギ姿の男性だった。

「そちらの方、もしかして腕を怪我してますか? 手当てを……」

「……志羊ちゃん」

 促すように、壯須が名前を呼ぶ。しかし志羊は、首を横に振った。

 石碑の隙間に突っ込んで、無理な方向に伸ばした肩は確かに動かすたびに痛みが走ったが、今はこのままがよかった。

 指先を握る。気持ちが悪い。

 左手で強く擦っても、白くなるほど握り込んでも、感覚が消えなかった。

 冷たく無機質で、しかし妙に柔らかく、冷ややかな皮の下に残忍さと攻撃性が詰まったような、あの蛇の手触り。その感覚がずっと消えないのだ。

 気持ち悪い。いやだ。忘れたい。

 気を紛らわせられるなら、肩の激痛でも他の感覚でもなんでもよかった。

 洞窟の方で声が上がって、三人は顔を向ける。巨大な投光器のそばに、警官と救急隊員が何人も集まっていた。

 小鈴を救出できたのだ、と思って、そちらに駆け寄る。

「あっ、近付いちゃ……!」

「顔っ、見せてください!」

 警官の制止も振り切って、志羊は担架に近寄った。

 彼女の最期を見る義務がある、と思った。私に助けを求めてくれたのに、助けられなかった彼女を。覚えておかなければいけない。

「小鈴ちゃん!」

 だらりと腕が垂れ下がっていた。真っ白くて、小さな手。救急隊員が志羊の視線に気付いて、さっとそれを担架に上げる。

 白い頬も艶々の髪も土埃で汚れていたが、美しかった。雪のような肌と、すみれの花のような色をした小さな唇。大きな目は瞼に隠れている。

 驚くほど安らかな顔だった。飢えと乾き、孤独と絶望で、苦しみ抜いた最期だったはずなのに。死んでなお、こんなに愛らしい。

 しかし志羊は、別のところに衝撃を受けていた。

 華奢な腕と、細い首。そこに、大きな痣があったのだ。

 ぐるりと巻きついたような、赤黒い鬱血。まるで蛇が締め殺した痕だった。

 それが体の見えるところ中に、いや、きっと布で隠された胴や足にも、全身についているのだ。

「な、なに……これ……」

 思わず手を伸ばしそうになったところを、両側から制止された。

 雄憲の腕が視界を遮って、壯須が志羊の手を掴む。

「ダメだよ志羊ちゃん。といけない」

 はっと手を引っ込める。確かに、遺族でもないのにご遺体に触るなんてやってはいけないことだ。

 眠っているようにあどけない顔に、覆いがかけられた。そのまま運ばれていく。山道で、車もストレッチャーも入れないので、担架に乗せて人力で麓へ下ろすのだそうだ。隊員達の後ろ姿を眺める。

「俺達も、山を下りよう」

 雄憲が言う。志羊は洞穴を振り返った。

 あの中で、小鈴に一体なにが起きたのだろう。彼女はなぜ、どうやって石碑の裏へ入り込んだのだろうか。あの痣は誰が、どうやってつけたのだろう。

 洞窟の奥、ずるりと、長い影が動いたような気がした。

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