第16話 母は盛大にノロケる
「どうかしました?」
「あ、いや。単純に面食らってしました。歌っていただけるとも思ってなかったですし、まさかビートルズが聞けるとは…神邉さんのイメージが変わりましたよ。妖怪が絡んでいたとはいえお誘いした甲斐がありました」
「夫が洋楽好きでしてね、その影響です」
「夫と申しますと…神邉のご当主の?」
「ええ」
図らずも祐也さんの話題が出て思わず顔が綻んだ。
その顔とは反対に津島さんはぐっと覚悟を決めたような顔を一瞬だけ私に見せる。それだけでなんの話をしたがっているのか見当がつく。
「もし宜しければご当主の事を伺っても?」
「ええ、構いませんよ」
私が応えると本日三度目の意外な顔を見せてくれた。案外、表情豊かな人で逆に担がれているのではないかと邪推してしまう。
「よろしいのですか…?」
「はい。そんなに畏まらないでください。別に夫婦の事ですもの、尋ねられれば答えますよ」
「はあ…」
普段から神邉の当主、つまり私の夫の事を話題に出すのは退治屋界隈でタブー視されている。
理由は簡単だ。
裕也さんには退治屋としての素質が全くないからだ。現場に出ることは勿論、後方支援としても活躍は見込めない。
それでも。裕也さんのことが本当に好き。
誰になんと言われようと、その思いが揺らいだことは一度もなかったと自信をもって言い切れる。
あの人の笑顔や言葉に私がどれだけ救われて、勇気をもらって、励まされたか。それは誰にも推し量ることはできやしない。あの人の側にいられるだけで幸せと思えるほど、裕也さんを愛していると断言できる。
□
妖怪を相手にする都合上、私たちの仕事は夜に動くことが多い。世間からすれば昼夜逆転の生活を余儀なくされる神邊家では学校に行くことも許されず、家庭教師から一般教養を習っていた。
なので当然、同世代の友人ができることもなかった。そして私はそのまま、他人から強制された使命に疑念を持つこともなく成長し、人であって人でないような大人になるはずだったのだろう。
けれど私は裕也さんに出会うことができた。
笑われても、バカにされても関係ない。私にとってはそれは運命以外の何者でもなかった。
裕也さんは神邊の分家に生まれた同い年の男の子だった。初めて会ったのは裕也さんが小学生の頃。分家とは言え神邊の血筋を引く人間は高い霊力を備えていることが多いのだけれど、裕也さんの場合は全くといっていいほど霊的な素質はなかった。だからこそあの人は普通に小学校に通い、妖怪とは縁遠い生活を送っていた。
そんな裕也さんは当時の神邊家の当主が逝去したことで、その供養の為に親類の一人として親に連れられて本家を訪ねてきていたのだ。
そうして来訪した弔問客らの子供達は適当な部屋を宛がわれて思い思いに時間を潰していた。私は自分の部屋にいる気にもなれず家の中を当てなくうろついていたのだけれど、やっぱり子供部屋の様子というのは気になっていた。
自然と足が向き、廊下の影から開けっぱなしの襖の中を覗いてみた。皆が走り回ったり、用意された玩具やお菓子に浮かれている最中、裕也さんは廊下側の隅を陣取ってノートに何かを書いていた。
私はそれが妙に気になってしまったのだ。
「なに、してるの?」
思わず声をかけたことを今でも覚えている。
振り返った裕也さんは私に向かって満面の笑みで教えてくれた。それは当時にやっていたヒーローの絵だった。アニメなのか特撮なのかはわからないけれど、そのヒーローについてとても楽しそうに喋りだしたのだ。
その時に私は生まれて初めて気がついた。
人間って笑うんだって。
笑ってもいいんだって。
笑っている顔を見るのがこんなにも幸せな気持ちになるって。
その時にその気持ちを言い表せる言葉を持っていなかったけれど、今思えばそれは間違いなく私の初恋だ。あんな素敵に笑う男の子を好きにならない方がおかしい。
私はその日から変わった。
どうにかして裕也さんともっと一緒にいれるかを考えるようになった。霊能力があれば、祓い人として神邊家に引き込むことができたかもしれないけれど、そういった力が皆無のあの人にはとれない手段。
だから発想を変えた。
裕也さんに私の側へきてもらうんじゃなくて、私が裕也さんの側に行けばいい。
それから私は祓い人としての職務を全うする傍らで勉学にも心血を注いだ。本来であれば無用の長物になるところだけれど、外で裕也さんに会うためには同じ学校に通うという手段しか私は思い付かなかった。家業に支障をきたさなければ、学校に通学することは許されている。
でも家の離れている裕也さんとは中学も高校も、噛み合うことはなかった。
だからこそ、彼が神邊家本家の近くにある大学へ通うようになったのは運命であり、巡り合わせだとしか思えなかった。
私は彼と自分の合格を願って同じ大学を受験した。神様はそんな私の願いを見事に叶えてくれた。そうして得られた四年間のキャンパスライフは、それこそ夢のような時間だった。好きな人と同じ学校で勉強ができる…けれど夢は一つ叶うと、もっともっと叶えたくなるのだということを私は知らなかった。
もう感情の沈め方が分からなくなっていた私は、気がつけば裕也さんに結婚を前提に交際して欲しいと告白をしていた。今にして思えば世間知らずの箱入り娘の暴走としかいいようがない。当然、彼は目を丸くして驚いて一度断ってきた。その頃には本家と分家の立場の違いなど、余計な雑念が彼にしみついていたから。でも私の思いが嘘や冗談でもなく、まして一歩も引き下がるつもりはないことを伝えると、とうとう彼の方が折れてくれた。
そして、私たちは卒業と同時に籍を入れた。それが最早二十年近くも前の話。
一緒になれたばかりか、裕也さんの子供を四人も授かることさえできた。本家の娘と分家の男が結婚したことで生まれた軋轢はまだまだ深いけれど、それでも裕也さんと結ばれて彼の子供を産むことができたのは幸せだ。
今でも誰に何を言われても断言できる。
私は、裕也さんが好き。
□
馬鹿正直に惚気話を聞かせ終わると、津島さんはそれこそ鳩が豆鉄砲を食らったように固まっていた。
その顔が見られただけで私は十分だ。
「ね? 別に隠すようなことはなかったでしょう?」
「そう、ですね…はは」
津島さんは何とも居心地が悪そうにグラスを傾けていた。効果は覿面したようで安心だった。
彼は私に気がある、とまではいかなくてもお近づきになりたいという念は感じられていた。勿論、それを表に出す人でもないし、近づきたい理由は情念か退治屋としての立場からかまでは分からないものの、面と向かって惚気られると途端に男の人の牙は折れる。
今までも主人があると知りながら近づいてくる人はいたけれど、夫婦の話をするだけで振り払えた。だからこの方法はとても気に入っていた。
「凄い方なんですね」
「え?」
「術も使えず、退治屋にもなれずにあなたにここまで言わせるという事は人間として素晴らしい方なんでしょう」
今度は私が面食らった。自分でもびっくりするくらいに感情を整えられず、呆けた顔を指摘されるまで固まっていた。
「どうかしました?」
「いえ…退治屋に、同業に主人を褒められたのは初めてでしたので、つい嬉しく」
「ははは、それは良かった」
予想だにしない話題に発展した話し合いはそこでお開きとなった。傍目に見れば突如として現れた妖怪について、その正体すらも掴めないような実りのない会話だったけれども私の心はとてもすっきりとしていた。
長年の経験から同業者は皆、裕也さんに対して否定的な目を向けるものと思っていたけれど津島さんの言葉はずっと絡んだままのもどかしい糸をほぐしてくれたような気がする。
そうだ。私は退治屋としての実力や戦力を求めているんじゃない。裕也さんという人間が好きなのだ。
知っていたのに気が付いていなかった事実を再確認させてもらった。それだけで十分に満ち足りた気持ちで帰路につくことができていた。
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