九月二十七日の朝。よく晴れた日で心地良い秋の風が昇降口から吹き込む。

 登校した彼女は下駄箱に手を伸ばした。掴んだのは校内用のサンダル、ではなく白い封筒だった。


「放課後、自習室棟裏で待っています。


         一年一組 恋ヶ窪綾華」


 *


 綾華は自習室棟の裏で彼女が来るのを待っていた。呼び出しの手紙はたった一文。あれで十分なはず。きっとあの人はやってくる。

 すると建物の陰から人の気配。来た。ついにこの時が訪れた。

「恋ヶ窪さん」

 彼女の黒い髪が風に揺れる。そしてほのかに漂う匂い。これだ。

 彼女は困惑しているようだった。しかしそれは演技だ。綾華にはわかる。

「どうしたの急に?」

「呼び出した理由はわかっているはずです。ついにあなたに辿り着きました」

「さあ何のことか。辿り着いたってどういうこと?」

 彼女は首を捻る。

「あくまでシラを切りますか。では教えてあげましょう」

 綾華は彼女の方に体を向け、その顔を見据える。

「この学校の関係者の間で起きた数々の不幸。それらは全て仕組まれたものでした」

「何? どういうこと?」

「片寄愛子先輩、加藤風馬先輩、坂東先生、高岡先生。そして沢谷先輩、森脇慎一さん、滝君、林君。彼らの死、一つ一つの事件は独立しているように見えました。しかしそれらの中心にはあなたという存在がいたのです」

「……恋ヶ窪さん。何が言いたいの?」

 綾華は小さく息を整えると、覚悟を決めこう告げた。

「全てあなたの思惑によって動いてた。黒幕はあなただったんですよ。清水清乃先輩」


 *


 清水清乃はおかしそうに笑った

「何言ってるの恋ヶ窪さん? 私がみんなの不幸に関わっているなんて」

 はぐらかそうとしても無駄だ。綾華は毅然と言う。

「先日高岡先生のアパートに行きました。そして先生が借りていた部屋の隣の住人、青山という人に先生から香ったという香水のことを聞きました」

「高岡先生? 香水?」

「何のことかわかるはずです。青山さんは高岡先生が帰宅する際のみ、いつも香水の匂いを漂わせていたと言っていました。そしてその匂いは柑橘系の甘い匂いだとも。清水先輩、あなたの香水の匂いです」

「まあ!」

 清乃はわざとらしく目を見開いて驚いてみせる。

「それで? 私と高岡先生がどう関係あるの?」

「あなたは高岡先生の自殺の動機に大きく関わっています。というよりそれ自体といっても過言ではない」

「そんな訳ないでしょ。まさか私が高岡先生を殺したなんて言わないでしょうね?」

 清乃は腕を組んで抗議する。

「ある意味ではそうでしょう。あなたは自分の身を守るために高岡先生に自殺をさせた」

「どうして私がそんなことを」

「言いませんでしたか? 自己保身です。

 ところで今年の六月二十日に坂東先生が青酸カリを飲んで自殺するという出来事がありました。しかしあれは自殺ではなく、高岡先生により毒殺されたのです。理由は坂東先生からあることで彼は脅迫されお金を要求されていました。それに耐えかねてついに殺害したのです」

「いきなり何? それが私とどう関係あるの?」

「大いに関係があります。坂東先生は高岡先生を脅迫する材料として二つの秘密を握っていました。一つは生徒との恋愛関係、もしくはそれに相応するごく親密な関係にあるという事実。

 坂東先生はこの生徒を『女』と表現していました。この『女』というのが清水先輩、あなたのことです」

 清乃は手のひらで口を覆う。

「よくもまあ、言い切れたものね。それに高岡先生の交際相手は二年生の沢谷さんって話だけど」

「あなた達は学校関係者にそう思わせるよう仕組んだんです。清水先輩、高岡先生が自殺した際、部屋の掃除や消臭、衣類の焼却など徹底した身辺整理をしていたのはご存知ですね?」

「そうみたいね」

 清乃は白々しく答えた。

「高岡先生のこの行動の目的はあなたの痕跡を消すためです。あなた達はよほど周到に会っていたのでしょう。ついにアパートの住人から目撃証言は出ませんでしたが香水の匂いの証言は取れました」

「さっき言ってた青山とかいう人の証言ね」

 妙な言い方だと綾華は思った。こちらが推理を述べやすくするよう仕向けているような話し方だ。試されている。

「でも高岡先生のデスクからは沢谷さんとお揃いの香水が見つかったそうじゃない」

「ええ、正確にはラベンダーの香水というだけで同じメーカーのものかはわかりません。わざとらしく引き出しの奥にしまっていました。あれだけ徹底して証拠を隠滅したのに、香水をデスクに入れっぱなしなんてやはり腑に落ちません」

「香水の匂いというなら、私の香水と高岡先生から匂った香りも同じとは限らないじゃない。似た香りというだけよ」

「あなたと判断した理由は他にもありますが、これは後に回します。

 話を戻しましょう。なぜそんなことをしたのか? それは同じ匂いの香水を残しておくことで坂東先生が脅迫に使った『女』を沢谷先輩だと錯覚させるためです」

「へえ」

 面白いじゃないと言いたげに清乃は笑う。

「でも坂東先生の脅迫状があなたの手に渡っているなんて知りようもないわよ」

「先輩、私脅迫状なんて言っていませんよ?」

 この時初めて清乃が言葉に窮した。失言だったようだ。

 沈黙が訪れる。そよ風が草原を揺らすさらさらという音と遠くから聞こえる吹奏楽部や運動部の音だけがこの自習室棟裏に響く。

 その瞬間、綾華は気付いた。まさか!

 あの脅迫状の付箋の塊。あれも思えば学校のデスクに置いておくものではない。まさか自分が探りを入れることを見越してわざと置いておいたのか。

 あんなもの手渡したりなど出来ないから、あわよくば綾華が脅迫状を手に入れるようデスクに仕込んでいたのだ。まんまとハマってしまった。

「そうね。変なこと言ったわ。でもおかしいわよ。私や高岡先生が沢谷さんの使っている香水を知る機会なんてなかったはずよ」

 やっとの思いで清乃は言う。

「ありましたよ。私と滝君が坂東先生について聞き込むためあなたの元を訪ねた際、沢谷先輩がラベンダーの香水を使っていること、そしてそれは彼女の交際相手が気に入ったものであることを私は言ったはずです」

 この些細な発言が沢谷の命を奪ったのかもしれない。そう思うとやりきれない。

「そしてその二日後です。私が文芸部で聞き込みをしている時、梶原先輩が部室の外に人影を発見しました。すぐに逃げられましたが、あれは清水先輩あなただったはずです。

 私がどこまで坂東先生殺害の真相に迫っているかを探りに来ただけではなく、沢谷先輩の姿を確かめるという目的もあったのでしょう。そして恐ろしいことにあの短時間であなたは沢谷先輩の性格を見抜き、悪魔のような計画を思いついたのです」


 *


「文芸部の話を立ち聞きした時に、あなたは沢谷先輩が感情的になりやすいことに気付いたのでしょう。梶原先輩が高岡先生について憶測を述べた際、強い口調でそれを制していました。いっときの感情に支配されやすいという側面が沢谷先輩にはありました。

 また彼氏の好みの香水をつけていることから他人から影響を受けやすい感性であることをあなたは見抜いていたのです」

「それでその計画というのは一体どんな」

 清乃は先を促す。綾華はその目に挑むように言った。

「沢谷先輩を自殺するように誘導する計画です」

 内心の憤りを抑えつけた。これこそ自己保身の極致のような恐ろしく卑劣な犯行だ。

「自殺させるって一体どうやって?」

「そんなことはあなたが一番知ってるはずです。まだ白状しませんか」

「あなたの口から聞きたいの」

 にやにやと笑いを浮かべる清乃。

「……沢谷先輩の恋人を殺害し、彼女に精神的なダメージを与えることで、自殺へ向かいやすいような精神状態に先輩を追い込んだのです」

「そんなに上手くいくかしら?」

「確実かはわかりませんが、あなたとしては実際上手くいったのでしょう?」

「何のことかしら。まあいいわ続けて」

 清乃は腕を組み憮然とした口調で言った。

「沢谷先輩の彼氏である大学生の森脇慎一。彼に辿り着くまでのプロセスはわかりませんが、おそらく沢谷先輩をつけるなりして彼の素性を掴んだのでしょう。これが果たしてあなたの仕事なのか、高岡先生の仕事なのかはわかりません。ですがとにかくあなたは森脇慎一に辿り着いた」

「森脇慎一? 知らないわね」

 とぼけないで下さい。そう言いたいところを堪えた。

「今年の六月二十八日の深夜、伊勢宮町付近の大橋川に落ちて溺死した方ですよ。ですがこれも実際には事故ではなく殺人です」

「私が殺したと言いたいの? さっきあなた高岡先生が坂東先生を殺したと言ってたけど、それと同じ方法じゃダメな訳?」

「ええ、あなた方お得意の青酸カリを使うと、せっかく自殺と処理された坂東先生に再び警察の目が向きます。場所も近いので連続殺人の線も出てきます。なので酔っ払った末の事故死に見せかけて殺したのです」

「まあ、確かにそうよね」

「酔っ払った人間を川に突き落とすなんて簡単です。非力な女性でも出来るでしょう。いや、この場合はむしろ女性の方が向いています。初対面の相手に警戒心を抱かせず近寄ることが出来るのは男性よりもあなたのような容姿の優れた女性の方が有利だからです」

「あら、嬉しい! でも証拠なんてあるの?」

「あります。事故当夜、森脇さんが飲んでいた立ち飲み居酒屋の店主が証言しています。彼と一緒に飲んでいた女性がいた。そして二人は初対面のようでしかも女性は綺麗だったとのことです」

「その女性が犯人で、つまり森脇さんを殺害したのは私と言いたい訳?」

「いえ、あなたには無理です。その店は店主の方針で十八歳以下及び高校生は入店出来ない決まりになっていました」

「ほら見なさい。私まだ十七だからやっぱり無理ね」

「ええ、なので森脇慎一さん殺害の犯人はあなたではありません。坂東先生の娘の坂東百合さんです」

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