3
それから綾華は夏休み中に高岡が住んでいたアパートで彼について聞き込みをした。
高岡の徹底した身辺整理、あれは「女」の痕跡を消すためだ。つまり「女」は彼の部屋に来ていたことになる。そうなれば目撃証言を得るのが手っ取り早い。
高岡が自殺した市内の土手は新聞やネットニュースに載っていたので、その周辺を聞き込むとアパートはすぐにわかった。まだ周辺住民が噂をしていたからだ。
二階建ての小さなあふりれた建物で六部屋ある。高岡は二階の左端の部屋に住んでいたようだ。そこの部屋だけ借り手がついていないことがその事実を物語っている。
他の五人の住人のうち三人が不在だった。まずは二階の右端の部屋の住人、中年の女性に話を聞いた。
自殺した高岡豊に関して女性の影がなかったか、そう聞くと住人は訝しげだったが自分は彼の教え子で先生の自殺について調べていると言ってみたら、なんとなく納得したようだった。しかし答えは特に知らないというものだった。
次に一階の中央の部屋。ここは若い女性が借りていたが彼女の答えも同じだった。
期待していたのとは裏腹に全く収穫はなかった。出直そうと思ったがあまりウロウロして警察や学校に連絡されてもつまらない。それに住人同士、関心がなくしたがって交流などないという話も一人目から聞いた。他の三人に聞いてもきっと同じだろうことが予想されたのでアパートでの聞き込みはそれきりとなった。
こうして「女」の正体は未だ掴めぬまま、高校一年の夏休みは終わった。
*
八月三十日金曜日。この日は始業式だった。
夏休みが終わっても相変わらずの猛暑だが学園祭の準備組は張り切っていた。
滝の机には花瓶が置かれており皆で花を持ち寄った。事件の日、綾華が滝と二人でいたことは目撃されているし、噂でも広まっているので皆がどこかしら同情や憐れみの眼差しで見ているのを感じた。しかし綾華としては一向に平気だった。
そして土曜日と日曜日を挟み本格的に二学期はスタートした。
*
九月の十四日、十五日の文化祭。そして十六日の体育祭に向けてクラスでは放課後の準備に余念がなかった。綾華も言われるがまま、中庭で赤組の一年生一同が制作中のよくわからないオブジェをペンキで塗りたくっていた。
袋小路だった。一つ真実が明らかになったと思ったらまた「女」は霞んで消えていく。始業式から一週間が経過したが新たな情報や推理に進展はない。これ以上何をしたらいいのだろう。ベチャベチャとペンキを塗って物思いに耽る。
「恋ヶ窪さん」
ふと誰かに呼ばれた。顔を上げると吉川梢だった。
「吉川さん」
「姫宮さんが呼んでる」
「翠が?」
見ると吉川の背後には翠がいた。多分一組と八組の教室に綾華を探しに行ったが見つからなかったので吉川に案内してもらったのだろう。
「綾華ちょっといい? 話があるの」
「ちょうど良かった私も色々相談したいことがあって」
吉川が去ったタイミングで綾華は言った。
「高岡先生のアパートに聞き込みに行ったの」
「綾華来て」
有無を言わせぬ口調だった。ちょっと威圧的だ。どうしたんだろう?
「翠どうしたの? なんか変だよ」
翠は校舎内に入りどんどん進む。おかしいと思った。職員室へ向かっている。
「翠ねぇ、どこ行くの?」
そんな綾華の言葉を無視して翠は進み職員室の前を素通りしてもう一つ向こうの部屋の前までやって来た。
「ここって」
扉の上、廊下側に突き出したプレートには進路指導室と書かれていた。翠はその扉をノックして開ける。
「先生、綾華連れて来ました」
「飛永先生……」
そこには担任の飛永がいた。
「恋ヶ窪、すまないな。まあ座れ」
狭い部屋には所狭しと本棚が並び通称・赤本と呼ばれる各大学の過去問題集がびっしりと収められていた。中央の机手前側に椅子が二脚並んでいる。そこに綾華と翠は座り、向かい側に飛永も腰を下ろした。
「いや熱いな。どうだ学園祭の準備は順調か?」
「はい多分。あ、先生夏休みに家に来てくださったんですよね。すみませんあの時は出れなくて」
「いや、構わない。学校に来れてるから安心したよ」
異様な面談だった。話は他愛のない個人面談のようだがそれなら隣に翠が座るはずもない。ペンキで汚れた体操服を着ていきなり始まったこの時間は一体何なんだろう。それに飛永もこんな上っ面の会話をしたいのではなく本題をいつ切り出そうかと窺っているようだ。
「あの先生、そろそろ……」
堪らないといった様子で翠が隣から言う。それに飛永も頷く。彼は眼鏡をかけているがそのレンズの向こうの目つきが柔和なものから真剣なものへと変わった。
「恋ヶ窪。姫宮から話は聞いた。滝のことについて調べてるとか」
思わず翠の方を見る。彼女もこちらに険しい顔を見せていた。飛永は綾華から何か返事があるのを待っていたが彼女が何も言わないので続ける。
「今までも色々熱心にやってたみたいだな」
高岡や坂東に関してか? 翠は一体どこまで喋ったのか。
酷い裏切りにあったようだった。どうして先生なんかに言っちゃうのよ! 親友をそうなじりたい気分になった。
「これからもそういうこと続けるのか?」
「はい。滝君を殺した犯人を見つけるまでは」
「もうやめろ恋ヶ窪。危険だ」
断固とした口調だった。
「滝は殺されたんだ。お前も危ない」
「わかってます」
「わかってない!」
翠が叫んだ。
「ねえ綾華! あんた今何してるかわかってんの⁉︎ 殺人犯に近づこうとしてんだよ。さっき聞いたら高岡先生のアパートまで聞き込みに行ったって言うし!」
綾華は舌打ちしたくなった。余計なことを喋ってしまった。これで飛永からの心象はさらに悪くなったろう。
「恋ヶ窪、それは警察の仕事だ。彼らだって無能じゃないんだ、犯罪捜査のプロだ」
「じゃあいつになったら犯人は捕まるんですか? もう一ヶ月経ってますよ」
「そう簡単にいくものじゃない。そんなの素人にだってわかるだろ」
「ええ、彼らが決して犯人に近づけない理由もわかります。今までのことを自殺や事故などで簡単に片付けてしまったからです」
綾華は強気に出ることにした。ここで折れてたまるものか。
「恋ヶ窪、お前の気持ちもわかるがな」
「何がわかるんですか⁉︎ 先生の方こそわかってませんよ」
「軽率な発言だったかもしれん。謝るよ。でもとにかく恋ヶ窪。お前にだって将来があるんだ」
出た出た。綾華は嘲笑いたくなった。今は私の将来の話なんてしていない。そんな常套句で言いくるめようとしても無駄だ。
「これから勉強したいことや興味のあることだって出てくるはずだ。それを放り出して危険に踏み込むなんて言語道断だ。見逃すことはできん」
誰が許可しろと言った。
「どうしてそんなに止めるんですか? 先生は滝君が死んで悲しくないんですか!」
「悲しいに決まってるだろ‼︎」
今までに聞いたことのない声だった。これだけ激した声を飛永から聞いたのは初めてだ。
「俺だって自分より若いやつが、それも身近に教えてた生徒が死ぬなんて辛い。俺にも小学生の息子がいるから親御さんの気持ちを思うとやりきれない。恋ヶ窪、滝を失って悲しんでるのは何もお前だけじゃない。そしてお前にまで何かあったらまた悲しむ人が増える。お願いだ手を引け」
気圧されたが綾華は負けじと立ち上がる。
「もういいですか? 準備に戻ります」
「綾華もうダメだよ! これ以上続けるなら私協力しないから! もう聞き込みなんてしないからね!」
「うん、もういいよ私一人でやる」
いよいよ翠は泣き始めた。
「恋ヶ窪、お前の悲しみや怒りは確かに俺じゃ計り知れない。だがお前にはこの先があるんだ。滝の送れなかった学生生活を、彼の分もこれから色々な経験をして沢山学んでいくんだ。それが彼のためになるとは思わないか?」
しかしこれには取り合わず綾華は二人に背中を見せた。
「失礼しました」
「綾華、もう私本当に知らないから!」
「うん、じゃあね翠」
そう言って歩き出す。
「おい!」
飛永は綾華を引き止めようか、声を上げて泣き始めた翠を宥めようか迷った末、後者を選んだ。
綾華は進路指導室の扉を閉めて一息つく。背後から翠の泣き声が聞こえた。
滝の送れなかった学生生活かと考える。
自分にとってはろくなことのない学生生活だ。好きな人は殺され、今、親友からも見放された。もうこんな学生生活に未練などない。彼の死から目を逸らし、悲しみや怒りから逃げて日々のうのうと生きていけるだろうか? 無理だ。
色々な経験をして沢山学んでいくだと? そうして彼のことを忘れろというのか?
分別をわきまえ、優等生を気取り、皆から認めれてついでにいい大学に入れたとしても、ちっとも嬉しくない。そんなことに何の意味がある!
綾華は拳を握りしめて怒りを抑えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます