翌日、月曜日の放課後。名探偵ラブリー綾華は滝を引き連れ華道部の部室前にいた。

 あれから坂東の自殺に関して考えたがやはり疑念が去らなかった。彼の評判を聞くに自殺の理由は見当たらない。警察もこの辺は聞き込みなんかしたであろうが、単なる自殺と処理したのは早計な気がする。そこで身内の坂東百合に近かったであろう華道部の先輩に話を聞こうと思ったのだ。

 これを滝に話したところ自分も行こうとついて来てくれた。当初、綾華はアポなしで突撃しようと考えていたが、彼が華道部の一年生に言って話を通しておいてくれたらしい。

 文化部の部室は大抵、部室棟と呼ばれる棟に集まっている。翠の所属する吹奏楽部は一階の音楽室が主な部室でパートごとに空き教室だったりを使っている。そして二階には華道部の他、茶道部、箏曲部と和風の部活が集まっている。

 中に人の気配があるので扉をノックしようとしたところ、一人の女子生徒が出て来て、ああ滝君と言った。どうやら話を通しておいてくれた一年生らしい。滝は妙に交友が広いなと綾華は思った。

 開けた扉の隙間から見えた教室は畳敷の和風な内装で新鮮だった。こんな教室があることをこの時二人は初めて知った。

「ちょっと待ってて、部長呼んでくる」

 そう言うと女子生徒は中へ引き返した。わざわざ部長直々にお出まししてくれるようだ。

 呼びに行ってすぐに部長は出て来た。扉が開いて現れた少女、その姿に綾華は目を奪われた。

 サラサラの黒髪に白い肌。鼻筋が綺麗に通っててまさに清純派女優という印象だ。

「あの…………こんにちは」

 なんて可愛い人だろう。どこかで見た気がするが、綾華は息を呑んだ。そのせいで挨拶がぎこちないものとなってしまった。そんな綾華を見て相手は戸惑っていたようだがやがてふふっと上品に笑った。その時唇から覗いた歯並びも綺麗だった。

「こんにちは。吉川さんから聞いてるわ。聞きたいことがあるって」

「はい、えっと……」

「うん、とりあえず移動しよっか。ここはみんなが使ってるし」

 部長に促され、隣の教室棟に移動して今は使われていない教室に入る。湿気と熱気がこもっていたので窓を開けた。

「いきなりすみません」

 綾華が言うと、いいえと手を振りながら部長は答えた。

「そんなことより、あなた達は……」

「あ、遅れました。初めまして一年一組の恋ヶ窪綾華です」

「一年一組の滝啓志です」

 先程からしどろもどろな綾華に対して、滝は比較的落ち着いているようだ。

「三年一組の清水清乃しみずきよのです。華道部の部長をやってます」

 ああ、この人があの清水先輩かと綾華は納得した。いわゆる学園のマドンナという存在として下級生からも、可愛い先輩と評判である。さっきの既視感もどこかのタイミングで視界に入ったのを覚えていたのかもしれない。これだけ綺麗ならあり得る。あの加藤風馬も一時言い寄っていたが相手にされていなかったらしい。

「可愛い名前ね。恋ヶ窪さんか」

 いえいえ、と掌をブンブン振り回して最大限の謙遜を見せた。何がラブリー綾華だと恥ずかしくなった。

「恋ヶ窪さん。清水先輩に聞きたいことがあるんだよね?」

 一向に切り出せない綾華を見て滝が水を向けてくれた。

「あ、はい。えっとそれがですね。ちょっと答えにくかったらあれなんですけど」

「ええ」

 綾華は頭の中を整理する。清乃は三年一組。文系の特進だ。図らずも坂東の担任していたクラスである。

「坂東先生のことでお聞きしたいことがあって」

 ああ、と清乃の表情が曇る。

「娘さんの坂東百合さん、今年の三月に卒業された方で華道部だったって聞いたんですけど」

「ええ、華道部で先輩だったわ」

「部活で仲が良かった方は誰でしょうか? 出来れば在校生で」

 その方が話が聞きやすい。清乃はしばし考えたふうだったがこう言った。

「百合先輩がどう思ってたかはわからないけど、私が一番仲は良かったと思う。色々相談もさせてもらってたし、向こうからも相談されたりしたし」

「本当ですか⁉︎」

 ならば好都合だ。

「ええ、それで聞きたいことはその百合先輩についてかな?」

 丁寧な口調とくだけた口調が混じる独特な喋り方で清乃は聞いた。

「はい。何かお父さん、坂東泰造先生について悩みがあったとか、トラブルがあったというか聞いてませんか?」

「それは例えば自殺の動機になるような?」

「有り体に言えば」

 うーん、と清乃は考え込む。

「恋ヶ窪さん達はこれ、何で調べてるの? もしかして自殺の可能性を疑ってるとか?」

 ギクっとした。探偵ごっこをしてると思われたら、おいそれと話してはくれないかもしれない。

「はい、坂東先生は評判の先生みたいですし、一年生でも特進を狙っていた生徒は困惑してます。僕らとしても納得出来ないからこうやって調べて現実を受け入れようと」

 横で滝がスラスラと言った。そんな話は聞いたことがない。アドリブでそれらしい理由を繕っている。

 そっか、と清乃は相槌を打つ。

「これはプライバシーに関わるし部外者の私がそう簡単に口外していいこととも思えないけど、あくまで参考にする程度に留めてね」

 清乃は人差し指を唇の前に立てる。

「内緒よ、誰にも言わないこと。いいね?」

「はい」

 二人は声を揃えて返事をした。

「百合先輩とは学校のこととか、それ以外の色々なことを話したんだけどね。お父さんの坂東先生についての話となると結構暗い話が多かったのよ」

 清乃は声をひそめて話し始めた。

「百合先輩は文系の特進クラスだったのよ。流石お父さんが教師なだけあるなと思ったら、どうやら坂東先生はそれ良く思ってなかったらしいの」

「え、そうなんですか? 特進なのに」

 翠から聞いた話と違う。

「ううん、特進なのはもちろんいいんだけど、先生は理系に進んで欲しかったって。普段は気にしてないふうだったけど、家でお酒入ると凄く言われてたみたい」

 坂東は数学の教師だ。自分と同じ道を歩んで欲しかったのかもしれない。

「親の希望と違ったんですね。酒癖も悪かったみたいですか?」

「悪かったみたい。暴力を振られることはなかったけど、相当口が酷くなって勝手に喧嘩腰になることも多かったって。それで弟さんとお父さんがずっと言い合いしてて、早く出ていきたいって言ってた」

「確かに居心地悪いですよね」

「うん。あと、弟さんが実業高校行ったのも先生にとっては良くなかったみたいなの。そうなると弟さんだけじゃなくてお母さんとも言い合いで大変だったみたい」

「坂東先生は難関大学にこだわりがあったみたいですね」

 これは滝の質問だ。

「ああ、うん。どうも本人のコンプレックスがあるみたいなの」

「コンプレックス?」

「そう、こんなことまで言っていいかどうか……」

 そこをなんとかお願いします、と二人で頭を下げた。

「坂東先生も昔は国立の難関大学を目指してたみたい。でもそこまでの学力がなくて地方の公立大学に行ったんだって」

「いわゆる学歴コンプレックスてやつですか?」

 滝が言う。

「容赦ない言い方するとそうね。しかも教師になる時、県の採用試験になかなか受からなくて、結局私立のうちに来たみたい。やる気はあるんだけどね。でもいざ教師になると頑張ってたみたい。奥さんがここの元教師で、職場恋愛で結婚したって言ってた。

 でも百合先輩が高校生になって入学して来るとちょっと変わっちゃったみたい。文系に進んじゃうし、弟さんも普通科を受けないし、そして百合先輩が大学に受かるとまたコンプレックスが再燃したみたい。お酒の量が増えて家族からも孤立するようになって外に飲みに出ることも多かったって」

「それも全部、百合さんからですか?」

「ええ、感謝してるとは言ってたんだけどね。ボートレースとかパチンコにも通うようになったって」

「え⁉︎」

「消費者金融でもお金借りるようになったから大学は奨学金借りるしかないかもって言ってた。結局どうなったかはわからないけど」

 皆から真面目で熱心といわれた教師が酒浸りになり、ギャンブルで借金を作る。見事な転落だなと綾華は呆れた。

「教師らしくないよね。でも人間誰しも内に色々秘密とか闇を抱えてるものっていうから。学歴社会とかストレス社会の弊害よね。外野が一概に坂東先生をダメな人って言うのも、違うと私は思うけど」

 清乃は亡き坂東を気の毒に思ってか、そんなことを言った。


 *


「私が知ってるのはこのくらいかな。他に何か聞きたいことはない? 良かったら華道部に興味があったら色々教えるけど」

 坂東の知られざる一面を聞いて、教室が重たい空気に包まれる。それを払拭しようとしてか、清乃は努めて明るく振る舞っているようだ。

 滝がちょっとトイレに行くと言って席を外した。何よそれと清乃は笑う。

 綾華は彼の後ろ姿をなんとなく目で追って清乃に視線を戻すと、ふふっと笑っていた。

「あの子は恋ヶ窪さんの彼氏?」

「違います! 友達です!」

 思わず声が大きくなった。首をブンブン振り回す。

「勘違いですよ」

「じゃあ好きなんだ、片思い?」

「そんなことありません。友達としては尊敬してますけど」

「そんなにムキにならなくてもいいのに」

「なってませんよ。ちょっとびっくりして」

 顔が真っ赤にほてっているのが自分でもわかる。綾華は顔が赤くなりやすいのが悩みだった。清乃の意地悪な微笑みが憎いような気がした。この先輩はいきなり何てことを言い出すのだろう。

「熱いのね」

「…………熱くありません」

 何の問答だ。早く終わってくれと思った。このマドンナは滝が戻ってきたら何を言い出すかわからない。そんな心配をしていたが、滝が戻ってくると幸い、清乃は攻撃をやめてくれた。そこまで意地の悪い人間ではない。

 もうこれ以上聞くことはないなと思った時、窓から風が吹き込み柑橘系の甘い香りがした。

「あ、いい匂い。レモン?」

「私の香水ね。校則違反だからバレないようにちょっとだけにしたんだけど、やっぱ香らないと意味ないか」

 清乃が答える。

 爽やかな香りだ。この美少女にうってつけの匂いだなと綾華は思った。

「恋ヶ窪さんは香水とかつけない?」

 清乃に聞かれて綾華はまさかと答えた。

「香水とかよくわかりませんし」

「周りにはいない?」

「うーん、そういえば文芸部の沢谷先輩がラベンダー系の香水をつけてたことある気がします。彼氏が気に入ってくれたとかで」

「そう、じゃあ恋ヶ窪さんも気に入った香水が見つかるといいね」

 そう言って滝の方を一瞥し、いたずらっぽく笑った。やっぱりこの先輩は意地悪だ。

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