Fragment/ 001 Girl meets Vampire

Fragment/ 001 - 01

──B.C. 2071 Scotland



 古びた街並みは宛ら街ごと切り取って博物館で保存したかのような、時が止まった気配を色濃く残している。黒い傘を叩く雨粒の音、遠くの風景を覆い隠す霧、それらが象徴するのはスコットランドという国そのものだ。


 ロビン・ホワイトはチェロケースを右手にしっかりと持ち直し、一度遠くへ視線を投げる。ここはロビンの生まれ故郷だという。国際刑事裁判所の上司がそんなことを言っていたが、彼女にはとっくにそんな記憶は忘れ去っていた。彼女の大部分を占める記憶は、目が覚めてから合衆国で過ごした記憶である。それも、狭い箱庭のような場所での記憶だ。


 〈ヴァンパイア・インシデント〉の後、アメリカにおいて安全な場所はそう存在しない。それこそ軍の基地が置かれている場所の周辺か、あるいは何故か無事だったニューヨークか。ロビンの記憶は縦に伸びたニューヨークの摩天楼が大部分を占めていて、そこの漂白された空気に入り混じった閉塞感に嫌気がさしていたところだった。


 丸眼鏡のレンズに一つ、通知が浮かぶ。気温、湿度、大気指数。ロビンはそれを右から左へ受け流した。

そして三時間に一回の頻度で、左腕に巻きつけられた黒いスマートウォッチを介して、体内の恒常性に関する情報が視界へ共有される。心拍数、呼吸数、血中酸素飽和度。挙げ句の果てには精神状態──ストレス指数に至るまで。人類は人類の閾値から外れることをひどく恐れ、そして今では誰もこの鬱陶しい通知に違和感を見出すことはない。


 ロビンは忌々しいと言わんばかりにため息を吐き出し、漸く少しマシになってきた雨足を見計らって傘を閉じる。再び視界に通知が現れた──『感冒(かんぼう)のリスクがあります。傘の使用を推奨します』。喧しい、と左手を振ってそれを消し、石畳を踏みしめながら歩いていく。己に与えられた任務について、薄らぼんやりと考えながら。



「……はあ、護衛。私が?」


 ロビンは耳の穴を小指で掻きながら、眼前でデスクについている厳格な雰囲気の女性に気だるそうな声を返した。少なくとも彼女の態度は一切褒められたものではない。何故ならロビンの前にいる女性は国際刑事裁判所の上級裁判官であり、ロビンを『納棺師』にした人物──即ち上司であるからだ。


 しかし当然の如くロビン・ホワイトという少女の辞書には、「年上を敬う」とか「本音と建前を使い分ける」とか、そうした社会的なスキルに関する事項が書かれていない。上級裁判官はさらに表情を険しくして、つまらなさそうに右手の爪を眺め始めたロビンを睨みつけた。


「ロビン。これはとても重要な任務よ。最優先事項なの」


 責めるように上級裁判官は言った。耳につけられた真珠のピアスが揺れる。


「貴女は納棺師として抜きん出た実力を持っているわ。……ちょっと。聞いているの?」

「そんなにかっかしたら、拡張オーグに警告出るよ」


 ロビンは心底どうでも良さそうな表情で視線を動かし、上級裁判官──エレナ・ブリュンヒルドへ返す。


「貴女ね。……はあ、もういいわ。とにかく貴女にはこれからスコットランドへ飛んでもらうわ。覚えていないでしょうけど、貴女の故郷よ」

「そーですね。全然知らない。っていうかスコットランドってどこ? EU?」

「ええ、そうよ。英国を構成する国家の一つよ」


 エレナはそう言ってコーヒーで唇をわずかに湿らせた。すっかり忘れていたが、コーヒーはまだ健気に人類の趣向品として生き残っている。アルコールとタバコは淘汰されてしまったが、かろうじて、だ。もしかしたらコーヒーではあるが、カフェインの抜かれたデカフェかもしれない。


 人類はあの日から、疑心暗鬼に陥っている。閾値を超えたら吸血鬼になってしまうかもしれない。そんな極端な怯えを抱き、この世界を無菌室に変えようとしている。

ロビンの目の前にいるエレナ・ブリュンヒルドもまた、そうして怯えている人物のひとりだ。彼女は腕に巻かれたスマートウォッチだけでは飽き足らず、体内に健康管理用ナノマシンを入れている。


 ロビンは無機質な金属音を鳴らす左腕を軽く持ち上げて、眼鏡のブリッジを押し上げる。彼女は現代人類の標準装備のうち、最低限のものしか身につけていない。その代わり、左腕と右脚はタングステン合金製の義体であり、他の人類よりも少しばかり強靭さを必要とする職に就いている。


 それこそが、納棺師だった。

 現代の納棺師は過去の時代のそれとは大きく異なる。其らの職務は吸血鬼の撲滅であり、棺に納めるのは吸血鬼の亡骸のみだ。ロビンもまた、その役目を背負う。



「っていうか、EUならEU支部の奴に任せればいいじゃん」

「貴女の言うとおり、最初はEU支部の納棺師を派遣する予定だったのよ。でもロンドン入り直後に消息を絶ち、四日後に遺体で発見されたわ」


 ロビンはそばかすの散った顔をエレナに向け、露骨に眉を顰めた。


「……その護衛しようとしてる奴って、この件に関係あるわけ?」

「資料を送った。確認なさい」


 エレナは短くそれだけを告げ腕の端末を操作した。即座にレンズへ通知が届き、ロビンは左腕のスマートウォッチからホログラムキーボードを呼び出す。送信された電子ファイルをレンズの拡張オーグへ呼び出し、その文字列を追いかけていく。


 死亡した納棺師は確かにEU支部所属であり、エレナの指揮下にある直接の部下だった。名はジハード・マリーン。四年前に報告されたチェコの吸血鬼事件を解決したことが記されており、特に不審な点は見受けられない。


 ロビンは指を軽く空中で動かして書類をスクロールする。次のページには遺体の写真が添付されていた。画像に関して表示された警告を右から左へと受け流して即座に閲覧する。頭部が陥没している他、胸部に大口径の弾丸が打ち込まれていることが確認できた。


「どっからどう見てもライフル弾の痕じゃん。狙撃?」

「それこそが問題なのよ。吸血鬼が人を襲って殺害する場合、大抵は太い血管……頸動脈から吸血して殺害することが殆どよ。だけど今回は違う」

「ねーエレナ。これマジで納棺師が出張んなきゃなんない案件? 絶ッ対インターポールでしょ」

「本来ならね。だけど、その弾痕にしか見えないその傷からヴァンプウイルスが検出されたの。どういう意味か、わかるでしょ」


 エレナは頷くだけだったが、その表情には重苦しい空気がまとわりついていた。


「いやいやありえないっしょ。死んでるし。処刑されたし」


 ロビンは興味が一切無さそうな声音で続けた。


「納棺師が死ぬのなんて日常茶飯事じゃん。不審死じゃない死に方しても不審死に見えんだからさ」


 ロビンは嘲るように鼻で笑って、「あ」と声を上げた。なんとなく走った嫌な予感に、エレナは唇を固く一文字に結ぶ。


「しくじったんだ。その尻拭いを私にさせよう、って?」


 その声は弾んでいた。しかしエレナは全く狼狽えず、


「四十年前にヨハン・ジュゼッペの死刑は執行された。死亡後遺体は徹底的に滅菌分解されたわ」

「……クローンか、レプリカントがいるかも、ってことね」


 レプリカント──それは生体材料と模倣臓器、そして高密度擬似神経回路からなる、人類が生み出した最も人類に近い人形だ。彼らは第三頚骨に直接マイクロチップが埋め込まれており、加えて耳の裏側に製造会社と製造年月日の刻印がある。その耳の刻印でしかレプリカントと人間を見分ける術はない。仮にクローンであれば、より人間と見分けるのは困難を極めるだろう。何せクローンは人間と同一の素材で構成されている、人間という種の複製なのだから。


ロビンはあからさまな溜息をつき、面倒くさい、というモノローグを一切隠さない視線をエレナへ向けた。


「貴女の推理は正しいわ。つい三時間前、広域パーソナルサーチにヨハンが引っかかった」


 広域パーソナルサーチとは、人工衛星を介して個人の位置情報を特定するシステムだ。国際捜査機関を含めICCにもその使用が許可されており、特に納棺師には個人だけでなく個人所有のヒューマノイドや司法機関に登録されたレプリカントの追跡も許されている。


 このシステムは地球上に存在する約八割の人類が腕に巻き付けている健康管理用端末、或いはその機能と複合化されたスマートデバイスの位置情報を拾うものだ。


「サーチがそうだっつっても、ヨハンを騙ってるかもじゃん」

「騙っているなら目的を探る必要があるでしょう。問題は山積しているのよ。殺人事件の捜査と護衛任務が主、そっちはあくまでついで」


 エレナは息を吐いて続けた。


「まず貴女のすべき仕事は──」

「あー、クソめんどくせー」


 ロビンはあけっぴろげに悪態をついた。


「で。その護衛任務って何なの。この事件に関係あるってことはジハードの身内とか?」

「……座標と旅券を送った。行けばわかる」


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