第8話
その翌日、旭に店が定休日だからと川へ釣りに行こうと誘われた。
高校卒業まで住んでいたのに、近所の川で釣りをしたことがない。そもそも釣りに何を持っていけばいいのかも知らなかった。
朝、何も持たずに旭の家に行ったら重装備の旭に笑われた。
「静樹くんは、俺より釣り詳しいと思っていた」
「だって、川釣り初めてだし、海も、ないですけど」
「半袖とジーパンでじっとしてたら、虫にさされるし、帽子と長袖は必須かな」
そんな感じで釣り初心者だった静樹は、旭から長袖シャツを渡され、麦わら帽子を被せられた。
釣り道具は川の近くでレンタルできるそうだ。
こんなことなら、釣りに行くと両親に最初から言っておけばよかった。そうすれば必要な物や服装くらいは教えてくれたかもしれない。
出会った日もその翌日も、旭はジャージにエプロン姿だったけど、今日はグレーのキャップにポケットのたくさんついた紺色のベスト、機能性を重視したアウトドアパンツを穿いていた。肩には水色のクーラーボックス。派手な髪色と相まって釣りが得意な海の男に見える。
(……行くのは川だけど。俺も、ちゃんと調べてかっこいい服着てくれば良かった)
せっかくのお出かけなのに。悪い意味で、お兄ちゃんと弟にしか見えない。
旭の隣を大きな麦わら帽子と首にタオルをかけて、手にバケツを持って歩いていた。静樹の方は正しく田舎の中高生らしい格好をしている。
行く前に虫除けスプレーと日焼け止めを貸してくれたので、蚊にボコボコになるまで血を吸われることは回避できそうだった。
そんな二人で川まで続く国道を歩き、最寄りの釣具店に入ると、旭は慣れたふうに二人分の釣り道具をレンタルして日釣券買った。
釣りをするのにチケットが必要なことも静樹は知らなかった。ずっとこの近所で暮らしていたのに。
川に着くと、遠くで学生たちが同じように釣りをしているのが見えた。自分も友達がいたらあんなふうに夏休みに釣りに行ったりしたのだろうか。そういったイベントごととは無縁の学生時代を送ってしまった。
旭に訊きながら川岸で仕掛けを準備したあと、川の中に入り、瀬と淵の境目を狙って糸を垂らす。釣り方はオトリの鮎を使う友釣りというやり方だそうだ。
本当にこんなので釣れるのだろうか、と思っていたら、旭は糸を垂らしてすぐに一匹目をゲットしていた。
「すごい、慣れてるんですね」
「全然そんなことないよ。さっき、なんか詳しいみたいなこと言ったけど、実は俺も釣り覚えたのここ最近」
そう言って旭は苦笑する。
「そうなんですか」
「そ、本当は静樹くんにカッコつけたかっただけ」
「いやでも実際かっこいいですよ。俺は全然、釣れてないし」
「まだまだこれからだよ。釣れたら向こうに炭焼きの場所あるから食べようぜ」
「じゃあ、頑張ります!」
そう言うと静樹は再び水面を観察するのに集中した。喋っていたら魚が逃げると思って、じっと口をつぐんでいたら近くに来た旭に肘で小突かれる。
「え」
バランスを崩して転びそうになったところを腕を掴まれる。跳ね上がった川の水が顔にかかり冷たくて気持ちよかった。
振り返ると逆光で旭の耳のピアスがキラキラと太陽の光を反射していた。自分を支えた逞しい旭の腕に胸が高鳴る。
「水浴びしたかった?」
「水着ならしたかったかも」
「じゃあ、それは今度しよう」
旭から今度って約束されるたび、期待してしまう。けれど、期待するたび最初に関係を持ってしまったことが頭の片隅にちらついた。一回、寝たくらいで浮かれるなと自制心が働く。
旭がどういうつもりだったのか、まだ怖くて訊けていない。
自分が、アサ兄に恋していたことは、もうバレてしまっている。
それ以前に、旭との関係をこれから、どうしたいのかも自分の中で分かっていない。
好きになった、あとのこと。
「な、せっかくのデートなんだから、近くで話そうぜ」
「で、デート、ですか」
「なんだと思ってたんだよ」
「遊んでもらってるんだって」
「俺の方が、遊んでもらってるけどな。昔もさ」
旭は釣り竿を置くと静樹の横にしゃがみ川に両手を突っ込んだ。しばらくして両手を出した旭はその手を静樹の両頬に当ててきた。
「わ! つ、つめたい」
「こういう水遊びとか、俺したかったんだよね。――俺さ、子供のころは、やりたいことなんもできなかったから。健康を手に入れたら、今までやりたかったこと全部やるぞって貪欲になってさ」
「それで釣りなんですか」
「うん、クラスメイトたちと行ってみたかった。あとは、最近はジムで体鍛えたりしてるし」
「ジム……どうりで体……すごい。い、いえ……なんでも」
あの夜に見た厚い胸板を思い出して、思わず顔を赤くしてしまった。
「ん、何か、思い出した?」
そう言って旭に顔をぐいっと近づけられた。
「なっ、何も!」
「別にいいのに。――まぁ、裁縫とか、昔やってたことは仕事になったし、家に引きこもってた時間も俺にとって無駄じゃなかった。静樹くんにもたくさん遊んでもらえたしね」
「じゃあ、俺と一緒ですよ。俺は学校で友達作れなかった。アサ兄が遊んでくれたから、この田舎が好きでいられた」
「そっか」
そう言って旭は小さく笑った。
それから一時間くらい粘ったが、たくさん釣れている旭と違い、静樹は一匹も釣れていなかった。
「どうしよう……全然、釣れない。旭さん」
「ん、ちょっと、見せて?」
そう言った旭の声と共に後ろから手が伸びてきた。旭の手が静樹の手と重なって胸が高鳴る。
昨日キスしたけど、今日は何もしていないから。ちょっと触れただけなのに肩が跳ね過剰に反応してしまった。そんな幼稚な反応に気づかれないように平静を装った。
横から釣竿と仕掛けを確認してもらったら、原因が分かったらしく苦笑された。
「あー釣れないはずだ。仕掛け逆だよ」
「え! 嘘だ!」
「本当」
そう言っている間に旭は静樹の仕掛けを直してくれた。その慣れた手つきと横顔が店で針仕事をしているときの旭と重なった。
「あぁ、そっか針と、糸か」
「ん、何か言った?」
「うん。旭さんが釣りが上手なのは、針と糸の扱いが上手いからだ。普段から仕事で使ってるから、みたいな」
「それは考えたことなかったな。確かに洋裁も針と糸使うけどね」
静樹の気づきに旭はケラケラと笑った。
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