8. 第5章 足りないもの-3
3人は公園に着くと、芝生の上に花柄のシートを広げ、まず喉を潤すためのお茶の準備を始めた。
お茶にはお茶菓子が付き物だが、ネイトは甘いものが苦手だ。
それでも我慢して双子に習い、スコーンにクロテッドクリームといちごジャムをたっぷりつけて食べ、紅茶で無理矢理流し込んだ。
顔を歪めるネイトの前では、エリノアとリネットは平然と同じものを食べながら、「クリームとジャム、どっちを先につけるか」で争いを始めていた。
「クリームが先よ!パサつきをなんとかしなくちゃ!」
そうエリノアが主張する。
「ジャムが先でしょ!食べ進めるうちに甘さが来るのがいいんでしょ!」
リネットも引かず反論する。
「口に入れば一緒だろ...」
ネイトは呆れながら言うが、その言葉を聞き逃さなかったリネットがぐるりと振り返る。
「これだから素人は…」
リネットはネイトを鼻で笑い、エリノアはやれやれと首を横に振った。
しばらくして、3人は公園の草花を摘んで花冠を作り始めた。
『花冠の作り方を教えて欲しい』
双子から事前にそう頼まれていたからだ。
「普通のやつでいいのか?」
公園で花冠を作る。
いかにも子供らしい行為だが、双子の表情は若干緊張していて遊びという感じがしない。
花冠を作り始めるにあたり、ネイトはまずは色々と確認した方がいいと判断した。
「ええ、普通のでいいわ。でも、もし工夫できるアイデアがあるなら、それも一緒に教えて欲しいの」
エリノアは指を絡めてモジモジさせ、少し顔を強張らせながら答える。
ネイトはそんなエリノアを見て珍しいなと思いながら、バッグに手を突っ込み、中から袋を取り出した。
「生地の切れ端を持ってきてある。これを花冠に編み込めば、ちょっとしたものになるはずだ。色や柄にも拘れば、文字通り特別な一品だぞ」
「なるほど」
「いいわね!」
ネイトが取り出した色とりどりの生地の切れ端を前に、エリノアは頷き、リネットは喜びながら切れ端をすくい上げた。
「...パパ、これで元気になってくれたらいいんだけど」
エリノアの唐突な呟きを聞いたネイトは仰天し、しどろもどろになりながらリネットに問いかけた。
「あー、その、なんだ、...ラッセルは落ち込んでるのか?」
「お母さんが出て行ってからね。大好きだった服作りからも距離を取ってるし。昔は寝る間も惜しんで新しいデザインの服を作ったりしてたのよ」
その回答を聞いてネイトはますます顔を強張らせた。
ラッセルが工房での仕事に消極的なことを、頼まれたことだけしかやろうとしないことを、身近にいる彼はよく知っていた。
腕は良いが自分の意見を主張しない、職人にしては珍しいタイプ。
それが工房内でのラッセルの評価だった。
実際、ネイトはラッセルと議論をしていても、後が無い割にどこか一歩引いたような印象を持っていたが、エリノアの話を聞いてようやく腑に落ちた。
また、ラッセルの妻と弟子が駆け落ちしたことを、ネイトは先日スチュアートから聞いていた。
その時は、だからラッセルに迷惑をかけすぎるなという注意だったが、よく考えれば子供たちがそれを知らないはずもない。
特に、エリノアは同年代の子供たちよりも賢く、周囲をよく見ている。
噂好きな大人たちが好き勝手言い合っているのを、多感な年頃の子供が聞きつければ内心は穏やかではないだろう。
母親に捨てられたという事実も重くのしかかってくるはずだ。
エリノアだけではなく、リネットの方も若干気落ちしたような表情をしており、色々と思うところがあるのだろう。
そう考えてネイトが頭を抱え悶えると、エリノアは慌てて手を前に突き出しながら否定した。
「待って!私はそんなに気にしてないから!パパを元気にしたい。それだけだから!」
「いや、そうは言ってもだな...」
「いいから!さっ、早く花冠をつくりましょう。日が暮れちゃうわ!」
そう言ってエリノアは草花をネイトに押し付けた。
(まあ、ここで色々言うのも野暮か...)
双子が既に折り合いをつけているというなら、今ネイトにできることは限られている。
ならば、自分にできることをしよう。
そう考えてネイトは問題を一旦棚上げし、花冠の作り方をできる限り丁寧に説明し始めた。
草花で大枠を作った後は、持ち込んだ服作りの生地の切れ端を編み込んでいく。
赤いリボンや青いチェック柄の布が、草花の緑や白に映え、さながら店先に並ぶ装飾品のような一品へと仕上がっていった。
「すごい! 綺麗!」
エリノアはその花冠を見て喜び、リネットは別の花冠をネイトの頭に載せた。
「似合ってるわよ!」
「もう好きにしてくれ…」
ネイトを見て笑うリネットに対し、ネイトは諦めた顔で次の花冠を作り始めた。
エリノアはネイトの作った花冠と見比べつつ、たどたどしい手つきで、自分なりの創意工夫を盛り込んだ花冠を作っていく。
リネットはシートに寝転び、足をパタパタ動かしながら、ネイトの手元を眺めて言った。
「悪人みたいな顔の割に、びっくりするくらい上手ね。作業中にイライラして引きちぎりそうな雰囲気してるのに」
エリノアはネイトの手元を眺め、「お父さんとどっちが上手なの?」と首を傾げながら聞いた。
ネイトは手を止め、考え込む。
「手先の器用さで負ける気はしねえ。だが、ラッセルは技術だけじゃなくて、女性向けのデザインが得意だからな。花冠ならラッセルの方が上だろ」
その言葉を聞いてエリノアは目を丸くする。
「へー、意外。『俺の方が上だろ』って言うと思ってたのに」
ネイトは一瞬手を止め内心で考える。
確かに、以前の自分ならそんな謙虚な答えは出なかった。
彼の淡褐色の目に、微かな変化が宿る。
しかし、リネットはそんなネイトの内心に気が付かない。
「次はこんなデザインの花冠作って!」
そうねだるリネットを前に、ネイトは苦笑しながら草花を手に取った。
そこへ、草むらから紫がかった灰色の野兎が飛び出してきた。
野兎は全長20センチほどのありふれた品種で、野山ではよく見かける。
エリノアは野兎を優しく抱き上げ、柔らかな毛を撫でた。
野兎は暴れる素振りもなく、エリノアの膝の上で大人しくしている。
人に慣れているのか、それとも人を舐めきってるのか。
エリノアが花冠の材料の草を差し出すと、兎は驚くほどの速さで食べ始めた。
リネットは兎を刺激しないように注意しながら、赤い柄の生地の切れ端を兎の首に巻く。
「なにやってんだ?」
リネットの行動を訝しんだネイトが聞くと、リネットは振り返って答えた。
「灰色のドレスに赤い柄のスカーフを巻いてるみたいで可愛いでしょ?」
(また『可愛い』か...)
ネイトはそう考えながら、兎をじっと見つめる。
これが「可愛い」なら、どんな柄のスカーフにすればもっと「可愛く」なるのだろうか。
頭の中で思考がグルグルと回り始めるが、頭を振って一旦リセットし、改めて野兎を眺める。
「…まあ、確かに似合ってるか」
野兎は差し出された草を食べきると、ネイトの方を向いて目を光らせた。
そのままネイトの横に積まれた草花に飛びつき、凄まじい勢いで食べ散らかし始める。
3人が呆然としてその光景を眺めていると、あっという間に積み上げられていた草花が消えてなくなった。
そして、野兎は残った花を何本も咥え、草むらへ駆け出した。
「おい、待てテメエ!」
ネイトが叫び声を上げると、リネットが笑いながら野兎を追いかける。
エリノアは「代わりの花を採ってくるわね!」と言って立ち上がる。
ネイトはため息をついた後、頭を掻きながら残った材料で花冠作りを再開した。
遠くでは、子供連れの母親たちが、不審者を見る目でネイトを睨んでいた。
**********
後日、工房でラッセルはネイトと顔を合わせると、笑顔で喋りだした。
「娘の世話を頼んで悪かったな。2人は花冠を大事そうにしてたよ」
「気にするな......あいつらが作った花冠を貰ったのか?」
「ああ、作り方を教えてくれたんだって?よく出来ていたな。2人も感謝していたよ」
ネイトは作業台の試作品を手に、どうやらプレゼントは上手くいったようだと、こっそりと胸を撫で下ろす。
淡褐色の目には、以前の尖った雰囲気が薄れ、穏やかな光が宿る。
ラッセルはその様子を見て驚き、髭を撫でながら言った。
「君は変わったな。悪い意味じゃないぞ。余裕が出てきたと言えばいいのか…。以前は結果を鑑みることなく、自分勝手に仕事をしていた。今は指摘されても素直に受け入れ、客の要望を満たすことを考えるようになったように見える」
ネイトはスケッチを手に黙って考え込んだ。
ラッセルの言葉は彼の変化を的確に捉えていた。
ネイトもうっすらと自分の変化を察していたが、改めて他人から指摘されると思うところが出てくる。
ネイトの目は作業台の試作品に注がれたまま、ずっと動かなかった。
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