第33話:“食べる命”と“愛でる命”

 翌日の昼休み。

 私は楓ちゃんを誘って、学校の図書館へ向かった。


 誰かがページをめくる音が、遠くで静かに響いている。


 産卵のことをもっと知りたくて、関連する本を探すことにした。

 もちろん、海月先輩にもすぐ相談したかったけど……凛先輩の言葉を思い出した。


(まずは自分で調べる。それでもわからなかったら聞こう)


 そう自分に誓った。だって、私とあべとまめの問題なんだから。


「アベニーパファーの繁殖かぁ。どんな本を探せばいいのかな? 図鑑? 飼育本?」

 楓ちゃんが首をかしげながら、書棚の間を歩いていく。


「ごめんね、楓ちゃん。つきあわせちゃって」


「いいのいいの。どうせ暇だったし。しかし彩花、ほんとに熱心だねぇ。フグの卵って、そんなに大事?」


「大事だよ! あべとまめの赤ちゃんなんだよ。……それに、命が生まれるってすごいことだと思う。昨日まで2匹しかいなかったのに、突然現れるんだよ?」


 私は本棚のラベルを指でなぞりながら、つい熱弁してしまった。


「言ってることはわかるけど、いまいちピンと来ないや」

 それが楓ちゃんの率直な返事だった。


 生物関連のコーナーに着いて、さっそく『熱帯魚の飼育』や『アクアリウム入門』を引っ張り出す。

 でも……。


「……あれ? アベニーパファーについての情報、ほとんどないね……」


 パラパラめくっても、グッピーやネオンテトラは詳しいのに、フグ、特に淡水フグのページはスルーか、ほんの数行だけ。

 卵の扱い方なんて、どこにも載っていなかった。


「彩花! すごいの見つけたよ! ほら、『ふぐの養殖』って本あるよ!」

 行き詰まる私の横で、楓ちゃんが分厚いハードカバーを得意げに差し出してきた。


「え、養殖!? それならプロの技術が載ってるかも!」


 期待してページをめくると――


「……トラフグ、トラフグ、マフグ……」


 そこに広がっていたのは、私の知る「アクアリウム」とは別世界だった。

 コンクリートの巨大な生簀(いけす)。

 ひしめき合う何千匹もの魚影。

 極めつけは、出荷のために締められ、箱詰めされたフグたちの写真。


「……これは違う。こういうのじゃないよ……」


 ページをめくる手が重くなる。

 アベニーパファーという小さな命の情報は、どこにもない。


 本を閉じて肩を落とす私を、楓ちゃんがにやりと覗き込む。


「彩花、いっそトラフグ飼いなよ。大きく育てて、私にご馳走して。てっさ!」


「ええっ!? 楓ちゃん、まだそれ言う!?

 フグは愛でるもの! 食べるものじゃないってば!」


「アベニーパファーもトラフグぐらい大きくなればねぇ」


「そういう話じゃないでしょ!?

 じゃあさ、もし楓ちゃんのハムスター、私が“食べたい”って言ったらどうするの!」


「うーん……」


「悩むなぁぁぁぁ!!」


 つい声が大きくなってしまい、近くの図書委員に「静かに」と注意される。

 楓ちゃんが「ご、ごめん! 冗談冗談!」と慌てる姿につられて、私も笑った。


 命を「可愛い」と思う私と、「美味しそう」と思う楓ちゃん。

 価値観が違うって、案外ちゃんと向き合うと刺さるんだな。


(……でも、それでいいんだ。違うからこそ、友達でいられる)


 そして気づいた。

 淡水フグの世界は、想像以上にニッチだということ。

 普通の熱帯魚みたいに情報が溢れてるわけじゃない。


(本にも載ってない。誰も教えてくれない)


 図書館の静けさが、急にひんやりと感じられた。

 知識の海の中で、自分だけが取り残されているみたいで。


(じゃあ……どうすればいい?)


 諦めかけた心の奥で、小さな声が響く。


(……いや、違う。ここで止まりたくない)


 私は静けさの中でそっと拳を握った。


(ネットだ。あそこなら、世界中の「好き」が集まっているかもしれない)


 その瞬間、胸の奥に、小さくて確かな火が灯った。

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