キミ色の四十九日間

天海 潤

第1話 一日目①

 コンビニで買い物を終え、自動ドアが開いた瞬間、刺すような冷たい痛みを、南條直樹の頬が感じた。反射的に身体が震え、首に巻いたマフラーに顔を埋める。

 アパートへの道を歩いていると、晴れ着を着ている女の子たちが視界に入った。

 そういえば、今日は成人式だった。


 女の子たちは笑顔で写真を撮りあっている。その笑顔は、直樹には眩しすぎた。まるで、これから先、素敵な未来が待っていると信じて疑っていないように思えて。


 ――大人になりなよ。


 あの女の最後の言葉。忌まわしい記憶が蘇りそうになり、蓋をするように直樹は両目をギュッと瞑る。

 アパートへと辿り着き、階段で二階へと上がると、直樹はそのままドアノブを捻って中へと入った。

 一DKの部屋。だが部屋にある家具は、丸い形をしたローテーブルと寝袋だけだった。最も、寝袋を家具とカウントするならばだが。


 直樹は、コートも脱がずにコンビニの袋から便箋とボールペンを取り出すと、ローテーブルの上に置き、床に座った。


 「拝啓 南條哲雄殿 雪子殿」


 直樹は、両親へ手紙をしたため始めた。書く内容はすでに決めてある。迷うことなく、文章を綴る。

 手紙を書き終えると、今度はスマホを取り出し、メールアプリを起動した。財布の中から、ミドリ不動産と書かれた名刺を取り出し、そこに書かれたメールアドレスを送信先に入力する。

 メールを作り終えると、一時間後に送信されるように時間指定を済ませた。


 直樹は、手紙とスマホを玄関の靴だなの上に置くと、ローテーブルの下に青いブルーシートを敷いて、テーブルの上に登る。

 上を向くと、天井の梁からロープが垂れている。その先端には輪っか。

 つま先を伸ばし、首を括ろうとした瞬間。


「あたしの部屋で、首吊りはやめてくれないかなー」


 背後から女性の声が聞こえた。


「うおっ!」


 驚いた拍子に、足が滑り、直樹はテーブルに思いっきり腰を打った。


「いってぇーっ!」

「大丈夫?」

「あんたのせい……」


 そこまで言いかけてから、違和感を覚える。

 この部屋には自分しかいないはず。玄関の鍵は開けてあるが、誰かが入って来た気配はなかった。なら自分に話しかけているこの女は?


「おーい。大丈夫かい?」


 直樹が声の方へ視線を向けると、女が宙に浮いていた。


「ゆ、ゆゆゆ、幽霊っ?」


 すると女はウインクをしながら、片目を挟むようにピースをしてみせた。


「よっはろーっ! 地縛霊の陽葵ちゃんでーすっ!」


 その名前を聞いた瞬間、なぜか心の古傷が抉られるような感覚に襲われた。

 直樹は腰を押さえながらテーブルから降りると、立ち上がる。

 陽葵と名乗った女の外見は二十代前半。栗毛色のセミロングの髪の毛先を内向きにゆるくカールしている。色素の薄いくりんとした瞳に、少しあどけなさが残る顔。小悪魔系とでもいうのだろうか。美人というよりも可愛いという言葉が似合う。

 白色のノースリーブワンピースが、彼女にとても似合っていると感じた。

 だが、その体は物理的に存在感が薄かった。そしてスラリと伸びた足はやはり、床に着いていない。

 陽葵にどこか既視感を感じるが、記憶を探ろうとすると、ひどい頭痛に襲われた。


「きっと俺は死んだんだ。だから幽霊が見えて」

「キミはまだ生きてるよっ! そのためにあたしが出てきたんだしっ」

「なんでだよっ」

「だって、首吊り死体がある部屋で過ごすの嫌じゃん」

「それは確かに」

「ね? だから死ぬのやめよ?」

「いや困るよっ! 俺は自殺するために、事故物件に引っ越したんだからっ!」


 そう。なるべく他人に迷惑をかけないために、借り手がいないという事故物件を借りたのだ。事故物件がまた事故物件になるだけ。そう考えて。


「もしかして、この部屋が事故物件になったのって、あんたが死んだから?」


 すると、陽葵は笑いながら手を横に振った。


「それあたしじゃないから。独り身のおじいちゃんが住んでたんだけどね、心臓病か何かで死んじゃったんだよねー。見つけてもらうまで三ヶ月はかかったかなぁ。いやー、あの時は本当に大変で……」

「な、なぁ。もしかして、そのおじいちゃんもここにいるのか?」

「いないと思うよ。ここにはあたしだけ」

「あんたって本当に幽霊?」

「えー、そこから? だって、こうしてここにいるじゃん。はいQED」

「はえーよっ! 俺は二十五年生きてて、一度も幽霊なんて見たことないんだよっ」

「童貞、卒業おめっ」


 陽葵がサムズアップする。


「そんなもん卒業しても全然嬉しくないっ。え、幽霊って普通にいるものなの?」

「あたしは地縛霊で、この部屋から出れないから、その辺の幽霊事情はわからないなぁ。ごめんねっ」


 舌をペロリと出しながら謝ってくる。


「ねぇねぇ。それよりお互い自己紹介しようよ。これから一緒に暮らすわけだし」

「しねーよ? だって俺、これから死ぬし?」

「あのね、キミ。言っとくけど、ここで死んだら」


 陽葵が、それまでの陽気な態度から一転して真面目になる。説教でもするつもりか?


「なんだよ……」

「キミも地縛霊になるかもしれないじゃん。それってあたしのアイデンティティが崩壊しちゃうじゃんっ!」

「地縛霊であることに、アイデンティティ感じるなよっ!」


 しかし、陽葵の言葉の意味を考える。俺が死んでも、この世に縛られたままになったら? そんなことになったら、死んだ後も苦しみ続けなきゃいけないってことじゃないか。

 そんなの、嫌だ。


「えっと、陽葵さんだっけ? どうして地縛霊になったんだ? 何かこの世に未練とかがあるのか?」

「ないよっ!」


 陽葵が食い気味で返事をする。


「ないのかよっ! 未練ないのに、なんで成仏しないんだよっ!」

「そんなこと、あたしに言われてもなぁ。気がついたら、幽霊としてここにいたんだもん。それよりさ、どうして死のうと思ったの? お姉さんに話してごらんよ」

「言いたくない」


 すると、陽葵は玄関先へと向かう。何をしているのかと訝しんでいたら、遺書を開け始めた。


「なっ」

「えー、なになに。『先立つ不孝をお許しください。自分の人生を否定され、生きていくことが出来なくなりました』って、なんか辛いことがあったんだ?」


 直樹は慌てて、陽葵から遺書を引ったくった。


「なんで遺書に触れるんだよっ」

「チッチッチ。ポルターガイストの応用だよ、キミ。そんなことも知らないのかな? って、さっきまで童貞だったんだから仕方ないか」

「童貞言うなっ! 言ってて恥ずかしくないのか?」

「女の子に言わせるなんてサイテー」

「責任転嫁してんじゃねぇっ!」


 次の瞬間、床がドンッと鳴った。

 直樹はまた陽葵が何かしたのかと驚いたが、陽葵を見るとビックリした顔をしている。


「今のもポルターガイストじゃないのか?」

「うるさくしてたから、下の人が怒ったんじゃない?」

「陽葵さんは誰にでも見えたり、声も聞こえたりするのか?」

「キミが、初めてだよ……」


 妙に艶のある声を出して、瞳を潤ませながらそんなセリフを口にした。


「じゃあ、俺が一人で騒いでる変人に思われてるってことかよ……」


 直樹はしゃがみ込んで、頭を抱える。


「ちょっと。せっかくサービスしたのに無視しないでよっ」


 直樹は頭を上げると、幽霊を睨め付けた。


「女は嘘つきだ。そうやれば、すぐに男が喜ぶと思ってる」


 陽葵は腕を組んで考え込む。


「キミはあれかな? いわゆるGってやつなのかな?」

「人をゴキブリみたいに言うんじゃねぇっ! それに俺はゲイじゃないっ!」


 するとまた床がドンッと鳴った。

 陽葵が小声になる。


「とりあえずさ、叫ぶのやめた方がいいよ」


 誰のせいだと思ってる。直樹は問いただしたかったが、止めることにした。

 他人に迷惑をかけてはいけない。


「はぁ……」


 直樹はため息を吐くと、リビングへと戻った。とりあえず、陽葵のことをもっとよく知らなければならない。死後にこの世に留まらないためにも。

 陽葵はふわふわと浮きながら、直樹の後をついてくる。

 テーブル越しに向かい合って座る。


「俺の名前は、南條直樹。自殺するためにここに引っ越してきた」

「あたしは陽葵。苗字は覚えてないんだ。十年近く地縛霊やってまーす」

「陽葵さんは、未練はないって言ってたけど、どうして幽霊になったんだ?」


 そこで初めて、陽葵は眉を下げて困ったような顔になる。


「それがわからないんだよねー。あたし、生前の記憶がなくて。さっきも言ったけど、気がついたらここにいたの」

「なぁ。正直言って、未練もないのに存在してる陽葵さんの存在は、俺にとって滅茶苦茶都合が悪いんだ。俺は死んだ後にこの世に留まるなんてごめんだ」

「自殺したいくらい生きてるの嫌なんだろうし、そりゃそうだろうね」

「だから、俺は陽葵さんを成仏させようと思う」


 陽葵はニヤリと笑う。


「そう来るんだ。いいよ、やってごらんよ」

「俺を祟ったりしないって、約束してもらえる?」

「しないしない。あたし、そういうジメジメしてるの興味ないし」

「ありがとう」


 直樹はスッと立ち上がると、玄関へと向かう。


「どっか行くの?」

「除霊グッズ買ってくる」


 そう言って、直樹はコンビニへと向かった。

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