第三節:一方その頃、御所の奥では(序章)
第6話 手に入った栄華 ~天皇視点~
「どうぞ、陛下」
女中から発せられた声に、朕は座敷に腰を下ろし、酒杯を手に取った。
代々の天皇が居を構える、御常御殿。
目の前の庭といい、美しい襖の絵や欄間の彫りといい。
即位するまでは祝い事に足を踏み入れるだけだった場所が、今はもう自分の場所である。
名実共に、すべてが自分のものになった。
親に譲られた訳ではない。
朕は朕自身の力で、今のこの地位を手に入れたのだ。
これを愉悦と感じずに、何を愉悦と思うのか。
どうして万能感を抱かずにいられるのか。
いや、朕は既に万能なのだ。
そうなるために必要な事はすべてしたのだから、そうでなければむしろ可笑しい。
そんなふうに思いながら、トクトクと杯に注がれる酒に目を落とした。
「私、胸が梳くような思いでしたわ。まさか御所内でかどわかされるとは思いませんでしたが、あの千咲がこの場を追われたのですもの」
注がれた酒を一口呷れば、小鳥が歌うような声でそんな事を言った女中が、こちらにしな垂れかかってくる。
公家の娘、椎香。
この娘自身はともかくとして、後ろ盾の生家は朕に次ぐ強い権力を有していると言ってもいい。
とはいえ別に、この女のためにあの巫女に罪を着せ、婚姻の話を白紙にした訳ではない。
あの巫女の家は、公家の中でも少し特殊な立ち位置の家の娘だ。
――破魔の巫女。
この国の暗雲を打ち砕き、治世を平常のものとするための、神事を司る家の娘。
中でも今代の巫女は力が強く、神力なるものを操るという。
説明しようのない不可思議な力だというが、そのような得体の知れないもの、朕の目から見れば妖も同じ。
むしろ災いの元であると思ったが故だ。
しかしそれにしても、そもそも婚姻の成り立ちからして、酷く気に食わなかった。
何が「若い陛下の地盤をより強固にすべく、強固な守りを施すため」か。
周りの公家の当主連中と並べられればたしかに若い部類には入るが、元服などとうに終え、今年でもう十八である。
あのような地味である事を「巫女だから」などという建前を使って我儘にも押し通すような女に頼る程、朕は力なき天皇ではない。
女というのは、男を立ててこそ存在意義があるというものだ。
その点この女は、己の欲望に忠実なところこそあるが、朕の為す事に口出しはしない。
非常に分かりやすい女であるし、体の相性も悪くはなかった。
朕は、日和見だった父上とは違い、この国の実権を取り戻すつもりだ。
この娘の家を下につければ、そのための力になるだろう。
朕の邪魔をしないのなら、少々の甘い蜜くらいは吸わせてやってもいい。
「そういえば、もうすぐ三月に一度の『神降ろしの儀』があるのではないですか?」
椎香にそう問われ、庭園を眺めつつ「あぁ」と応じる。
陰陽師が主に吉兆占いや星読みからあらゆる物事の日程を組む仕事をする傍ら、巫女にも役割というものがある。
主に儀式時の奉納舞がそれにあげられるが、他にも定期的に為すべき事の一つに『神より信託を賜る事』というのがあった。
それが、『神降ろしの儀』。
三月に一度この御所内で行われる、限られた人間のみが立ち会う事を許された儀式である。
今までは、もちろん千咲が行っていた。
もうあと半月に迫った次の儀式に千咲を呼ぶ事はもうないが、だとして何が困るというのか。
「神事の際の巫女は、千咲の生家が『妹を派遣する』と言ってきている。あの家の者も、この国の頂点の不興を買ったままではいられぬのだろう。仕方がないので、許可を出しておいた」
あのような娘を嫁にと寄こす家相手に、なんと寛大な事だろう。
まぁ、一度会った事のあるその妹が、千咲とは違って何も知らぬような無垢な娘で、素直で可愛らしい娘だったからという理由も、あるにはあるが。
「……神事のみとは言わずとも、この御殿の女中に召し上げてやってもいい」
ポツリと溢した一言は、そのあとすぐに呷った杯と共に再び腹に飲み込み、チラリと横に目を向ける。
そこには、丁寧に飾られた剣と、鏡と、勾玉があった。
三種の神器。
国の象徴たる天皇が常に傍に置く、権威そのもののような存在だ。
古めかしいが、どこか重い存在感があるそれらは、本来ならば使わぬ日は剣璽の間に収めておくべきところだが、なんせ朕は天皇だ。
いつでもこれらを酒の肴に、眺める権利を有している。
すべては順風満帆だ。
そしてそれは朕が死ぬまで、続く栄華なのである。
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