第2話 誘拐
声の主は、案の定最悪の人だった。
「……
「貴女、陛下の御不興を買ったのですってね。お気の毒に。……いえ、気の毒なんていう事はないのかしら。だってきっと、日々の積み重ねが招いた結果なのでしょう?」
ねっとりとした嫌味な声に、耳の早い事だと妙に感心する。
実際に、大枠で言えば彼女の言う通りではある。
たとえ謂れもない罪を擦り付けられたせいでこの地を追われるのだとしても、元を正せば「私が陛下に好かれなかったから」起きた事態には違いない。
私は別に好かれなかった事に関しては、特段痛手にも思わない。
ただ「好かれなかった理由に私の媚びない態度があるのだとすれば、巫女たる私の至高は神でありその信仰によって祓いの力を得ている以上、私たちは相容れない存在だったのだ」と思うだけだ。
しかしそんなあれやこれやは、私に勝った事に喜ぶ今の彼女には関係ないのだと思う。
あぁ酷い。
彼女の周りにも、不浄が纏わりつき渦巻いている。
今の彼女の醜い優越感が、この不浄を呼び寄せているのか。
はたまた今回の件に、彼女も何らかの形でかかわっているからこそか。
それとも、もっと別の何かで呼び寄せたのか。
本当のところは分からないけれど、既にあまり興味もなかった。
これくらいの不浄であれば、三月に一度の御所内での儀式で敷地ごと丸洗いする事もできよう。
私が今憑いているものを祓っても、どうせ付け焼刃に過ぎないのだ。
ならば少々今の状態で、少しは自分の業の深さからくる体のだるさや肩こり程度の不調に苛まれればいいと思――。
後ろから、バンッという音がした。
振り返ると、ちょうど後ろにあった筈の襖と共に、人影が一つこちらに飛んでくるところだった。
「くっ、曲も――」
室内で私を見張っていた二人の武士のうちの一人が、「曲者だ」と声を上げかけた。
しかし結局それが言葉になり切る前に、額に蹴りを入れられ綺麗に後ろに飛ぶ。
その武士が反対側――廊下側の襖を背中で破り、転がった。
この時になってやっと、椎香が大きく悲鳴を上げる。
廊下側に配置されていた者たちが、「何事か!」と声を上げながら腰の刀を抜くのが見えた。
人影は、大柄というには少々小さい、それなりの身長の男だった。
太ってもおらず、痩せてもいない。
世の中のおおよそ平均を行くような見た目の男で、全身黒装束。
髪も顔も黒い布で大半が覆われており、見えるのは黒髪黒目が普通のこの時代に、少し珍しい浅黄色の瞳だけ。
彼は、切りかかってきた男たちをヒョイと避け、ついでのように反撃をした。
まるで大人と子どもの喧嘩を見ているかのようだ。
武士たちは皆、それなりの手練れの筈である。
しかし「両者の間にこれほどまでに力量の差があると、こうまで一方的なのか」とそう思わずにはいられない程に、圧倒的で。
身軽さから、一見すると忍びを彷彿とさせた。
暗殺にでも来たのだのだろうか。
しかし見る限りでは、攻撃のための道具を何一つとして持ち合わせていない。
――ならば何故、一体何をしにここに来たのか。
あまりにも突然の事で、怖くて動けなかったのか、舞いのように洗練されたその動きに魅入られて、動く事を忘れてしまっていたのか。
それさえ分からないような始末だった。
その間にも、ある者は避けられたついでに上から背中を踏まれて転び、またある者は近くにあった文机で刃を止められていた。
刺さって動かなくなった隙をついて、横から蹴りを入れられて横に飛ぶ。
そして――。
アーモンド色の目と、目が合った。
その目がニヤリと笑った、ような気がした。
また身軽に剣戟を避けた彼は、転がるように私の傍までやってくる。
「えっ」
私の体が、重力に逆らって浮いたのが分かった。
気が付けば彼の小脇に抱えられていた。
「用事は済んだ! もうこんな場所に要はねぇ!」
身軽に剣戟を避けてみせた彼は、そんな捨て台詞を吐いてピョンと庭に出る。
いつの間にか夕暮れになっていたらしい。
走っているせいもあって、ひんやりと冷たい風に頬が晒され少し冷える。
とりあえず抵抗してみた方がいいかと試みたけど、無駄だった。
まず、抱えられているせいで手足をバタつかせてもあまり意味を為さない。
ついに、無駄に重い着物のせいで、満足に身動きが取れない。
結局疲れたのは、私だけだった。
彼からしてみれば今の私など、ちょっと動く程度の米俵と同じだったのだろうと思う。
その証拠に、彼の唯一見える目元には、余裕からくる涼しさしかなかったし、何なら鼻歌まで歌っていた。
背中越しに、追手の叫び声や、侵入者を知らせる半鐘がカンカンと鳴っているのが分かる。
しかしそれもすぐに遠退き、御所を囲む塀を物ともせずにヒョイと飛び越えれば、ついに聞こえなくなって。
「ねぇ」
「あんまり喋ると舌を噛むぜ?」
「貴方は、人買いか何か?」
「はぁ?! そんな人でなしと一緒にするな!」
きざな一言を言い放ったと思えば、次の瞬間には声を荒げる。
やかんのような男だと思った。
心外だとでも言わんばかりに、声が酷い険を持つ。
今の私が分かる事と言えば、本来ならば歩いてどこかしらの門から出る筈だった御所を、人に抱えられて塀を飛び越え、いつの間にか出てしまっていた事くらいである。
彼らの目的も、これからどうなるのかも、何もかもが分からない。
しかしそう悪い気はしなかった。
私は巫女で、巫女は神に守られている。
だから不安なども特になく、その辺の女子どものように鳴いて喚きたいような気持ちにもならなかった。
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