#11 令嬢の選択

ドレスを脱ぎ捨てるのよ。

誰が最初? あなた? いとこのパウル。ローマ人〔彫刻〕みたいな頭の人がいなくなっててラッキーね。今夜この美しい胸にキスするの? 

あぁ私はなんて綺麗なの。ベルタは黒のシルクの下着を持ってる。素敵。私はもっとずっと素敵になる。最高の人生よ。ストッキングも脱ぐの、〔それだけ履いてたら〕みっともないわ。裸、全裸よ。ツィッシはすごく羨ましがるでしょうね! それに他の人たちだって。でもやろうとしない。みんなそうしたいと思ってるのに。お手本を見せてあげるわ。私、処女の私がやろうとするのよ。ドルスダイのことなんか死ぬほど笑ってあげる。ここですよ、フォン・ドルスダイ様。郵便局 に急いで。五万よ。それだけの価値があるんじゃなくて?


 綺麗、私は綺麗! 私を見て! 夜よ。山々が私を見てる! 天よ、私を見て、どれだけ綺麗か。でもあなたたちは目が見えない。私に何の得があるのよ。下にいる人たちには目がある。髪をほどく? ううん。それだと狂ってるみたいね。でもね、狂ってるなんて思われたくないの。破廉恥 なだけって思えばいいわ。悪女(カナイユ) ってね。

電報はどこ? なんてこと、電報はいったいどこ? ほら、あった、ヴェロナールの横で大人しくしてるわ。「懇願するように 繰り返す……五万……さもなくば全て無駄。住所はフィアラのまま。」そう、これが電報。一枚の紙切れで、文字が書かれてる。ウィーンで四時半に発信された。〔夢?〕ううん、夢じゃない。全部事実。それで五万グルデンを家で待ってる。それにフォン・ドルスダイ氏も待ってる。待たせたらいい。だって時間はある もの。

あぁ部屋の中を裸で歩き回るのはなんて気持ちがいいの。本当に鏡の私と同じくらい綺麗なの? あぁもっと近くに来て、綺麗なお嬢さん。あなたの血のように赤い唇にキスしたい。あなたの胸を私の胸に押し当てたい。私たちの間にガラスがあるなんて、悲しすぎる。冷たいガラス。どこまで仲良くなれるかしら。でしょう? 他の誰もいらないわ。きっと他人なんて一人もいないのよ。電報やホテルや山や駅や森はあるけど、人間はいない。私たちは夢を見てるだけなの。フィアラ博士だけは住所と一緒に存在してる。いつだって 変わらない。

あぁ別に狂ってなんかないの。ちょっと興奮してるだけ。だってそうでしょう、新しい私に生まれ変わるのだから。昔の私はもういないのよ。そう、間違いなく死んだの。

だったらヴェロナールはいらないわね。流しておく? 部屋付きメイドが間違えて飲んじゃうかも。ここにメモしておこうかしら。『毒』ううん、どちらかというと『薬』、……メイドに何も起こらないように。それが私の立派なところ。そうね。薬、下線二つに感嘆符三つ。これで何も起こらない。それで、後で上に戻って、死ぬ気がなくて眠りたいだけなら、グラスの全部は飲まずに、四分の一か、それ以下だけにする。なんてシンプル。全ては私の手の中よ。

一番シンプルなのは、駆け降りることね……この恰好のまま廊下と階段を。でもだめよ、下に着く前に止められちゃうかも……それにフォン・ドルスダイ氏がいるか確かめないと! でなきゃ送金するわけない。あのゲス 。……でもまだよ、手紙を書くの。それが一番重要。

わ、椅子の肘掛け、冷たいけど気持ちいい。イタリアの湖畔に別荘ができたら、いつだって裸で公園を散歩するの・・・


万年筆はフレートに遺贈かな、私がいつか死んだらね。でも今はまだ、死ぬよりもっとスマートな手 があるの。「敬愛なる子爵様」……だから理性的になってエルゼ、そんな定型文いらないの。敬愛なるでも、軽蔑するでもないのよ。「あなたの条件は、フォン・ドルスダイ様、満たされました」………………「あなたがこの文章を読む瞬間、フォン・ドルスダイ様、あなたの条件は満たされます。あなたが意図した形と全く同じではありませんが。」……「いやぁ、娘はなんとうまく書くことか」ってパパは言いたいでしょうね。……「そして私は期待しています。あなたが自分の言葉を守り、五万グルデンを遅滞なく、電信で指定の住所に送金されることを。エルゼ。」違う、エルゼじゃない。署名は一切なし。よし。素敵な黄色い便箋! クリスマスにもらったのよ。残念ね。それで……そして今、電報と手紙を封筒に。……「フォン・ドルスダイ様」、六十五号室。なんで番号? ただドアの前に置くだけよ、通りすがりに。だけどそんな必要もない。そもそも何もする必要ないの。その気になれば、もうベッドに入って眠って、それから何も気にしなくたっていい。フォン・ドルスダイ氏のことも、パパのことも。ボーダーの囚人服だってなかなかエレガントよ。それに、今までにたくさんの人が拳銃自殺したのよ。それに、私たちはみんな死ぬものなのよ。


 だけど、今のところはその必要ないわ、パパ。だって立派に育った娘がいるし、住所はフィアラのまま。寄付を集めてくるわね。お皿を持って回るの。なんでフォン・ドルスダイ氏だけに支払わせるの? 不公平よ。みんな自分の出せるだけでいいの。パウルはお皿にいくら置くの? それから金縁鼻眼鏡の紳士はいくら? だけど、お楽しみがずっと続くだなんて思わないでね。すぐにもう一度くるまって、階段を駆け上がって部屋に戻って、鍵をかける。それでその気なら、グラスを一気に飲み干す。でも私だったらそんな気にならないわ。そんなの臆病なだけだもの。あんなクズどもに払う敬意 なんてないわ。あなたたちの前で恥じる? 誰かの前で、私が私を恥じるですって? まさかそんな必要なんてないわ。

もう一度あなたの目を見せて、綺麗なエルゼ。近くで見るとなんて大きな目なの。誰か、私の目と血のように赤い口にキスしてくれないかしら。マントはギリギリ足首の上までしかない。裸足なのがわかるわね。だから何、もっとたくさん見れるのよ! だけどそんな義務なんてないの。下に着く前に、すぐ戻ってくることだってできる。一階で引き返せるの。そもそも下に降りる必要もないわ。だけど行きたい。楽しみにしてる。今まで生きてきて、ずっと待ち望んでたことでしょう?


 いったい今は何を待ってるの? 準備万端よ。本番開始できるのよ。手紙を忘れずにね。貴族らしい筆跡ってフレートは言う。さようなら、エルゼ 。マント姿もとても綺麗ね。フィレンツェの貴婦人たちも、こんな風に肖像画を描かせたのよ。〔今では〕その絵が美術館に飾られて、彼女たちの名誉となってるじゃない。

……マントを羽織ってたら気づかれなんかしないわ。足だけ、足だけよ。黒のエナメル靴を履くの。そうしたら肌色のストッキングだって思うでしょ。そうしたらロビーを歩いて、誰にもわからないわ、マントの下には何もないなんて。私。私自身の他には何も。それに、その後いつでも上に戻れる・・・

……下のあっちでピアノを、ショパンね? そんなに見事に弾くのは誰? ……フォン・ドルスダイ氏はちょっと神経質になってるでしょうね。たぶんパウルを恐れてる。ただじっと、じっとするの。全部上手くいくの。まだ何もわからないのです、フォン・ドルスダイ様、自分でも怖いくらい緊張してるのです。

灯りを消そう! 私の部屋は万全? さようならヴェロナール、また会いましょう。さようなら、最愛の鏡像さん。暗闇の中で輝いてるわよ。


マントの下が裸なのにはもう慣れたわ。快適ね。〔案外他にも〕こんな恰好でロビーに座ってて、そのことに誰も気づいてないだけかもしれないわよ? どこかの婦人がこんな恰好で劇場に行って、こんな風にボックス席に座ってるかも……遊び心か、何か別の理由でね。


 鍵をかけた方がいい? 何のために? ここでは何も盗まれない。それにそうなったとしても……もう何もいらないのよ。おしまい・・・六十五号室はどこ? 廊下には誰もいない。みんなまだ下でディナー中ね。六十一・・・ 六十二・・・なんて大きな登山靴かしら、ドアの前にあるわ。フックにはズボンが掛かってる。なんて下品。六十四、六十五。そう。そこが部屋、子爵の・・・手紙を置こう、ドアの下に。すぐに見なきゃだめよ。誰も盗まないわよね? そう、そこに置いてあるわ・・・別に気にしないの・・・まだ何でも私の好きにできるのよ。からかってる だけだもの・・・今階段で出くわさなければいいけど。

あっちから来るのは・・・ううん、別の人! ・・・この人、フォン・ドルスダイ氏より全然美形ね。とてもエレガントで、小さな黒い口ひげがある。いったいいつ来たのかしら? 軽いリハーサルができるかも……ちょっとだけマントを開けてみるの。そんな衝動に駆られちゃう。ただただ私を見て、殿方。誰の横を通り過ぎてるのか、わかってないですね。こんなときに上がってきちゃうなんて気の毒ね。どうしてロビーにいないの? 見逃しちゃいますよ。一大公演を。どうして引き止めないの? 私の運命はあなたの手の中よ。挨拶するならまた引き返すのよ。だから挨拶して。こんなに優しく見つめているのに・・・ 挨拶しない。行ってしまった。振り返ってるわ。感じる。呼ぶのよ、挨拶して! 私を救って! もしかすると、私の死はあなたのせいかもしれません、殿方! ですがあなたがそれを知ることはないでしょう。住所はフィアラのまま・・・


 ここはどこ? もうロビーなの? どうやってここに来たの? 人がほとんどいないのに、知らない人がたくさん。それとも私の目がそんなに悪いの? ドルスダイはどこ? ここにいない。運命の知らせ ? 戻りたい。ドルスダイにもう一通書くの。真夜中に私の部屋で待ってます。銀行宛の電報を持ってきてください。だめ。罠とか思うかも。ありえるけど。パウルを部屋に隠れさせて、電報を渡すようリボルバーで無理やり迫ることだってできちゃう。脅迫ね。犯罪者コンビだわ。

ドルスダイはどこ? ドルスダイ、どこにいるの? もしかして私の死を悔いて自殺でもした? カジノにいそう。そうね。トランプ台にいそうね。だったらドアのところから目で合図するの。すぐに立ち上がるわ。「ここです、お嬢さん。」彼の声が響く。「少し散歩しませんか? フォン・ドルスダイ様」「お気の召すまま、エルゼ嬢。」マリアの道 を通って森に向かう。二人きり。マントを開く。五万になります。寒くて私は肺炎になって死ぬの・・・

あの婦人二人はどうして私を見てるの? 何か気づいて? 私はいったいどうしてここに? 私、狂ってる? 部屋に戻って、急いで服を着て、青いドレスね、その上に今みたいにマントを。ただし、前は開けておくの。そうしたら、さっきまで何も着てなかったなんて、誰も信じることはないはずよ・・・

戻れないわ。戻りたくもない。パウルはどこ? エマおば様はどこ? ツィッシはどこ? みんなどこにいるの? 〔裸だなんて〕誰も気づくわけないわ・・・気づけるはずないものね。こんなに見事に弾くのは誰? ショパン? 違う、シューマンね。


 こうもり みたいにふらふらロビーをさまよってる。五万! 時間がなくなっていく。あの忌まわしいフォン・ドルスダイ氏を見つけなくちゃ。ううん、部屋に戻らなくちゃ・・・ヴェロナールを飲むの。ほんの少し。そうしたらよく眠れるわ・・・仕事の後は休んだらいい・・・だけど仕事はまだ終わってない・・・もしウェイターがあっちの老紳士にブラックコーヒーを出したら、全てはうまくいく。そしてもし隅の若い夫婦に出すなら、全て失敗。なんで? だから何なの? 老紳士のところにコーヒーを運んでる。やった! 全てはうまくいく。はっ、ツィッシとパウル!

あっち、ホテルの外を行ったり来たり。とても楽しそうに話している。私の頭痛なんか特に気にしていない。ペテン師! 

・・・ツィッシの胸は私みたいに綺麗じゃない。当たり前ね、子どもがいるし・・・二人は何を話しているの? 聞こえないかしら! 二人が何を言ってたって、私に関係ある? だけどホテルの外に出ることもできた。二人にこんばんはと挨拶して、それからさらに、さらに草原を飛び越えて、森を通って、登って、よじ登って、どんどん高く、チモーネ山の頂までね。横になって、眠って、凍死することもできた。ウィーン社交界、若きレディの謎めいた自殺。黒のイブニングマントだけを身にまとった美少女が、チモーネ・デッラ・パーラの人里離れた場所で死体で発見された・・・でもたぶん、見つからないの・・・それか来年にやっと。それかもっと後。腐敗して。骸骨になって。やっぱり暖房の効いたロビーで凍死しないのがいいわ。

ところでフォン・ドルスダイ様、いったいどこにいらっしゃるの? 待たなきゃだめかしら? 私じゃなくて、あなたが探すべきよ。ちょっとカジノを覗いてみよう。いないなら、権利の放棄よ。それから手紙に書くの。「あなたは見つかりませんでした、フォン・ドルスダイ様。あなたは自発的に放棄しました。ですが、直ちに送金する義務を免れるものではありません。」お金。何のお金? 私に関係ある? お金を送るかどうかなんて、もうどうでもいい。パパがかわいそうとか、もう全然思わない。誰に対しても思わない。私自身に対しても。私のハートは死んでる。完全に動かなくなってるみたい。もうヴェロナールを飲んじゃったのかもね・・・

どうしてあのオランダ人家族は私をそうやって見るの? 何も気づかれるわけないのに。ポーターも不審な目で見てる。もしかしてまた電報が来たの? 八万? 十万? 住所はフィアラのまま。もし電報なら言うわよね。私のこと敬意を持って見てる。マントの下に何も着てないことを知らない。誰も知らない。部屋に戻る。戻る、戻る、戻る! もし階段でつまずいたら、いいネタになるわね。

三年前、ヴェルター湖で、一人の女性が全裸で泳いだ。でもその日の午後には帰ってしまった。ベルリンのオペレッタ歌手だってママが言ってた。

シューマン? うん、カーニバル 。この人の演奏は見事ね。さてトランプの部屋は、右。最後のチャンスですよ、フォン・ドルスダイ様。そこにいたら、目で合図して呼んで、言うの。真夜中にあなたのところに行きます、クズのあなた、って。……ううん、クズなんて言わない。で後で言うのよ・・・誰かがついてきてる。振り向かないわ。だめ、だめ。……


「エルゼ!」

……なんてこと、おば様だ。このまま、このまま!

「エルゼ!」

……振り向くしかないわ、仕方ない。

「あらこんばんは、おば様。」

「ええ、エルゼ、いったいどうしたの? ちょうどあなたのところまで様子を見に行こうと思っていたのよ。パウルから聞いたわ…………まぁあなた、どんな格好をしているの?」

「どんな格好でしょうか? おば様。もうすっかり元気になりました。少しですが食べましたし。」

何か気づいてる、何か気づいてる。

……「エルゼ……あなた……ストッキングを履いてないじゃない!」

「何を言っているのですか? おば様。なんてことかしら、私ストッキングを履いてません。嫌だわ……!」

「気分が悪いの? エルゼ。あなたの目……熱がありそうよ。」

「熱? ないと思うわ。人生で最悪の頭痛に襲われてただけです。」

「すぐベッドに行かないと。この子ったら、死人のように青白いわ。」

「ライトのせいですよ、おば様。このロビーではみんな青白く見えるの。」

私のこと不思議そうに見下ろしてる。何も気づくはずないわよね? 今は落ち着いて。落ち着かないと、パパがだめになる。何か話さないと。

「知ってる? おば様、今年ウィーンで何があったか。黄色と黒の靴を片方ずつ履いて通りに出たことがあったのよ。」

ひとつも真実じゃない。話し続けないと。何を言えばいいの? 

「そういえば、おば様。片頭痛の発作が起こると、その後ぼんやりしちゃうことがあるの。ママも昔そうだったのよ。」

ひとつも真実じゃない。

……「とにかく医者を呼ぶわ。」

「でも待って、おば様。ホテルには一人もいないわ。他の町から呼ぶしかないのよ。ストッキングを履いてないからって呼ばれたら、きっと笑ってしまうわ。あはっ。」

そんな大声で笑っちゃだめ。おば様の顔がぎょっとしてる。この状況を不気味に感じてるのね。目が飛び出そうになってる。

「ねぇエルゼ、パウルを見たりしてない?」

……ああ、味方を呼ぶ気ね。落ち着いて、全てがかかってるの。

「ツィッシ・モーアとホテルの前を行き来してると思います、記憶が間違ってなければ。」

「ホテルの前? 二人とも連れてくるわ。みんなでまだお茶を飲むでしょ?」

「喜んで。」

なんて間の抜けた顔。私は愛想よく無難に頷く。

行ってしまった。私は今から部屋に。ううん、部屋で何ができるっていうの? 潮時、潮時よ。五万、五万よ。どうしてこんなに急いでるの? ゆっくりと、ゆっくりと・・・私はいったい何がしたいの? あの男の名前は何? フォン・ドルスダイ氏。変な名前・・・そこがカジノだわ。ドアの前に緑のカーテン。何も見えない。私はつま先立ちになる。ホイストのゲーム。毎晩やってるわね。あっちでは紳士二人がチェスをしてる。フォン・ドルスダイ氏はいない。やった 。救われた! どうしてよ? 探し続けないと。フォン・ドルスダイ氏を一生探す定め。彼もきっと私を探してる。ずっとすれ違ってる。きっと上で私を探してる。階段で出会うのね。

オランダ人たちがまた私を見てる。本当に綺麗な娘だ。老紳士は眼鏡をかけてる。眼鏡、眼鏡・・・五万。そんなに高くないわ。五万です、フォン・ドルスダイ様。


シューマン? うん、カーニバル・・・私も学んだことがあるわ。彼女の演奏は見事。なぜ彼女? もしかして彼? 女性のヴィルトゥオーソ かも? 音楽サロンを一目見たい。


ドアはあっち。…………ドルスダイ! 

倒れちゃう。ドルスダイ! あっちの窓辺で聞いてる。どうしてそんなことができるの? 私はやつれて……狂って……死んでるのよ……その時彼は見知らぬ婦人のピアノ演奏を聞いているなんて。

あっちのディヴァン に紳士が二人座ってる。金髪の方は今日着いたばかりね。馬車から降りるのを見たわ。婦人はもう若くはない。数日前からここにいる。そんなに美しくピアノを弾くとは、知らなかったわ。


彼女は恵まれてる。全ての人間が恵まれてるわ・・・私だけが呪われてるの・・・

ドルスダイ! ドルスダイ! 本当に彼なの? 私のことは見てない。今はまともな人間に見える。聞き入ってる。五万! 今しかない。静かにドアを開けた。私はここにいます、フォン・ドルスダイ様! あ、私を見ない。目で合図を送りたいだけなの。それからマントを少し開ければ、十分。だって私は若い娘なのだから。良家のまともな若い娘なのだから。売春婦じゃないのだから・・・

消えたい。ヴェロナールを飲んで眠りたい。あなたは間違っています、フォン・ドルスダイ様。私は売春婦ではありません。さよなら、さよなら! ・・・

あっ、顔を上げてる。ここです、フォン・ドルスダイ様。なんて目をしてるの。唇が震えてる。視線がおでこに突き刺さる。マントの下が裸だなんて、気づいてない。逃げたい、逃がして! 燃えるような目つき。目が脅してくる。私に何の用? あなたはクズ。他の誰も私を見ていない。聞き入ってる。さあ、こちらへ、フォン・ドルスダイ様! 何も気づかないのですか? あちらの肘掛け椅子に……噓でしょ、肘掛け椅子に……フィルー! 天の恵みに感謝します。帰ってきた、帰ってきた! ツアーに行っただけだったのね! 今、彼は帰ってきた。ローマ人〔彫刻〕みたいな頭をした人が帰ってきた。私の花婿、私の恋人。でも私を見ていない。見てほしくもない。何が望みですか? フォン・ドルスダイ様。あなたは私を見るのね、奴隷でも見るみたいに。私はあなたの奴隷ではありません。五万! 取引は有効ですか? フォン・ドルスダイ様。私は準備ができています。ここにいますよ。全然落ち着いてる。微笑んでますよ。私の表情がわかりますか? 彼の目が言ってる。来るんだ! 彼の目が言ってる。君の裸が見たい。さあ、クズ。私は裸よ。これ以上何を望むの?電報を送りなさい・・・すぐに・・・私の肌を流れている。


婦人は演奏を続けている。私の肌をやさしく流れ落ちる。裸ってなんて素晴らしいのかしら。婦人は演奏を続ける、ここで何が起こっているのか知らずに。誰も知らない。まだ誰も私を見ていない。

フィルー、フィルー! 私は裸で立っている。ドルスダイが目を見開く。ようやく信じる。フィルーが立ち上がる。彼の目が輝く。君にはわかるのね、美しい若者。

「あはは!」

婦人はもう弾いていない。パパは助かった。五万! 住所はフィアラのまま!

「は、は、は!」

そこで笑っているのは誰? 私なの?

「は、は、は!」

周りはいったい何て顔してるの?

「は、は、は!」

私は笑ってる、馬鹿みたい。笑いたくないの、嫌なのよ。

「あは!」

「エルゼ!」

エルゼを呼ぶのは誰? パウルね。後ろにいるに違いないわ。裸の背中に風を感じる。耳の中で鳴り響く。もしかして私もう死んでる? 何をお望みですか? フォン・ドルスダイ様。なぜそんなに巨大で、私に襲いかかってくるのです?

「は、は、は!」


 私はいったい何をしたの? 私は何をしたの? 私は何をしたの? 私は倒れている。全部終わった。どうしてもう音楽がないの? 首に腕が巻き付く。パウルだわ。フィルーはどこなの? 私は横たわってる・・・

「は、は、は!」

マントが上から落ちてくる。そうして私は横たわっている。みんなは私が気絶してると思ってる。いいえ、気絶してないの。意識ははっきりしてる。私は百回目覚めている。私は千回目覚めている。ずっと笑うしかない。

「は、は、は!」

今あなたの望みは叶いました、フォン・ドルスダイ様。あなたはパパのために送金しなくてはいけません。すぐに。

「はあぁぁぁ!」

叫びたくなんかないのに。ずっと叫ぶしかない。なぜ叫ばなくちゃいけないの。……私の目は閉じてる。誰にも見えない。パパは助かった。

「エルゼ!」

……おば様ね。

「エルゼ!エルゼ!」

「医者、医者を!」

「急いでポーターのところに!」

「いったい何があった?」

「そんなはずない。」

「哀れな子。」

……みんないったい何の話をしているの? いったい何をブツブツ言ってるの? 私は哀れな子じゃないわ。幸せよ。フィルーが裸を見た。あぁとても恥ずかしい。私は何をしたの? もう二度と目は開けない。

「お願い、ドアを閉めて。」

……なぜドアを閉める必要が? なんてざわめいてるの。周りに千人いる。みんな私が気絶してると思ってる。気絶してないの。ただ夢を見ているだけ。

「落ち着いて、奥様。」

「もう医者は呼ばれたのです?」

「気絶したんです。」

……みんなとても遠くにいるわ。みんなチモーネ山の上から話してる。

「床に寝かせておくわけにはいかないでしょう。」

「ここにプレイド が。」

「毛布を。」

「毛布かプレイドかなんてどうでもいいでしょう。」

「どうか静かに。」

「ディヴァンの上に。」

「お願い、いい加減ドアを閉めて。」

「そんなに苛立たないでください、閉まってますから。」

「エルゼ!エルゼ!」

……もうおば様が黙ってくれさえしたら! 

……「聞こえる? エルゼ。」

「気絶してるのが見えるでしょう、ママ。」

……そうね、ありがたいことに、みんなからすれば私は気絶している。それで私も気絶したままでいる。

……「部屋に連れて行かなければ。」

「いったい何が起こったの? なんてこと!」

……ツィッシ。ツィッシはいったいどうやって草原に来たのかしら。ああ草原じゃないわ。

「エルゼ!」

「静かにしてください。」

「どうか少し後ろに下がって。」

……手。私の下に手が。何がしたいの? 私ってなんて重いの。パウルの手。どいて、どいて。フィルーが近くにいる、そんな気がするの。そしてドルスダイはいない。探さなきゃ。五万を送金する前に自殺なんかさせちゃだめ。皆様方、彼は私に借金があります。逮捕してください。

「パウル、あの電報が誰からだったのか、心当たりはあるの?」

「皆様、こんばんは。」

「エルゼ、聞こえる?」

「そっとしておいてあげて、ツィッシ夫人。」

「あらパウル。」

「支配人が言うには、お医者様がいらっしゃるまで四時間ほどかかるかもしれないそうです。」

「彼女、まるで眠っているようだわ。」

私はディヴァンに横たわっている。パウルが手を握って脈を測ってる。そうね、彼は医者だもの。

「危険な状態というわけではないよ、ママ。ただの……発作だね。」

「もう一日もホテルには泊まらないわ。」

「お願いだから、ママ。」

――「明日の朝早くに出発よ。」

「ですが、使用人の階段を使ってください。担架がすぐに参りますので。」

……担架? 今日はもう担架で寝てなかった? 私もう死んでなかった? また死ななくちゃいけないの?

「支配人さん、どうかちゃんとあの方たちをドアからどかしていただけませんか。」

「そんなに興奮しないでよ、ママ。」

「あの方たち、本当に無神経だわ。」

……どうしてみんなひそひそ話しているの? まるで死人の部屋。もうすぐ担架が来る。門を開けなさい、マタドール様!

「廊下には誰もいないよ。」

「皆さんもう少し配慮があってもよさそうなものなのに。」

「お願いだから、ママ、落ち着いて。」

「奥様、どうか。」

「ツィッシ夫人、少し母のそばにいてやってもらえないかな?」

……パウルの愛人だけど、私ほど綺麗じゃないわ。今度は何? いったい何? 担架が運ばれてくる。目を閉じてても見えるわ。あれは、事故に遭った人を運ぶ担架ね。チモーネ山から滑落したジグモンディ医師も、あの担架に乗ってた。それで今は私が乗ることになる。私も滑落したのよ。

「はっ!」

だめ、もう二度と叫びたくない。ひそひそ話してる。頭の上でかがんでるのは誰? タバコのいい匂いがする。その手が私の頭の下にある。手が背中の下に、手が脚の下に。どいて、どいて。裸なんだから。うぇ、うぅ。いったい何がしたいの? ほっといて。パパのためにしただけよ。

「気をつけて、そう、ゆっくり。」

「プレイドは?」

「ああ、ありがとうツィッシ夫人。」

……なぜ礼を言うの? 彼女がいったい何をしたの? 私に何が起こっているの? 

ああ、いい、いいわね。浮いてる。浮いてる。向こう側まで浮いてる。運ばれて、運ばれて、お墓まで運ばれる。

「でも先生、私は慣れてますよ。もっと重い人がその上に乗ったこともあります。去年の秋には同時に二人が。」

「しっ。」

「ツィッシ夫人、先に行って、エルゼの部屋が問題ないか見てくれると助かる。」

……ツィッシが私の部屋で何をするの? ヴェロナール、ヴェロナール! それさえ捨てないでくれたら。もし捨てられたら、やっぱり窓から身を投げるしかないわ。

「どうもありがとう、支配人さん。それ以上お気遣いいただかなくて大丈夫です。」

「後ほどまたお伺いさせていただきます。」

……階段がきしむ。担ぎ手たちは重い登山靴を履いてる。私のエナメル靴はどこ? 音楽室に置いてきた。盗まれちゃう。アガーテに遺贈するつもりだったのに。フレートは万年筆を受け取るの。

運ばれる、運ばれる。葬列。殺人犯のドルスダイはどこ? もういない。フィルーもいない。また放浪の旅に出た。私の白い胸を見るためだけに戻ってきたのね。そうして今、またいなくなった。彼は岩と奈落の間のめまいがするような道を歩いてるの。

……さようなら、さようなら。

……私は浮かぶ、私は浮かぶ。

このまま、もっともっと、屋上まで、天国まで運ばれるのよ。


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【訳注】


郵便局 Post: 当時電報送信は、主に電話局や電報局といった公衆機関で行われていた。これらの場所には電報を打つための専用の機械(電信機)が設置されていて、誰でも利用できる状態だった。

破廉恥 schamlos: 恥知らず。もし彼女の行動が「狂気」の産物だと見なされれば、それは意志や主体性が失われた状態、つまり単に「壊れてしまった」と解釈されることを意味する。エルゼはそれを最も嫌っている。

一方で、「破廉恥(恥知らず)」と見なされることは、社会的な規範や羞恥心を意図的に、意識的に踏みにじる行為と言える。そこには彼女の「意志」が介在する。

つまり彼女は、自分の行動が狂気によるものではなく、計算された、あるいは決然とした「恥知らずな」挑戦であると人々に認識させたいのだと思われる。

また、社会的な「恥」を捨てることは、既存の価値観からの解放であり、絶望的な状況下で彼女が手にできる(と錯覚している)数少ない「力」の表現なのかもしれない。「私は狂ったのではなく、あえて恥を捨てたのだ」、と。とはいえ、「恥を捨てただけ」だと、このエルゼの攻撃性や挑発性、あるいは社会規範への挑戦といった側面が少し薄れてしまう。彼女は単に「恥を乗り越えた」というよりは、もっと積極的に「恥知らずであることを選んでいる」というニュアンスになるだろう。

悪女 Kanaille: カナイユ。悪党、ならず者、下劣な人間(フランス語)。

懇願するように flehentlich: 電報では「懇願する(flehentliche Bitte)」だが、ここでは「e」がない。この場合、「flehentlich」は副詞として動詞「Wiederhole(繰り返す)」を修飾していると解釈できる。エルゼの心の中では、母親からのメッセージが「ドルスダイと話してほしいという懇願」から、さらに純化され、悲痛な「懇願するような叫びそのもの」として刻み込まれているのだと解釈できる。

時間はある 無意識的に時間を引き延ばし、現実のプレッシャーから一時的に逃避しようとしている心理の表れか。

いつだって immer: いつも、常に。他の全ての人間関係や社会的な現実が夢のように曖昧で不確かなものに感じられる中で、この「送金先」という冷酷な事実は、彼女がどんな精神状態にあろうとも(夢うつつであろうと、厳しい現実に直面していようと)「いつも変わらず」彼女の前に立ちはだかっている。

また、彼女がどれだけ異常な行動をとろうとも、どれだけ現実から遊離した精神状態になろうとも、最終的に向き合わなければならない「父の借金問題の解決」という目的地の「不変性」を示唆しているとも言える。彼女の運命の終着点(あるいは通過点)が常にそこにある、という諦観である。

ゲス Schmutzian: シュムッツィアン。汚い奴、卑劣な奴、といった意味の俗語。

もっとスマート etwas Gescheiteres: 何かよりマシなこと、賢明なこと。彼女がこれからやろうとしていることは、たとえそれが社会的に見てどれほど破滅的で「賢明」とは言えない行動であっても、彼女にとっては「死ぬよりはマシ」で、かつ「何かを成し遂げる(ドルスダイを出し抜き、父を救うという歪んだ目的を果たす)」ための、より「積極的」で「気の利いた」行動だと感じられているのだと思われる。


皮肉と自己欺瞞の可能性:

「gescheit(賢明な)」という言葉の選択自体に、エルゼ特有の皮肉が込められている可能性もあります。彼女がこれからやろうとしていることは、客観的に見れば決して「賢明」とは言えません。しかし、追い詰められた彼女にとっては、それが「死」という選択肢よりも「マシ」で、ある種の「才気ある」反抗だと感じられているのかもしれません。自己欺瞞に近い心理状態とも言えます。


行動への衝動:

「死ぬよりマシなことがある」という認識は、彼女を具体的な行動へと駆り立てます。それは、絶望の中で見出した、歪んだ形ではありますが、ある種の「目的」です。

敬意 Respekt: エルゼにとって、自殺は軽々しい行為ではなく、非常に重大な決断である。もし彼女がクズたちのせいで(あるいはクズたちへの抗議として)死を選ぶならば、それは彼女の死に「クズたち」が大きな影響を与えたことを認めることになり、ある意味で彼らを「彼女の死に値するほど重要な存在」としてしまうことになる。

ここでの「敬意」は皮肉であろう。彼女は決して彼らを尊敬してなどいない。むしろ「自分が死ぬことで、相手に『そこまでの存在価値がある』と思わせてたまるか」という、逆説的な意味での「敬意(を払う価値がない)」なのだと思われる。

さようなら、エルゼ これは古い自己、「令嬢エルゼ」との決別を意味する。そして次に新たな自己(マント姿の自分)を美的に肯定する。さらには自己の行為を歴史的・芸術的に正当化しようとさえしている。これらは同時に、彼女の深い不安や罪悪感の裏返しであるとも考えられる。あまりにも過激な行動だからこそ、それを高尚なものとして捉え直す必要があったのかもしれない。

からかってる 手紙を置いたという行為は、必ずしもドルスダイへの完全な屈服を意味するのではなく、まだ自分には彼を「馬鹿にする(zum Narren halten)」つまり「からかう」「手玉に取る」「出し抜く」余地があるのだ、という強がりや自己欺瞞を表している。あるいは、手紙を置いたこと自体が、最終的に彼を出し抜くための戦略の一環なのだ、という(歪んだ)自己正当化を示しているのだろう。

運命の知らせ ein Wink des Schicksals: 「これはもしかしたら、運命が『やめておけ』と私に合図しているのではないか?」という考えがよぎっている。計画の困難さや恐ろしさから逃れたいという無意識の願望の表れかもしれないし、あるいは計画を中断するための都合の良い口実を探している心理とも取れる。

マリアの道 Marienweg: 聖母マリアにちなんだ名前の道か、あるいは単なる道の名。

こうもり Fledermaus: ヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ『こうもり』を連想させるかもしれない。もしそうなら、エルゼの置かれた絶望的で悲劇的な状況と、オペレッタの持つ陽気さとの間に強烈なアイロニーが生じる。

カーニバル Karneval: 謝肉祭。シューマンのピアノ曲集『謝肉祭』作品9。

やった Viktoria: ヴィクトリア。勝利(の女神)。やった、うまくいった、といった感嘆詞。

楽譜1 原著に掲載された楽譜とは版が異なるため一部異なるが、該当箇所を画像とした。具体的には「カーニバル Op.9」の「フロレスタン (Florestan)」十九~二十四小節と思われる(https://www.schnitzler-edition.net/Lesetext/ELS/29 )。他の二つも楽譜画像の出展は同じ(https://musopen.org/ja/music/2280-carnaval-op-9/ )。(底本はProjekt Gutenberg-DEのものだが、提供するデジタル化された形式やコレクションに対する権利を主張しているため、画像を差し替えている。)

ヴィルトゥオーソ Virtuosin: 女性のヴィルトゥオーソ(イタリア語)。達人。

ディヴァン Divan: 背もたれや肘掛けがない、ソファの一種。

楽譜2 「フロレスタン (Florestan)」三十九~四十三小節と思われる。(同上)

楽譜3 「めぐりあい (Reconnaissance)」一~八小節と思われる。(同上)

プレイド Plaid: 格子縞の毛布、肩掛け。

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