第14話 下品でごめんなさい
「谷藤、そろそろいいだろ。中身どうだった?」
便箋を前にして短歌の解釈にしばらく悩んでいた俺に塾長が痺れを切らして聞いてきた。
「ひどいっすよ、やっぱりあいつはひどいやつだ。わざわざこんな手の込んだ嫌がらせをするなんて」
俺は少し憤りながら言った。
「何が書いてあったんだ? 見てもいいか?」
塾長が聞いてくる。
「いいっすよ」
こんな悪口なら見られても構わない。俺はぞんざいに便箋を塾長に渡す。
「どれどれ、なんだこれ? 短歌なのか」
「僕にも見せてくださいよ」
「俺様にも」
神崎先輩と中島先輩も塾長の手にした便箋を覗き込む。3人ともしばらく内容を把握しようとしていた。
少し経って、
「えっ、谷藤これって……」
塾長が言いかけた時に「ピーンポーン」、塾の呼び鈴がなった。
適塾はマンションの一室を改造して塾にしている。部屋の壁を全部取っ払って広いワンルームにしていて、そこに適当に机と椅子が並んでいる。周りが気になる生徒向けに移動できるパーテーションがいくつかあり、部屋の一角にはコタツまである畳敷のスペースや立って勉強できるスペースもある。とにかく自分の居心地のいいように自由に勉強できる。
塾生は勝手に塾の中に入ってくるので、呼び鈴が鳴ると言うことは初めて来る人か荷物のお届けなどだ。
「あ、忘れてた。今日は見学の人が来るんだった。あれっ? 確か苗字が……。いやまさかな」
勉強以外のことはとにかくすぐ忘れてしまう塾長だ。こっちが悪いことをして怒ってもすぐ忘れてくれるので付き合いやすいと言えば付き合いやすい。塾長はあわてて便箋を畳んで机の上に置き、みんなに向かって言った。
「おいっ、みんな、とにかく真面目ぶって勉強してるんだぞ! 特に中島! 前みたいなことやったら許さないからな!」
中島先輩が小学生の時に、見学の人がいる前で「この木なんの木ウンコの木」と言う替え歌を熱唱したのは適塾の伝説になっている。しかも何度止めても歌い続けたらしい。「あんなドン引きしている人の顔初めて見たよ」と塾長が言う。その時見学に来ていた母娘が2人とも、ものすごい引いた顔をしていたそうだ。当然そのあと入塾するわけがない。よっぽど頭に来たのだろう。6年ぐらい経った今でもこの忘れっぽい塾長がたびたび言う。
中島先輩が言うには「愉快な塾だと宣伝してあげてるのに、なんで止めるのかわからなかった」だそうだ。愉快すぎるだろ!
「ゲヘッ、まだ言うのかよー、さすがにやらないよ」
不服そうに中島先輩が言う。
「中島ならやりかねないですからね」
神崎先輩が言う。確かに!
「そんなに言うならやってやろうかな」
少しムキになった中島先輩が言う。
「この木なんの木、無期懲役ィー」
入り口に向かいながら塾長が中島先輩に言う。
塾長が玄関のドアを開ける。そこには一人の制服を着た少女が立っていた。
「見学を予約した今野です」
「お待ちしていました。ここで靴を脱いで中にどうぞ」
見学者がいることを忘れていたそぶりなど微塵も見せずに、塾長が丁寧に言う。
ん!? 今、「今野」って言わなかったか? まっ、まさかな。
「父の友人の紹介で来ました。今日はよろしくお願いします」
少女が丁寧に言う。おしとやかで真面目そうな声だ。玄関付近にいるのでまだ顔は見えない。俺の知っている今野ではないのか? しかし、次の瞬間。
「ゲッ、テメェ谷藤! なんでこんなとこいるんだよ!」
塾の中に入ってきたいつもの口調の少女が俺に向かって言う。
「うわっ、お前こそ! なんでよりによってここに」
普段かけていないメガネをかけて、制服もちゃんと着ていて真面目そうだが、やっぱり俺の知っている今野だった。
「えっ、やっぱ君たち知り合いなの? 今野ってあの今野さん?!」
おしとやかから豹変した少女を前に塾長が動揺して言う。
「『あの今野さん?』、谷藤さん、あなたなにか余計なことおっしゃってないでしょうね?」
塾長には答えずにどこかのお嬢様のような口調で俺に向かって言う。知らない人たちの前だからかおしとやかに戻って丁寧すぎる口調だ。なんか怖いぞ。
「言ってない言ってない。事実しか言ってないぞ」
今野の丁寧語の静かな迫力に押された俺は動揺して答えた。うんっ、俺は事実しか言ってない。
「ゲヘッ、谷藤、この子もしかしてあのさっき言ってたパンツの子か?」
中島先輩が小声で聞いてくる。小声のつもりみたいですけど、絶対聞こえてますよ!
中島先輩はとにかく声がでかい。今野にもおそらく聞こえてしまった。これは気まずい……。さらに気まずいことに中島先輩はさっきの薄い桃色の便箋を手にしていた。気づかれたらやばい。気づかないでくれ! しかし、俺の願いも虚しく今野は中島先輩が手にしているものに気がついてしまったようだ。
「テ、テメェ、谷藤、あれ私の手紙じゃね? 一人で見ろってあんなに、あんなに言っただろーが!」
あまりの怒りで丁寧語も忘れた今野が俺に向かって言う。はい、あなたおっしゃってました! あんな内容の手紙ではあったが、俺は申し訳なく思った。なんて言い訳をしようかと思った時、意外なところから助け舟が入った。
「こ、今野さん。あれはですね。谷藤君は隠してたんですけど、あそこのゲヒゲヒ言ってるデリカシーゼロの中島君が無理矢理取っちゃったんですよ。だから谷藤君は悪くないんです」
なぜか塾長が俺を庇った。
「ゲヒッ、俺そんなことしてねーよ!」
中島先輩が当然の反論をする。
「あいつは嘘つきで下品なだけで悪いやつじゃないんです。ただただ下品なだけなんです。幸い中身はまだ見てないようなので、許してあげてもらえませんか」
中島先輩は無視して塾長が今野に言う。
不幸中の幸い、便箋は畳まれていたので、中身はまだ見てないということにできそうだ。本当はみんな中身も見てしまっているが、見てないことにした方が良いだろう。中島先輩には申し訳ないが、俺は塾長に感謝した。
「許すも何も……。そういうことなら別に私は何もないです……」
怒りを収めた今野が気まずそうにいう。周りは俺以外初めて会った人ばかりでこの状況だ。こんな気まずいことがあるだろうか。俺は今野に少し同情した。
「良かったな中島、許してくれるって」
塾長が中島先輩に言う。
「ゲヒッ、ゲヒッ、下品でごめんなさい」
なぜか中島先輩が顔を真っ赤にして素直に謝る。こんな冤罪で謝る必要ないのに。俺がみんなに手紙を見せてしまったことが原因であることも忘れて、俺は思った。
もしかして中島先輩、可愛い女の子には弱いのか?
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