『藤の枷』

無名人

序章『藤の枷』


 今となっては昔の話だ。吹雪の夜に、一人の母親が息子を抱えて歩いていた。母親と息子の顔や身体にはあざがあり、服はところどころ破れていた。着の身着のまま、どこかから逃げて来たのだろうか。母親の顔は余裕がない様子だった。

 二人は小さな診療所に辿り着いた。扉を叩くと、中から白衣を来た若い男が姿を見せた。男は、この町の医者だった。

「お願いです、この子を助けてください。お金は持っていませんが、なんでもします」

母親は、息子を医者に見せた。吹雪の中にずっといたせいか、息子はぐったりしていた。医者は、母親から息子を取り上げ、ベッドに寝かせた。

「分かりました。その代わり、私の言う事は絶対ですよ」

母親は頷いた。

 それから、母親は医者の手伝いをしながら、息子の治療を見守った。それは一週間続いた。


 医者の治療の甲斐があって、息子は回復した。元気になった息子を見て、母親の顔は明るくなる。

「お医者様、ありがとうごさいました」

母親は頭を下げて、息子を連れて診療所からでようとした。すると、医者は母親の腕を掴んだ。

「お代はまだ払っていませんからね、まだ帰す訳にはいきませんよ」

医者は、母親を無理やり引っ張り、 奥の実験室に連れて行った。


 それから、どのくらい経ったのだろうか。母親は実験室のベッドで目を覚ました。手を見ると、青黒くなっていて、明らかに様子がおかしいと分かった。

 母親が起きたのに気づいたのか、医者が実験室に姿を見せた。手や白衣は血で赤く染まっている。寝ている間に何をされてのだろう。恐ろしさの余り身体が震えた。

「私に何をしたのですか?」

「あなたの身体を少々いじらせてもらいましたよ」

母親は、実験室にある鏡を見た。母親の身体は、青黒く染まっていた。それから、眼球は飛び出ている。

「あなただけではありません。息子さんの方も弄らせていただきました」

医者は息子を母親の前に連れてきた。息子も、母親と同じように、身体が青黒くなっていた。それから、白目が黒くなっている。

「どうしてこんな事を…」

「何でもすると言ったのはあなた達でしょう?」

医師はそう言って微笑んだが、明らかに目は笑っていなかった。

 それから、再び人体実験しようと、医師は腕を掴んだが、母親はそれを振り払った。そして、診療所から出ていった。


 母親と息子は、人里に出て助けを求めた。ところが、医師の人体実験のせいで化物の姿になった二人を、助ける者は居なかった。二人は何十年と彷徨い歩いた。どれだけ時が経とうと、二人は老いる事も、死ぬ事も許されなかった。不死身というかせを着けられた二人は、人ならざる者として生きるしかなかった。

 

 しばらくして、二人は離れ離れになった。吹雪の中で、母親は息子の手を離してしまった。

 一人になった母親は、今も息子を探して彷徨っているとされている。


 

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