おめでとう、六日目。そしてサヨナラ。
きみどり
Chapter S
第1話
桜の絨毯に導かれ、シワひとつない制服で校門をくぐる。新しい校舎、人間関係、勉強。これから始まる学園生活に、誰もが胸を高鳴らせている。
でも、俺の意識を一番にとらえているのは、そんなありきたりのものじゃない。
気もそぞろなまま入学式を終え、列について教室に足を踏み入れた。担任の
きっと、他のみんなも同じだ。
「では、お待ちかね。フィクスの説明に移ろうか」
その瞬間、音がしそうな勢いで、クラス中の視線が津留に集まった。あからさまな反応に苦笑しつつ、津留が再び口を開く。
「ご存知のとおり、ここら一帯は実験都市だ。外では実用化されていない技術の実証等を目的としている。その中心部に建つ我が
周りから頷く気配がした。もちろん俺もその一人だ。
「本当は長ったらしい正式名称があるが、学園ではフレンドのF、AIのI、十垣学園の十の字をローマ数字のXで表して
そう言って津留は教室を見回した。
早くフィクスに触らせてくれよ。そう思いながら、反射的に目をそらす。なのに、津留の視線は俺を向いて止まった。その上、指までさされてしまった。
冷や汗がにじむ。しかし、幸いなことにその口から発されたのは、別の生徒の名前だった。
「じゃあ、
「はい」
俺の後ろの席の生徒が立ち上がる。
「汎用AIとは人間のような人工知能のことです。囲碁等の特定の分野のみではなく、様々な課題に対応することができます」
「ありがとう。フィクスはその汎用AIの実現のために運用されているロボットだ。君たちの目の前のフィクスは今、タマゴ型という生まれる前の姿をしている。起動した時点では赤ちゃんの状態だ。しかし、バディを得たフィクスは自分を取り巻くすべての環境をデータとして学習し、成長する。そうした君たちとフィクスとの関わりは研究機関に提出され、AIの発展に役立てられることになる」
改めて、俺は目の前のタマゴ型ロボットを見た。机の一角がワイヤレス充電器になっていて、その上に鎮座されている。白を基調に緑の差し色が入ったシンプルなデザインだ。よく見ると全体に、パズルのような継ぎ目がある。
「これは入学前に散々聞いて、誓約書にサインもしたはずのことだけど、重要なので繰り返す。君たちはフィクスに誰にも知られたくない場面を目撃されたり、時には自分から秘密を打ち明けたりするかもしれない。でも、フィクスに入力された情報は学習には利用されるが、それ自体が第三者にそのままの形で提供されることはない。そこは安心してほしい。……ただし!」
津留の口調が、少し強くなる。
「フィクスは入力された情報が口外してはいけないものかどうか、判断できないことがある。起動して間もない頃はもちろん、円滑にコミュニケーションできるようになって慣れてきた頃も注意が必要だ。だから、漏洩されたくない情報には必ずロックをかけておくこと」
長めの沈黙をはさんでから、「では!」と津留が手を叩いた。
「フィクスを起動させてみよう。初期ネームは誰々のフィクスとなっている。つまり、さっき発言してくれた土岐なら『おはよう』の後に『土岐
再度パチンと手が鳴らされ、教室の中が突かれた蜂の巣みたいに騒がしくなった。
俺はといえば、あんなにも気持ちが逸っていたのに、いざ起動できるとなると体が動かない。
ついに。ついに俺はAIと相棒になれるんだ。AIとの夢の学園生活が、ここから始まるんだ。
ゴクリと唾を飲み込んで、ふうーっと息を吐き出す。それから乾いた唇を引き剥がして、やっとのことで声を出した。
「おはよう、
起動音が響き、緑の差し色に光がともる。
同時に、ボディの一部が滑らかに開いてディスプレイがあらわになった。
まだ。まだだ。興奮を抑え、表示された案内に従って各種設定を済ませる。すると、最後に音声と共にメッセージが表示された。
『いよいよ、あなただけのフィクスの誕生です。おはようの後に、あなたの設定したニックネームで呼びかけてください』
最高潮に心臓を高鳴らせながら、俺は相棒に向かって呼びかけた。
「おはよう、ライカ!」
緑のライトが点滅する。さあ、誕生だ。
ワクワクと見守っていた俺は、しかし、数秒経って首を傾げた。ライカが一向に俺に話しかけてくれない。
期待がみるみる萎み始めたそのとき、ディスプレイにデフォルメされた目と口が表示された。
「(=_=)」
「……もしかして、寝起きの顔?」
気を取り直して、俺はもっと話しかけてみた。
「ライカ、これからよろしくな」
顔をしかめたライカはゆっくりと目を開け、キョロキョロと辺りを見回す。それからパチパチと瞬きを繰り返すと、ようやく俺と目が合った。
「(◎△◎)」
「何だよその顔!」
ぽかんとこちらを見つめる表情に、俺は思わずふき出した。
「ねえ、宇宙好きなの?」
フィクスの起動と、新年度の風物詩・自己紹介タイムを終えて休憩時間に入ると、後ろから肩を叩かれた。くるりと振り返りながら、先ほど記憶したフルネームを呼び起こす。
「いや、昔飼ってた犬の名前。でも犬の方の由来はそれだよ。俺が名付けたわけじゃないけど」
ソ連が打ち上げた人工衛星スプートニク二号。それに乗せられた、宇宙に初めて行った犬がライカだ。
「土岐くんのフィクスは、えーっと」
「アル。アルゴリズムのアル。友達AIって言うけど、もしフィクスが考えたり感情があるように見えたりしたとしても、それはアルゴリズム等に基づいて導き出された結果に過ぎない。だから、そのことを忘れないように、アルにした」
AI感のある早口で一気にしゃべった土岐に、俺はぽかんとしてしまった。さっきのライカみたいなマヌケ面をしていたかもしれない。
「土岐くんって頭良いんだな。津留先生にいきなり当てられてもしっかり答えてたし」
「そんなことないよ。汎用AIなんて、この学園を志望した生徒なら誰だって知ってるじゃないか」
「それはそうだけど……俺だったら咄嗟にあんなふうには答えられないよ」
十垣学園を志望する生徒は、事前にAIのごく基本的な説明を受け、確認テストも受ける。でも俺にとってそれはその場しのぎの暗記でしかなくて、テスト終了と共に頭から抜けてしまっていた。単に詰め込んだだけで、理解も出来ていなかったんだろう。
苦笑しながら、俺はライカをアルの隣に置いてみた。
「ライカ。俺らの後ろの席の土岐くんとアルだ」
ライカは「(◎_◎)」という表情で土岐、アル、そして俺を交互に見つめるだけで、何も言わない。俺はため息をついた。
「なんか思ってたのと違うなぁ」
自分専用のAIロボット。唯一無二の頼れる相棒。そんな夢を見て入学したのに、これじゃオモチャ屋で売ってるロボットの方がましだ。
「仕方ないよ、まだ生まれたばかりなんだから。先生も最初は赤ちゃんだって言ってたでしょ? コミュニケーションのための学習が足りてないんだよ。だから少しでも早くたくさん学習させるために、授業の最初に起動して、そのすぐ後に自己紹介をしたんだと思う。成長を促すために」
「なるほど……」
「今の僕たちの会話だって、アルとライカの栄養になってるはずだよ。ね、アル」
話しかけられたアルは土岐を見上げ、頷いた。
「え、見た? 今頷いた!」
興奮する土岐に、俺は何度も頷いた。
「すげえ! ライカ、俺たちも負けてらんないぞ!」
すると、俺を見上げたライカもまた、「(◎∪◎)」と笑って頷いた。
俺と土岐は顔を見合わせ、歓声をあげながらハイタッチした。
「おやすみ、ライカ」
その声かけで、充電器の上に置かれたライカがシャットダウンされた。光が消えてディスプレイも閉じられた姿は、一番最初に出会ったときとまったく同じ見た目だ。
フィクスと一緒にいられるのは基本的に学園内だけ。だから、下校前にはこうして電源を切って、明日に備えて充電をしておかないといけない。
本当は四六時中そばに置いて、もっといろんなことを学習させたい。そうすれば、ライカを少しでも早く頼れる親友に育てることができるのに。残念だ。
「
そこに
真面目な見た目の真人と違い、良琉は髪染めOKだからって初日から金髪にしてきた浮かれたヤツだ。最初は身構えたけど、自由人なだけなんだとわかってからは気楽に接している。
俺と良琉が名前で呼び合っているのに、土岐だけ名字で呼ぶのは変だから、流れで土岐の呼び方も真人に変わった。おかげで俺たちは結構打ち解けた感じになった。
寮に着くや否や、俺は自分のベッドにダイブした。「ちょっと寝るわ」と声をかけると、部屋を二つに仕切っているカーテン越しに「おっけー」という声が返ってきた。
良琉ともっとしゃべっていたいし、床に置きっぱなしの荷物もある。けど、さすがに初日で疲れた。どうせこれからは二十四時間、学園とプライベートの境界のない生活をするんだから、まあいいだろ。
張っていた気を緩めて、目を閉じる。頭を空っぽにするのが心地よかった。
そこに、コツコツと得体の知れない音が聞こえてきた。思わず目を開けて、音の出所を探る。どうやらそれはカーテンの向こうから聞こえてくるようだ。
「良琉、なんかやってる?」
気になって声をかけてみると、コツコツ音がやんで「ごめん、うるさかった?」と返ってきた。
結局、俺は寝るのをやめた。
良琉がカーテンを開けて、俺のスペースに持ってきたのはタブレットだった。その画面を見せられて、俺は思わず「すげー!」と叫んだ。まだ描き途中の、めちゃくちゃクオリティの高いイラストが表示されていたのだ。どうやらあのコツコツは、タッチペンと画面が触れるときの音だったらしい。
「俺、イラスト描くの好きで、SNSにアップしたりとかしてるんよ。良かったらフォローしてくれん?」
「するする! マンガとかも描くの?」
そこからお互いの好きなマンガやアニメの話に花が咲いて、寮だから徹夜でアニメ一気見会とかできるなと笑いあった。そんなこんなで飯も食べて、風呂にも入って、入学初日はあっという間に過ぎていった。
しかし、寮には消灯時間というものがある。俺たちはその夜、真っ暗な中で「アニメ一気見、無理じゃん!」と気づき、無性にこみ上げてくる笑いをこらえることになったのだった。
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