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佑々木(うさぎ)

第1話

 明るい店内に家族連れの声が響いている。

 奥の方では、ぐずって泣いている子供もいた。

 ドリンクバーの前には学生たちが集まり、何やらおかしげなドリンクを作っている。


 いつもと変わらないファミレスの風景だ。

 そんな場所で、黒井は言った。


「一緒に暮らさないか?」


 まるで頭上で稲光が起きたかのように、目がチカチカする。

 何を言われたのか何度も反芻し、自分の聞き間違いではないことを確かめる。


 オレはまだ仕事が残っていて、食後は会社に戻って後輩と一緒に資料を作る予定だ。

 あまり時間はないし、眠気払いと疲労回復と癒しを求めて、このファミレスに来た。

 そんな時に、こんな場所で言い出すような話なのか?


 オレの回答を待っている黒井を、しばらく呆然と見つめてしまう。


 オレと黒井は、同じ総務課に所属している。

 普段オレは資料作成を担当し、向こうは役員会の手配をしたり、議事録をまとめたりする仕事に当たっている。フロアは同じだが、部屋は別だ。


 お互い夜遅くまで仕事をすることが多く、同期入社と言うことで気心も知れているため、よくこうして食事をしている。休みの日も、映画を見に行くこともたまにあったが、だからって何でいきなり暮らす話になるのか。


「オレとルームシェアしたいってことか?」

「そうだ。家賃が高すぎるし、今の部屋よりもうちょっと広いところを借りたいんだ」


 だから、オレと暮らすって?

 思わず額に手をやって溜息を吐いてしまう。

 そのオレの様子をどう捉えたのか、黒井は訊ねてきた。


「もしかして、航希は汚部屋系なのか?」

「別に、そんな汚くはしないよ」


 むしろ、黒井の方が汚部屋じゃないんだろうか。

 いや、今はそれはどうだっていい。

 問題は、そこじゃない。


 オレはちらりと周囲を窺う。

 幸い、今はそれほど店内は混んでいない。

 周りの席に客はいないし、適度に賑やかで盗み聞きされる心配もない。

 

 向かいの席で答えを待っている黒井に、オレはもう一度目を向けた。

 誤魔化す方法はいくらでもある。

 だが、そろそろ答えを出してしまった方がいい。

 このまま不毛な関係を続けるのは、オレには辛すぎる。


「あのさ──」


 さあ、どう言おうかと考えているオレを、黒井はじっと見つめてくる。

 目も逸らさず、黒眼がちな瞳で凝視されて、考えずにもうそのまま言うことにした。


「お前は、オレのことを友人だと思っているかもだけど、オレは違うんだ」


 すると、いつもは表情筋を使うことのない黒井が眉を上げ、目を見開いて固まった。

 それはそうだろう。友人だと思っていた相手が、自分をそういう目で見ていたんだ。

 ノンケなら引いて当然だ。


 黒井は目を伏せて考え込み、やがて覇気のない声で訊いてきた。


「俺のことが、嫌いってことか?」


 鈍いにもほどがある。

 オレは隠さず言わなければいけないのかと、黒井を睨みつけた。


「好きだよ、すっげー好き。もうほんと、おかしくなるくらい好きなんだよ! だから、二人でなんて暮らせない」


 ここまで言えば、さすがの黒井にだって伝わる。

 オレは黒井から目を逸らし、すっかり冷めてしまったコーヒーを飲んだ。

 まだ晩飯を食べ切ってはいなかったが、気まずいこともあり、金を払って出て行こうと考えていた。伝票に手を伸ばし、立ち上がろうとした、まさにその時だ。


「わかった。なら、まずは新しく家を借りる前に、二人で暮らしてみよう」

「バ……っ! お前、オレの話を聞いていたのかよ!?」


 オレは、今いる場所も忘れて、感情のままに大きな声で突っ込んでしまう。

 好きだから一緒には暮らせない。

 それがどういう意味か、わからないほど黒井は疎いのか?

 顔を顰めて黒井の反応を待っていると、真面目くさった顔で言う。


「もしかしたら、上手くいくかもしれないだろう。この際、しっかりお互いを知るべきじゃないのか?」

「この際?」


 それは、黒井もオレの感情を受け入れる可能性があるということか?

 二人で暮らしていくうちに、恋愛対象として見てみる。

 そういう意味なんだろうか。

 オレはぐるぐると頭の中で考えるだけで、何も言葉が出てこなかった。


 そんなオレを置いて、黒井は続けて言う。


「とりあえず、まずは俺の家に泊まりに来てくれ。──そうだな、2週間でどうだ?」


 2週間。自分の好きな男(ノンケ)と二人で暮らせって?

 何だ、その生き地獄は。


 だが、オレはつい期待してしまう。

 黒井が、オレを意識する機会になるかもしれない。

 友人ではないとはっきり認識し、次のステップに進むこともあり得る。

 それが、もう友人としても付き合えない結果になるか、恋人への昇格なのかはわからないが、今の生殺しの状況よりずっといい。


 だから、オレは黒井の提案を受け入れることにした。


「……わかった、お前の家に泊まりに行く」

「なら、スペアキー貸すよ」


 間髪入れずに黒井は、キーケースの中からカードキーを1枚取り出した。

 

「俺の方が帰り遅くなりそうだから、先に部屋にいてくれていい」

「まさか、今夜からなのか?」

「明日からがいいのか?」


 今言われて、すぐ行くなんて無理だ。

 しかも2週間泊りがけとなったら、それなりに物を持ち込まなくちゃいけない。

 それにしても、今日から住まわせるなんて、黒井は前からこの展開を考えていたのだろうか。


「荷物の用意もあるし、明日からで」

「了解」


 黒井は、再びフォークを手にし、付け合わせのニンジングラッセを食べて口を歪めた。


「これ、いつ食べても甘過ぎるよな」

「そう、だな」


 オレも食べ始めることにしたのだが、もう味はよくわからなかった。

 その後、別会計で金を払い、オレたちは揃って会社に戻った。

 エントランスを通ってからは、また仕事の話に戻る。


「そういえば、資料作るんだって?」

「作るというか、確認だ」


 オレの答えを聞くと、黒井はフンと鼻を鳴らした。


「お前に作らせるつもりだよ、向こうはな」


 そんなことは、ないと思うが。

 初めて作るのだからまあ、どこか抜けがあるのなら付き合わなくちゃいけない。


「そういうとこ、お前の良いところだが、ほどほどにな」


 黒井は、ポンとオレの肩を叩き、オフィスの中へ入っていく。

 俺はその背中をいつまでも見つめてしまい、なかなか仕事に戻れなかった。


「もう、辻村さん、遅いです」

「あ、悪い」


 確認する側が怒られるというのも何か変な感じだが、頼まれた以上はしっかりチェックした。

 黒井が予想した通り、資料は穴だらけで、結局オレは遅くまで仕事をすることになった。

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