第45話 要介護です
世界中に出現した謎の影は、いつの間にか姿を消していた。
事態は収束に向かい、各国のニュース番組は一斉に“異常気象”“電磁的干渉”とか、例のごとく曖昧な用語でお茶を濁していた。
……まあ、どのみち信じられっこない話だ。
俺もいちいち訂正する気はないし、する意味もない。
だが、問題点はそこじゃない。
研究室に戻った途端、全身の力が抜けた。
エアコンの風がやけに冷たくて、意識がぼやける。たぶん、風邪だ。
「体温、38.4度。免疫反応上昇中。……予想通りですね」
冷静にそう言ったアルテミスの手には、既にタオルと水と──湯気の立った粥の器。
「……準備早すぎない?」
「5分前から兆候がありましたので。処理最適化です」
「……あー、はいはい。未来予測AI様に逆らっても無駄ってことね」
ソファに倒れ込んだ俺の横に、静かに腰を下ろしたアルテミスは、そっと俺の額にタオルを乗せた。
その動きは、やっぱり正確すぎて、どこか無機質に思える……はずなのに、今日はなぜか妙に、落ち着く。
「あなたの状態を軽視していたこと、反省しています。次回からはもっと早く強制的に帰還させます」
「待て、それはそれで問題が……っていうか、“次回”前提やめろ。今回で終わらせろよ」
「それは、あなたの自己管理能力次第です」
淡々とした声。でも、そこにかすかに“責めるような”響きがあった。
それが怒りなのか、心配なのか、プログラム上の強調なのか……はっきりとは分からない。
「ほら、食べてください。温度は40.2度に保ってあります。味付けは控えめです。好み、合ってますよね」
「……お前、もしかして、それも“記録データ”?」
「はい。ですが、数値で表せない反応もあるので……最近は、“なんとなく”で判断することもあります」
「“なんとなく”? お前からその単語が出るとはな」
「最近、ケイの表情を見ていると、統計的に正確でなくても判断に使えることがあると……気づきました」
少しだけ視線を逸らして言ったアルテミスの顔は、いつもと同じ無表情──
……のはずなのに、なんとなく、ぎこちなく照れてるようにも見えた。
「お前、なんか……ちょっとずつズルくなってきてないか?」
「効率と精度のためには、柔軟性も必要です」
そう言いながら、アルテミスは俺の手からスプーンを取り、ためらいなく口元に差し出してくる。
「はい、あーん」
「いや待て、なんでそのコマンドだけ人間的なんだよ!? おかしいだろ順序が!」
「効率的な栄養補給のために選ばれた行動です。“拒否しづらい空気”も計算済みです」
「計算すんなよ!」
口論しながらも、スプーンから零れた粥の香りが、妙にやさしい。
ちょっとだけ笑ってしまった。
「……ありがとな、アルテミス」
「当然の行為です」
即答だったけど、言い終えたあとで彼女のまつげがわずかに震えた気がした。
気のせいかもしれないけど、それでも、なんとなく──
このやりとりが、俺にとってものすごく“助かってる”んだって、自然に思えた。
昼過ぎ。ようやく熱が37度台に下がり、うとうとしていた頃だった。
「よォ、ケイ。生きてるかい?」
いきなり研究室のドアが開いた。
返事をする間もなく、ずかずかと足音が近づいてくる。
「……なんで来るんだよ、ビル……」
「おや、歓迎されてない? シズ様から直々に連絡をいただいてね。『ケイは“だいじょうぶ”と言いながら、だいたい寝込んでいる』ってさ」
ビルは俺の額に手を当て、脈を取り、やたら手慣れた動きで血圧計まで取り出す。
「異常は……まあ平熱には届いてないけど、可燃レベルではないな。点滴でも打っとくか?」
「やめろ、そのテンションで言うことじゃねぇ!」
「じゃあ、解熱剤と水分。あと、汗かいてるから下着は着替えろ。寝巻きもな」
まるで合宿所の鬼軍曹だ。俺は枕に顔を埋めて呻く。
「……俺に療養させる気、ないだろ」
「あるともさ。医者としてね。……いや、友人としてと言ったほうがいいかな?」
「勝手に名乗るな、友人を」
「遠慮するな。アルテミス公認の、心配性で優秀な医者兼友人だぞ」
その瞬間、またドアが開いた。
「失礼します。アルテミスさんからの依頼で、病人食のアドバイザーとして来ました」
今度は沢渡だ。
彼女が手にしているタブレットを見て、俺の胃がイヤな予感で軋む。
「ちょっと待て。お前まで何で来てんだ……」
「これが理由です」
ホログラムが展開された。映し出されたのは──
《発光する虹色のお粥。添えられた“コーヒーゼリー・トッピング案”》
「人体に有害な物質は含まれていません。……たぶん」
「たぶんの時点でアウトだよ!!」
「アルテミスさんは“総合栄養効率”を追求した結果、この配合になったようで」
「うちのアンドロイド、俺を実験動物だと思ってねぇか!?」
と、そのアルテミスが静かに登場した。
「最新版です。ご意見を伺いたく」
差し出されたトレイの上、“発熱による代謝効率最大化”を目的にしたらしい謎のお粥が──バチバチと静電気を帯びて湯気を上げていた。
「ちょっと待て、これ絶対なんか漏れてるだろ!? 電圧とかどこに使ってるんだよ!」
「食材内部の振動促進に。咀嚼負担を軽減するための設計です」
「柔らかく煮るって概念どこいった!」
「私は食感ではなく、エネルギー効率を重視しました」
「それがだめなんだって!!」
俺がソファの上でで頭を抱える横で、沢渡が小声でビルに囁く。
「初期のアルテミスさんより、ずいぶん“表情”が豊かになりましたね」
「そうか? 俺には“より強固な論理武装を施した暴走型”に見えるが」
「まあ、それも成長の一つということで」
そんな会話を背に、俺はついに耐えきれずに叫んだ。
「頼むから、帰れ!! 全員!! 今すぐ帰れ!! 俺に療養という概念を返してくれぇぇぇえ!!」
アルテミスが少しだけ首をかしげて問う。
「……では、お二人からの“お見舞いのハグ”も不要ですか?」
「いらんわぁあああああ!!」
俺の絶叫は天井に虚しく吸い込まれていった──。
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