長女と父
◇鷹家長女・鷹 月雨(よう げつう)
ワタシには、お母様の記憶がありません。
ワタシが産まれてすぐ体調を崩し、療養のため実家へと戻り、それっきりだそうです。
お兄様達に、お母様はどんな方だったのか、尋ねた事がありました。
『ごめん、僕も覚えてない』(紅雹)
『別に知る必要なんか無いだろ』(白雷)
『うん、優しい人だったね、いやー優しい人だった、うんうん優しい優しい所で近所に新しい服屋ができたそうだけど)以下略』(青雲)
紅雹お兄様はともかく、青雲お兄様と白雷お兄様は分かりやすく誤魔化そうとしました。
特に白雷お兄様は、普段ワタシに話しかける時とは違って、とても無愛想になります。
それが怖くて、以来ワタシはお母様の事を聞くことが出来ません。
どうして今、そんな事を思い出したのか、それは今日がワタシの誕生日だから。
この日は家族も、お手伝いさんも、ご近所さんも皆がワタシをお祝いしてくれます。
お父様にお兄様が、頑張って選んでくれた贈り物をくれます。
そして、お母様からも毎年、贈り物が送られて来ます。
いえ、《お母様》からではなく、《お母様の実家》から、ですね。
ワタシだって日々成長しています。
お母様が、どうして実家へ戻ったきり帰ってこないのか、お兄様やお手伝いさん達の反応から大体想像できます。
……ワタシが、本当はこの家に居てはいけないのだという事も、ワタシは理解しています。
ワタシが今よりも幼い頃、お父様が出掛けている時に、二人のお年寄りがワタシの前に現れました。
お年寄りは、ワタシの顔を見るなりボロボロと涙を流し、『かわいそうに、かわいそうに』と嘆きだしました。
そして、突然の事に動けなくなっているワタシの手を掴み、何処かへ連れていこうとしたのです。
それが怖くて、ワタシは泣きながら抵抗して、それでも二人の歩みは止まりませんでした。
二人はワタシを引き摺りながら、『哀れな子』『不幸な子』『過ちで産まれた』と涙を流してワタシを否定してきます。
怖くて、恐ろしくて、悲しくて、ワタシは泣きながら叫びました。
『青雲お兄様助けて!』
『白雷お兄様助けて!』
『紅雹お兄様助けて!』
『お父様、助けてぇぇぇっ!!!』
『何をしとるか貴様らぁぁぁっ!!!』
今まで聞いたことの無い怒号と共に、お父様が二人の前に立ち塞がりました。
その顔は怒りに満ちていて、普段のお父様からは考えられない程に恐ろしい形相でした。
お父様は、何か言い訳をしている二人のお年寄りを追っ払い、ワタシを抱き締めて
『もう大丈夫だ、お父さんが来たからな』
そう言いました。
ワタシはその言葉に安心して、更に泣いてしまいました。
あの後、ワタシはワタシを連れ去ろうとした二人のお年寄りが、お母様のご両親、つまりはワタシのお爺様とお婆様だと教えられ、あの二人がワタシに何を言ったのかを聞かれました。
ワタシは、答えませんでした。
あの二人を庇った訳ではありません。
ワタシは、お父様とお兄様達を守るために答えませんでした。
だって、何を言われたかを教えたら、
皆、あの二人を殺してしまう。
そんな確信が、ワタシにはありました。
大好きな家族に犯罪を犯させたくなんてありません。
だからワタシは、答えなかったのです。
後日、あの二人から謝罪のお手紙とお詫びの品が送られてきました。
お手紙には、
『酷いことを言ってごめんなさい』
『貴女は誰よりも家族に愛されている』
『どうか、幸せに』
そう書いてありました。
お兄様達はそれを見て、『当然だ!』と声を揃えて叫びました。
お父様は、
『まぁ、これで手打ちにしてやるか』
そう言って、手紙をワタシに返しました。
ワタシは、自分が過ちで産まれた事を知っています。
けれど、ワタシの家族はワタシを受け入れてくれています。
ワタシは、ワタシの家族が大好きです!
◇鷹家当主・鷹 荒天(よう こうてん)
月雨、元気で愛らしい、家族皆が大好きな我が家の末の姫。
君がデキたと知らされた日、私と一部の使用人は心から叫んだ。
『あの女またヤりやがった!』
うん、そりゃ叫ぶよね。
叶うなら君への祝福の言葉を掛けてあげたかったけど、流石に無理だった。
それが出来る状況じゃなかった。
誕生の一報が届いたのは、白雷が獅家の訓練に参加させてもらっていた時の事。
彼の祖父(絶対に名乗れないし、名乗らせないが)である獅家の重鎮のたっての願いで、一度だけという約束で参加していた。
幸か不幸か、一報が届いた時にその場に居たのは、当時の事件の関係者のみだった。
故に、重鎮は私に言った。
『おめでとうございます』
その言葉に私はこう返した。
『三男を産んで以来、抱いてません』
側に居た獅家の士官が、膝から崩れ落ちた。
私たちは、何も言えなかった。
いや、白雷だけは士官に駆け寄り
『大丈夫ですか!?』
『突然どうしたんですか!?』
と、心配していた。
『まるで惚れてた相手に自分以外の相手が居たのを知ってしまったような顔ですよ!?』
『単なる浮気なのに純愛ぶって悲劇の主人公を気取ってたらただの道化だったと分からされたみたいな動きでしたよ!』
『所で人妻だって分かってる相手を孕ませる奴に武人の資格はあると思いますか!?』
……。
一体、何時からバレてたんだろうか。
瞳に宿っていた怒りと殺意は、見なかった事にした。
ともあれ、妻は二度目の不貞を犯した。
いや、今回に関しては、妻は被害者だった。
相手は旅の楽士だったらしい。
紅雹を産んで以来、自身の軽率さを悔いた妻が部屋に籠りきりなのを見かねた侍女が、強引に外出をさせたらしい。
茶屋で一人お茶を飲んでいた時、突然声を掛けられたらしい。
その後、意気投合した二人は自然に旅籠へ……。
そんな流れなら、まだ救いはあった。
妻は、楽士に一服盛られてしまった。
意識を失った妻は、そのまま旅籠へ連れ込まれ……。
その後、運の悪い事に、妻は子を孕んでしまった。
そして、妻は壊れた。
泣き叫びながら、己の腹の中に居る赤子を殺めようと何度も自身の腹を刺そうとするのを、私たちは必死で止めた。
堕胎を懇願する妻を憐れに思いながらも、祭事を司る家が故に拒否するしかなかった。
子が産まれたその日、妻は離縁を申し出た。
そこまでする必要は無いと止める私に、
『このままでは、私はあの娘を殺めてしまう』
そう言って涙を流す彼女に、私は何も言うことが出来なかった。
彼女が家を出るその日、彼女に付き添い共に実家へ帰ることになった侍女が私を詰ってきたが。
『五月蝿い黙れ殺すぞ屑が』
信頼していた筈の自分の侍女に対して放たれた、殺意の籠った彼女の言葉に顔を青くして沈黙した。
そうして、私の妻であった女性は、病を患い実家へ帰った。
そういう話になった。
ちなみに、彼女を襲った楽士の行方だが、彼女の実家の近くへ逃げたとの情報を最後に行方知れずとなった。
何処ぞの名家の侍女と懇ろになり、二人で暮らすために旅をすると言っていたとの話を聞いたが、
まぁ、そういう事なのだろう。
娘を傷モノにされた親が、
犯人を放置する筈もなく、
主を支える処か、無責任に放り出す侍女がのうのうと働く事を許す筈も無い。
この話は、そうして幕を閉じた。
残された君を、月雨と名付け育てる事を決めた時、意外にも反対はされなかった。
息子達も使用人達も、私がそうする事は分かっていた様子だった。
これが信頼か、と感動していると
『あの家に渡す選択肢が有り得ないだけです』
と言われた。
それもそうか。
君が産まれてしばらく後、君の母の両親が訪ねて来た。
二人は、君を引き取りたいと言ってきた。
普通に考えれば有り得ない話だ。
引き取った先には彼女が居る。
彼女の事を思うなら、そんな選択は出来ない筈だ。
……二人は、『もう、良いのです』と、疲れきったように呟いた。
そういう、事だった。
彼女は、私の妻であった女性は、もう、居ないのだ。
私はそう悟り、しかし君を二人に託すことは出来なかった。
君の事を話す二人の瞳が、正気ではなかったからだ。
『娘も会いたがっている』
『一人は寂しいと泣いている』
『会わせてやりたい』
『娘の姿を見せてやりたい』
『娘の元に、連れて行ってやりたい』
私は二人を追い返し、息子達や使用人達に警戒を促した。
だが、我が子を思う親の執念を、私は見誤っていた。
二人は我が家のあらゆる警戒をすり抜け、君を拐う一歩手前まで行ったのだ。
君の悲鳴が聞こえた時、私達は全員が脇目も振らずに駆け出した。
君は気付かなかっただろうけど、私があの二人を追い散らした後、更に息子達が二人を追い立てていたんだ。
鬼神もかくやという顔で老人を追いかける様は、暫く近所の子供達の悪夢の元になったらしい。
それ程、皆が君の事を大事に思っているんだ。
だから、君は何を言われようと気にする事は無い。
周囲の心無い言葉なんか跳ね返せる程の愛を、君は手に入れているのだから。
月雨、私達の愛すべき姫。
君の幸せを、誰よりも祈っている。
それは、君との今生の別れのとなる今であっても、変わることは無い。
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