第4話「自分なりの治癒術」




 ガナザたちが去った後、部屋には一瞬だけ静寂が訪れた。


 それは、嵐の後の不気味な静けさのようだった。フィルネスはぼんやりとした視線のまま、瓦礫の散らばる床を見つめていた。


 破れた上着の隙間から冷たい空気が肌に触れる。あまりの屈辱で、体が震えていることさえ気づけない。


「大丈夫?」


 ローブの女が駆け寄り、優しく肩に手を置いた。


 その手は温かく、安心感を与えるものだった。だが、フィルネスの心はまだ現実に追いついていない。


「て、店長が」


 掠れた声で呟く。ローブの女はフィルネスの乱れた服に気づき、自分のローブを脱いでそっと被せた。


「もう、大丈夫だから。少し落ち着いて……」


 しかし、フィルネスはその言葉を聞いていなかった。ローブが肩にかかる感触などどうでもよかった。


 頭の中を支配しているのは、店長の姿だけだ。


(助けなきゃ……あのままじゃ、死んじゃう)


 フィルネスは震える手でローブを掴むと、立ち上がろうとした。足元がふらつき、視界が歪む。


 ――けれど。


 彼の目はただ一つの光景だけを捉えていた。


 血まみれで倒れている店長の姿。


 フィルネスは立ち上がり、ふらふらとした足取りで店長のもとへ向かおうとする。


「待って! 無理しないで!」


 ローブの女が慌ててフィルネスの腕を掴む。


「離してくれ!」


 フィルネスは振り払おうとするが、力が入らない。ローブの女の手は優しくも強く、フィルネスを抱きしめるように支える。


「そんな状態で行っても、あなたが倒れるだけよ!」

「そんなの関係ない! 助けなきゃ!」


 フィルネスがこんなにも躍起になっていることには理由があった。店長には恩があるから……もちろんそれもあるが、それ以上が存在する。


 ――フィルネスには、彼女を救う手立てがあったのだ。


「……わかった。じゃあ、一緒に行こう。絶対に助けるから」


 ローブの女はフィルネスの肩を抱き寄せながら、優しく囁いた。

 その声には確かな決意が込められていた。


 フィルネスはローブの女に支えられながら、ふらつきながらも店長の元へ向かう。

 瓦礫の散らばる床を踏みしめ、血の匂いが鼻腔を突き刺す。


「ねぇ、もしかして……治癒魔法が使えるの?」


 ローブの女がフィルネスに問いかける。その声には希望の色が滲んでいた。


 フィルネスは一瞬だけ彼女の方を見やるが、すぐに視線を店長へと戻す。


「使えない」


 その言葉は短く、感情のこもっていないものだった。


「……じゃあ、何のために?」


 ローブの女が眉をひそめる。


 だが、フィルネスはその問いかけを無視するように前へ進んだ。

 足元がふらつき、倒れそうになるたびにローブの女が支えてくれる。


 店長の元にたどり着いた時、ユエナが必死の形相で治癒魔法をかけている最中だった。

 彼女の両手が淡い緑色の光に包まれ、店長の傷口に当てられている。


「お願い、治って!」


 ユエナは力を込める。だが――


「だめです。傷が深すぎます……」


 彼女の声が震える。治癒魔法の光が弱まり、消えかけている。

 店長の顔色は青白く、唇は血の気を失っている。


「まだ、もっと、力を込めないと……!」


 ユエナは再び光を放とうとするが、その手が震えていて集中できない。


 その光景を見たフィルネスは、奥歯を噛み締めた。そして、荒い息をつきながらユエナの肩を掴む。


「部屋に運んで」

「えっ……?」

「この人を、俺の部屋に運んで」


 フィルネスの目には決意の光が宿っていた。その目を見たユエナは戸惑いつつも、頷く。


「わ、わかりました。でも、そんな怪我をして」

「俺のことはいいから早く」


 フィルネスの声は震えていたが、その言葉には確かな力が込められていた。ユエナはルーチェに目配せをし、二人で店長の体を優しく抱え上げる。


 その間、フィルネスはその場に立ち尽くし、深呼吸を繰り返していた。

 冷たい汗が背中を伝い、心臓がドクンドクンと激しく鼓動を打つ。


(大丈夫、間に合う、絶対に)


 そして、店長が部屋に運ばれたのを確認すると、フィルネスは一歩一歩、確かな足取りで部屋の中へと向かって歩き出した。


 その背中を、ローブの女は何か言いたげな顔で見送っていた。


 ルーチェが戸口に立ったまま、フィルネスを見つめる。


「……あの、私たちも何か手伝え――」


「出てって」


 短く言い放ったその言葉に、ルーチェとユエナが目を見開く。


「えっ? でも、その人が――」


「いいから!」


 フィルネスの声は震えていた。


 痛みで顔が歪んでいるのを隠すように、顔を伏せる。その肩はまだ小刻みに震えている。


「……お願いだから、出てってくれ」


 何かを堪えるように唇を噛み締めながら、フィルネスは言葉を絞り出す。その声には焦燥と、ほんの僅かな羞恥が滲んでいた。


「絶対に、店長を助けるから。頼むから、見ないでくれ……」


 ルーチェは困惑しながらも、フィルネスの表情にただならぬ決意を感じ取り、ユエナに目配せする。


「……わかった。何かあったらすぐに呼んでね」


 ルーチェが部屋を出る。


 静寂が部屋を包んだ。


 フィルネスは重く息を吐き出し、辺りを見渡す。誰もいない。

 店長の身体は荒い息を吐きながらも、今にも命が尽きそうなほど血の気を失っている。


 フィルネスは震える手で服の裾を握り締める。


「……やるしか、ない」


 冷たい汗が額を伝い、全身の痛みが強く意識にのしかかる。


 これは別に恥ずかしいことじゃない。人助けだ。決してそこに煩悩は存在しない。羞恥心はあるが至って健全な行為だ。


 何度も何度も言い聞かせて、ズボンに手を掛ける。フィルネスの治療行為が始まった。

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